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シロガネの草子

紀子妃殿下の卯の花襲の唐衣 (かなり手直しをしました)


 やっと秋篠宮皇嗣両殿下のご成婚の際、妃殿下の唐衣裳姿の綺麗な映像を見付ける事が出来ました。確かこういう映像を見たことがあるなーと思っていましたが、それがいつの映像だか分からず、この数日、他のとも見付けるのと一緒にさんざん、皇室番組やら、ワイドショーで、皇室を取り上げたのも録画していましたので、それをも探してなんとか発掘することに成功しました。(苦笑い😅)

 画面上の紙切れは、気にしないで下さい。朝の番組は地域の天気図が出ていますので▪▪▪▪どうか察して下さい。美しい妃殿下の映像にお見苦しいものを、張り付けて申し訳ありません。

 この映像を見ましても、妃殿下の白撫子襲の五衣の襟元がきっちりと美しく揃っているのが分かります。



 シロガネが持っている、美しいキモノ1996秋号に高田倭男氏の書かれた「公家の装束に見る色の伝統」に皇嗣妃殿下がお召しになられた卯の花襲(表白▪裏青など)唐衣の事が書かれています。


 平成二年六月、秋篠宮殿下、同妃殿下御婚儀に際し、皇后陛下の思召しにより、筆者が五衣、唐衣、裳(俗にいう十二単)の色彩、文様等の意匠を行い調進させていただいた。この装束のひとつ、唐衣は季節にかんがみ、経白緯萌葱の卯の花の織物を表地とし、さらにそれを白と見立てて裏地を萌葱地とし、表裏の襲ねも卯の花とした。御婚儀の日の新聞夕刊に、宮様の優雅なお姿の写真とともに''爽やか‚‚という大きな活字の見出しが載っていて、果たせるかなと安堵したのである。


 ▪▪▪▪と書かれています。秋篠宮両殿下のご成婚の時は、シロガネは、小3の時でしたので、確かにご成婚番組を見ていた記憶は、あるには、あるのですが、どういう風な思いで番組を見ていたのかは、記憶になく分かりません。まだ子供でしたし、1日中、どのチャンネルも同じ様な内容の番組ばかりで、しかも好きなアニメもご成婚番組のせいで休止となったりして多分不機嫌な思いでテレビに向かって、ブーブー文句を言っていたのかも知れません。

 ただ、その日の夜に布団のなかで、ご成婚のパレードの事を思い出して、ワーワー騒いで運動会みたいだったな、なんかあっという間にパレードが終わったな等、思った事は妙に記憶に残っています。

 その時と比べて、両陛下の御成婚の時は、シロガネは、小六でしたので、御成婚の時はっきりと覚えていて当然なのですが、当時家庭内の状態が悪くてそれどころでなく、ほとんど記憶がなく、ただ朝の番組で、今日が御成婚というのを認識したくらいで、さして関心もなかったのです。当日の御成婚番組もちょっと賢所の所を見たくらいで、パレードとかの記憶も全く記憶がなく、何度思いだそうとしても思い出せません。

 そんな状態でしたが、その年の夏の頃から落ち着き始めまして、家庭内の状態もすっかり良くなりました。その頃だったでしょうか、親戚の家で、寝っ転がってテレビを見ていましたら、番組ないで、これは紀子様が着られた唐衣ですと、ご成婚の時の唐衣(もちろん模造品でしたが)が、写し出され、妃殿下がお召しになられた卯の花襲の唐衣を見た訳です。なんて綺麗な色なんだろうと思いました。これがきっかけで、シロガネの装束熱プラス皇室熱(愛)がで出したんだと思います。


 こんなに美しい衣装を皇室の人は着てるんだと、詳しく知りたくて後で図書館で両殿下のご成婚の時の新聞記事を見ました。


 多分、こういう感じのお写真の見出しであったと思います。ホントに美しい姿と装いで強く印象に残りました。それからこういう装束の事を、もっと知りたくて、平成の即位礼の写真集やらなんやらを色々と見まして美しい装束の事、そして皇室への関心も知識も深めていったわけです。シロガネにとって皇嗣妃殿下の唐衣が、皇室等の関心の始まりでありました。そして紀子妃殿下は、そのきっかけを持たして下さった大切な方なのです。

 (度々でしつこいですけども)「鬼滅の刃」の主人公の竈門炭治郎の言葉をそのままに、

「どう、感謝を伝えればいいのか▪▪▪▪」


 何故か、妃殿下の代理を務めている▪▪▪▪富岡義勇さん▪▪▪▪(爆笑)多分、炭治朗にこう言われた時、(やはり俺は、俺は嫌われていない)と頭のなかで、しゃべっていたら楽しいです。
▪▪▪▪▪それはともかく正に炭治朗の言葉、その通りです。


そして正に花のようなお美しい令和の御代の妃殿下と姫宮様方。






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