姫宮様は、こうした現在の穏やかな母君のお姿を見ますと、本当に「お強い」お方だと、思うのです。
皇嗣妃殿下が、お居間の方へと戻られますと、花吹雪達に母君のその強さと穏やかさの事を、言われたのでしたが、姫宮様からその事を聞いた花吹雪達は、
「それは、そうで御座いましょう。(笑い)姫宮様に、大分鍛えられたのですから。でも、その「お強い」、君様にお負けにならなかった、姫宮様も相当お強うございますが」
そう、言われては、姫宮様も何も言えなくなります。しかし、自分は、「強い」のでなく、ただ単に「頑固」で「身勝手」なだけで、とても母君の様な強さは、ないと思うのです。
あれだけの騒ぎを起こしてしまい、一体どれだけ、母君を苦しめてしまったのか・・・・・そして、どれだけ姫宮様の事で、世間から「皇族としての子どもの育て方も悪い」と言われ続けたのか・・・・・あの頃は、本当に姫宮様は、ご自分が造りだしたK氏の「恋の世界」に巣籠も同然のありさまでしたから、母君の苦しみなど、考えもしないも同然でした。
それは、皇族としてもあるまじき事でした。姫宮様は、完全にご自分中心だったのです。そうした当時の自分の有りように、現在では、ひたすら恥べき事だったと反省するばかりです。
そうした思いは、日々自身のお腹で育ってゆく、「織姫」の鼓動を感じる度に、深まってゆくのでした。
人の親になった時、親の気持ちが分かると世間で言います。姫宮様も同じ立場になられますので、実感としてそう思われるのかも、知れませんが、本当にその通りであったと思うのです。
初めての子供ですしので、余計にそう思うのかも、知れませんが、色々ありすぎたとはいえ、例え不誠実で、自己中心的で、とんでもないマザコン男のK氏との子供とは、いえ、自身の青春の全てを捧げ、その果てに、ご家族を塗炭の苦しみを味会わせても、それでも愛し抜いたのは、間違いない事です。
姫宮様は、K氏の愛は、褪めていらっしゃいますが、しかしお腹の我が子には、深い愛情が、日々深まっています。K氏への愛が、「織姫」に移ったと言っても過言ではないかも知れません。
K氏への「愛」は、残り火の様に微かながら自身の胸に残っていますが、その残り火を絶やすことなく、その「愛」でこれからのK氏と夫婦生活を営んでいかなければなならない・・・・・それは、姫宮様自身に取りましては、過酷な人生を歩む事となるのです。
しかし姫宮様ご自身は、それは、当然の報いで、身勝手な事をしてしまった自分への当然の「罰」であると、思われていらっしゃるのでした。
そして、それを受け入れるのは、当然の「報い」だと・・・・・姫宮様は、その様に胸の奥に深く刻み込んでいらしたのです。
もし・・・・・母君の皇嗣妃殿下の様な「強さ」が、自分にも受け継がれているのなら、その強さを見習いたいと思うなら、これからの人生の、その「罰」を受け、そして、それを耐えられる「強さ」が、何よりも自分には、必要だと、「強い」母君の事を思うのです。
初めての子供を身籠られた現在の自分は、皇嗣両殿下にとっては初めての子供であるご自分を懐妊された、当時の妃殿下と同じでありますので、ふとした時、当時のご両親の事を思われ、初めて子供である自分は、やはり、父君、母君にとっては、格別な思いがあったであろうなと思うのです。この事は、妹宮や弟宮方には、悪いのですが、こういう時、最初の子供である自分は、「得」だなと、お腹にいる「織姫」を思うとき、同時に思われる姫宮様なのでした。
姫宮様は、料理の支度をしながら、花吹雪達に
「おたた様は、本当にお強いわ、私はこれから先、おたた様の様な強さを学んで、見習わないといけないわね・・・・子供を持つと、きっと色々とあるしね・・・・・(苦笑い)大変なのは、ホントこれから先よね。やっと分かったわ」
それを聞いた、侍女の涼風は、笑いながら、
「姫宮様から、そのお言葉を聞く日がくるとは!ようやくお分かりに成られたようで、よろしゅうございました~~」
涼風に続いて、花吹雪も
「宮様もすっかり大人にお成りで御座いますね・・・・・さぁ、君様のご苦労をこれから、ご存分に味わい遊ばせ(笑い)」
「ええ、勿論よ。覚悟は出来ているわ」
と、姫宮様は、おっしゃるとご膳所は、笑い声が満ちたのでした。
お膳所から笑い声が、妃殿下のいらっしゃる、お居間にまで、響いてきました。妃殿下は、姫宮様が、懐妊されてから、良く連絡を取られる様になられて、いましたので、姫宮様が、少しずつ、変化なさってくるのは、分かっておいでになられていました。
姫宮様が、K氏と暮らすうち、段々と現実が、どういうものか、分かってきたんだと、妃殿下は、思いました。
姫宮様が、かつての自身を取り戻すのは、良いことですし、正直こんなに早く、取り戻されるとは、予想外でした。もっと長くかかると思われていたのです。そしてそれは、自分達の子育ては、間違っていなかったという、証明すものでした。
(皇嗣様と私が育てた子供が、例え我を通して一緒になっても、あんな不誠実なK氏と上手く夫婦生活が出来るわけない・・・・・姫宮が、それを実証してくれた・・・・)
さんざん、子育て(皇族)の仕方が、悪いと世間から言われて、辛い思いをされた妃殿下ですが、高い代償は、支払いましたが、ご自分を取り戻された、姫宮様が、
「おたた様達は、間違ってはいませんでしたよ」と、そう言ってくれる様な気がするのでした。
しかし、これから先の、娘の人生はは、幸なのか不幸なのか・・・・妃殿下は、今後の姫宮様の、K氏との夫婦生活は、決して幸福ではないと、これは、ご自身は早くから確信しておられていましたが、いざ現実的にご自分の思われていた通りと、なってみますと・・・・・
やはり・・・・・姫宮様の今後が案じられるのでした。しかしその一方で、周囲の反対を押しきっての我を通してそうなったのだから、ある意味仕方のない事だという思いもするのです。
それと同時に、一人の母君として、これから母となり、子を育てる、姫宮様の今後を深く案じる皇嗣妃殿下なのでした。
(私は、他人のK氏に厳しく、自身の子供には相当甘いのでしょうね。それも人に嫌われる理由なのね)
娘婿の根無し葛氏と
姫宮様と比べまして・・・・・そんな事を思われたのでした。
母君の思い詰めた様な表情を、隣の和室で、勉強なさっていらっしゃる若宮殿下は、横目で、ご覧になられていました。
若宮殿下のお勉強は、近頃では、大概母君の皇嗣妃殿下が、見てくださっています。妃殿下は、勉強が、お好きで辛いよりむしろ楽しいと思われるお方でいらっしゃいます。しかしそうした母君の性質は、余りお子様方へと受け継がれなかった様で・・・・なかなか苦労なさっていらっしゃるご様子なのです。
特に、妹宮殿下は、大変な努力をなさいました。確かに、苦手でいらっしゃいますが、嫌いではありません。学ぶ楽しさというのも、ご存知でいらっしゃいます。
そして、若宮殿下は、とてもご優秀でいらっしゃいます。
若宮殿下は、夕食の後は、周に1回、先生を招いて、お箏(こと)のお稽古をなさいますが、それは、若宮様、ご自身が興味を持たれて始められた事では、ありません。
将来、祭祀をなさる際、長い間、正座をなさいますので、それに早くから馴れておいた方が良いと、赤坂の院のご指示がありまして、長く正座をする何かをなさっておいたほうが良いと、アレコレと周囲が思案していました。その時、皇嗣殿下が、皇室の皆は、洋楽を嗜んで居るが、和楽の方は、余りする人がいないようだから、若宮にさせたらどうかと言われまして、ずっと正座をしている、箏(そう)を習う事になったのです。
始められた当時は、ご本人が望んだら事では、ないうえ全く興味もない状態でしたので、ただ正座に馴れるのが、目的という意識もあり、余り熱心でなく、ただ課題を取り組む様に、なさっておられるだけでした。
そのような若宮様の感情が、「音」として響いてくるのでした。箏の弾き方等は、覚えるのは、早いのですが、若宮様ご本人が、箏曲に対して、ただ単に習い事の一つ、そして、一年位経ったら、辞めてしまおうという思いもありまして、真面目に練習をしても、正直本当につまらない物だと、思われていました。
下手とかそういう意味もないくらい、ただ単に義務的に出しているだけで、そういう思いは、本当に「音」として出てしまっていたのです。しかし流石に「六段」はキチンとお弾きなられる迄は、お出来になられましたが・・・・・・。
皇嗣両殿下も、本人が余り熱心でない様子は、分かっておりましたが、若宮様同様に、一年はキチンとお稽古を続けて・・・・・後は、本人の意思も尊重してと、思われていたのです。本人にやる気もないのに、無理に続けて居れば、お稽古をして下さっている、先生に失礼だと考えられていました。若宮様の思いは、その「音」を聞いている、お箏の先生が一番分かっているはずですので・・・・・。
そんな時、お箏を始められて、半年以上過ぎた頃でしょうか?テレビで箏曲の発表会が、特集で放送されていましたので、若宮様は、一応は、ご覧になられていました。それ以前でも若宮様と同世代のお箏の発表会を妃殿下の勧めで、テレビでご覧になられた事は、ありました。
ご自分と同世代の箏曲を見聞きしましても、若宮様ご自身は、正直そうお心を動かされるという訳でなく、ただ義務的にしている自分と、一生懸命練習を積んで、晴れの舞台で演奏する同世代の人達を見ると、本当に、お箏の「思い」の差というのを見せつけられて、ご自身が、恥ずかしく、思われたのでした。
この日も、そんな感じでご覧に成られたのですが、その頃は一応、簡単な数曲は、お弾きになられる様になっていましたので、以前よりは、やや関心を持たれて、テレビを見ておられました。
様々な年齢の女性達が訪問着、振袖等を着まして、とても華やかな情景のなかを、お箏を弾いているなか、10人を超える女性達のなかで、ただ一人、若宮様と同世代位の男の子が、箏を弾いていました。
以前にも若宮様と同世代の男子が幾人か、圧倒的に女性が多いなかで、弾かれている姿をご覧に成られた事は、ありました。その姿は、そんな事を気にせず、手の動きも巧みにそして、堂々として美しい音色なのは、誰でも良く分かります。
間違いなく、真剣にお箏(こと)の練習を重ねてしているのは、分かりますし、お箏を弾くのが好きだというのが、画面からも伝わってくるようで・・・・・それを見まして若宮様は、
(本当にお箏を弾くのが、好きなんだな、そうじゃなければ、周りが女子ばかりのなかで、あんな風に弾けるわけないよな。本当に好きなんだ・・・・お箏が)
と思い、ご自分と比べて、恥ずかしく、早く辞めてしまいたいとさえ思ったほどでした。良い先生に指導してもらっているのは、若宮様も良く、分かっておりましたので、余計にご自分が恥ずかしく思ったのです。
若宮様は、テレビから、大勢の女性達の中でただ一人の男子。自分と同世代のその少年の姿をご覧に成られていたのでしたが、しかし今までとは、若宮様の視線は、違ったのです。
大勢の綺羅を飾った着物姿の女性達がお箏を弾く姿はそれは美しく華やかなものでした。もちろん箏曲の音色も美しく、楽しくてそれぞれ真剣に弾いていても、本人達の「思い」が、伝わって来るのが、若宮様のお心にも響いてきていました。
しかし、若宮殿下の視線は、ご自分の同世代の少年に注がれていたのです。柔らかな色彩の訪問着、華やかな金の箔を施した振袖姿のなかでは、普通ならただ一人の男子、例え少年でもそれほど目立つほどでは、ないのかも知れません。もちろん本人から奏でるお箏(こと)の音色は、別ですが。しかしその少年は、明らかに他の着物姿の女性陣よりも目立っていました。
参考
・・・・・その少年は、鮮やかな山吹色地から身頃にかけては、橙色となる裾濃と袖口にかけても、同じく橙色に濃くなり、又、白の三角柄である、鱗(うろこ)文様を散らした、二尺(約66cm程)の小振袖を着て、黒の襦袢を下に重ね、同じく真っ黒な純黒の袴を身につけていたのです。
あの大ヒット漫画の登場人物の羽織をそっくりそのまま、再現をしてそれを小振袖として、黒袴もあの人物に模したものを着ていたのでした。
・・・・・・参考
参考・・・・・・
・・・・・若宮様もあの大ヒット漫画は、ご存知でしたし、アニメも見ておりましたから、最初ご覧になられた時、ビックリしまして、しばらくこれは、コスプレかと思い、箏曲を聞くより、物凄く目立つ装いの、ご自分と同世代の少年に釘付けとなったのでした。
しかし、本人は集中力をもって、箏を弾きこなしているのは、三つの爪をはめたその手の巧みな動きを見れば、分かりました。若宮様もお箏を例え熱心でなくとも、簡単な箏曲を弾くまでには、お出来に成られていましたので、やがて、その装いから、手の動き、奏でる音などに注目してゆきました。
派手な小振袖姿でも、巧みな手の動きからして、日頃からお箏を弾いているのは、分かりました。それにしても普通の男子の着物はもっと色を押さえた渋めな物です。
かつて若宮殿下は、初めてブータンへ、ご両親殿下方と行かれたさい、国王、王妃両陛下をご訪問された時、父君は、ご洋装でしたが、母君は地色は、クリームに扇形模様と流水模様の訪問着をお召しに、そして、若宮様は、黒紋付きの羽織に空色無地のお着物と縦縞の行灯袴(スカート状の袴)姿でした。その時にお召しになられた若宮様の黒紋付き羽織袴のお姿は、大きな話題と賛否を呼んだのでした。
しかし、ブータンは自国の民族衣装を公の場所での着用されるのですから、あれだけの歓迎を、してくださった事に対して、その礼儀として、日本の一般の民族衣裳、世界的に知られている、「着物」でもって答えられるのは、「礼儀」というものでしょう。国王御夫妻が、あの出来事が起きてた年にわざわざ日本に国賓として御訪問されたさい、京都では、国王陛下は、黒紋付き羽織袴、王妃陛下は、ピンクの可愛らしくも若々しい振袖を御召しに成られたのでした。
若宮様が、あの時、お着物をお召しになられたのは、理に敵っていますし、何の問題もなかったのでしたが、皇嗣家を日頃、心良く思わない、女一宮殿下を将来の「天皇」にそして、将来は、「女系天皇」にしようとする派の人々が、中心となりまして、
若宮様が公の場所で、着物を着るとは、何事か、洋装を重んじた皇室の「伝統」に、反する行為だと・・・・・
大いに反発したのでした。しかしながら、継承権のない女一宮殿下を将来の「天皇」に、そして皇室の長い「道」に反する、「女系天皇」の方が、よっぽど、「伝統」に反する行為というものです。
それを、分かっているのだろうかと、心のある人は、そう思ったものです。皇嗣家が、気に入らない事をすると、都合良く、「伝統」を持ち出して、難癖を付けるのですから、全く可笑しな事です。
「笑止千万」とは、この事をいうのでしょう。
・・・・・かつて、染織研究家で、着物に大変造詣が深かった故木村孝氏は、
「参考画像」です。ご本人では、有りません。
「着物を身にまとう事は、日本の心を、身にまとう事です」
と、言われましたが、若宮殿下は、その日本の「心」を身にまとわれて、ブータン独自の歓迎の儀式に参加されたのです。
その時、お着物をお召しになられたのは、素晴らしい事でした。しかし、母君の皇嗣妃殿下は、若宮様のあの装いには、いささか、ご不満が、あったのです。
・・・・・若宮様は、その少年のお箏の弾く姿と、どの女性達よりも目を引く派手な目立つ装いを、ご覧になられて、ふと、ご自分が、ブータンで、黒紋付き羽織袴で、公の場所で、出られて大きな注目と話題を集めた、当時の事を思い出されたのでした。
若宮様がいつもと違う表情で、じっと箏曲の演奏に耳を傾けていらっしゃる姿を、お居間を通りかかられた、皇嗣妃殿下は、ご覧になられました。
最初は、若宮様が、いつもととは、大きく違って、じっと箏の演奏をテレビを越しでご覧に成られているのを見られた時、珍しい曲でも弾いているのかと、思われましたが、妃殿下も、テレビを見られて、直ぐに、若宮様の同世代の少年の装いに直ぐにお気付になられて・・・・
「ずいぶん、人目を引く装いですね。山吹色の裾濃の小振袖を、男の子が着ているのは、初めて見ました。色は、多分、草木染めかしら」
と、興味深くご覧になられながら、若宮様に言われてました。
「草木染め?」
若宮様が、そう、聞き返えますと、妃殿下は、
「そうです。黄色の色はね、色々な、木や、草、実などで、色を染めることが、できるのですよ。例えば、梔子の実、刈安の葉、黄櫨(はぜ)の木、それらから、さまざま色彩の黄色を染める事が、出来るのです。恐れながら、御上が御召しに、ならしゃれる、黄櫨染の御色はね、黄櫨から染められた黄色と蘇芳、これは、熱帯の樹木から染められた赤紫の色なのだけど、その蘇芳か又は、紫を合わせると、黄櫨染のあの太陽の光の御色を、染める事が出来るのです。不思議でしょ」
そうおっしゃられて、妃殿下は、微笑まれました。「きっと何色かの糸を使っているでしょうね」と言いながら、その男の子の装いを興味深くご覧に成られましたがそれと共に、箏を、巧みに弾かれるのを、じっとお聞きになられていました。やがて、
「若宮も、ああいう風に大勢の女性達に囲まれても、気後れせず、堂々とされてお箏を演奏されたらいいですね。たた(おたた様の略語)もその姿を是非拝見したいわ」
妃殿下は、独り言の様におっしゃられているようでしたが、明らかに、若宮殿下に聞こえる位のお声で、そう言われまして、お居間を出てゆかれました。
皇嗣妃殿下の聞こえる位の独り言を聞かれた、若宮様は、
(俺にお箏を続けて欲しいと思っているんだな、おたた様は・・・・)
何となしに、妃殿下の十中にはまった気がする、若宮様でしたが、ご自分でも、何だか、胸の奥で、もっと、お箏を続けてみたいという強いお気持ちを持たれていたのは、間違いない事でした。
今日の演奏は、いわゆる「古典曲」というので、江戸時代に作られた箏曲を再現して、演奏したものでしたので、それゆえ、全員、着物姿だったのです。古典曲は、現代曲よりも、ややテンポがゆっくりで間が長かったりと、聞く人には、退屈と、思われ勝ちで、若い人は、やはり、テンポの良い現代曲を弾く事が多いのです。
若宮様が習っておられるのも、主に古典曲が中心で、ご自身、本当に、退屈で、それゆえに余計に、お箏を敬遠する思いが強かったのですが、しかし今日の演奏を聞きまして、そのお考えも変わり始めたのでした。
鮮やかな色彩・・・・例えあの元となった「あのタンポポ頭の人物」が、普段は、「ヘタレ」でも。(でもやるときには、出来る人物です)
ある意味伝説の話となった・・・・・アニメ『鬼滅の刃』
第11話 「鼓の屋敷」
そんな・・・タンポポ頭のヘタレが・・・・
・・・・・・超大活躍した
第17話 「ひとつのことを極め抜け」
(全力を出し切って敵と戦った後)
そして、実際に着たあの少年は、誰よりも目立つ姿をしても臆することなく、堂々と箏を弾いていたのでした。
(ああいう晴れの場所で、目立つ姿をすればきっと色々と言われたかも知れないな・・・・)
若宮様は、かつて、ご自分が、皇族男子が余り、表の場所で召されなかった、羽織袴を着た事で、さまざま批判的に言われた事を思い出されたのでした。しかし母君の妃殿下は、後に、
「若宮には、御所風の刺繍を施した、鮮やかな地色の振袖を着せたかった・・・・・でもそれを着せると、余りに目立ちすぎるし、刺繍は、難しい(値段はお高い・御所言葉)し、でも何よりも、着せる勇気が、なかったのよ。あの時はまだ・・・・・今だったら、キチンと着せるのだけど。自分達のいる雅な文化を堂々とね」
参考。(男の子です)
(あくまでも参考です)
ご幼少の頃の御水尾天皇
こちらの装いの方がシロガネ的に良いと思います。
・・・・・・そう言われまして、本当に残念に思われながら、老女の唐糸や、長年仕える花吹雪達におっしゃられていたという事です。
あの時の批判は、皇嗣両殿下に今後の事を、さまざまな考える、きっかけとなったようでした。
・・・・・・その15に続きます。