前回のブログ『もしも、我が子が…』に、”「我が子をプロゴルファーにさせたいか?」と尋ねられたら…私自身はNO。”なんて書いていながら…ふと、じゃぁ、私自身は、どうだったのか?と考えてみると…。
大学時代に、趣味ではじめたゴルフ。
でも、とことん自分の可能性にチャレンジしたくなって、自分らしさを最も発揮できるのはゴルフじゃないかなんて思って、心機一転、「プロゴルファーを目指したい」と親に告げた。
その時の、親の驚きは、如何ほどのものだっただろう?
きっと、「また、何を寝ぼけたことを言っているのだ!」と、卒倒したに違いない。
両親にとって、プロスポーツの世界など、全く無縁の上、未知の世界。
「一体、娘は、どこに向かって進んで行くつもりなのだろう?」と、研修生になると言う私に、頭をかかえこんだと思う。
だけど、結局、自分の好な道、進んでみたいと思う道に送り出してくれた両親。
多分、しょうがないなと言う”あきらめ”と、生きて行ける道をしっかりと探せば良いと言う、親ならではの”愛情”が、入れ混ざったような気持ちで、研修生になって行く私を不安一杯ながらも、見守っていたんだろうな…。
私が、私自身の親なら、研修生になることを許しただろうか???
”可能性へのチャレンジ”と思って飛び込んだ、研修生の世界。
はじめて所属したのは、三重県の『鈴鹿の森カントリークラブ』。
ここは、研修生になれば、全員、寮生活。
入って、2~3日目。
暗くなるまで練習していて、寮に戻ろうとすると…ゴルフ場って、日が暮れれば、一気に、真っ暗。
風が樹をゆする音がするくらいで、呆然と立ち尽くしてしまうくらい、真っ暗。
道も見えない。
月明かりを頼りに歩こうと思っても、月が、雲や樹の陰に隠れてしまえば、何の灯りも無い。
まさに”一寸先は闇”状態。
この時ばかりは、暗くて怖い気持ちと同時に、「私は、何と言う世界に飛び込んだのだろう。人生の選択は、これで間違っていなかったのだろうか?」と思い、ウルウルと涙目になりながら、ゴルフ場の夜道を歩いた。
「イノシシに襲われたら、どうしよう…」などとも思いながら、必死に目を凝らして、進む方向を見て…ようやく寮の明かりが見えた時は、ホッとして、「歩みを辞めなければ、何とかなるものだ!今は真っ暗闇でも、いずれ光は見えるものだ!」などと、元来が楽天家の私らしく、さっさと、ふと心をかすめた”後悔”の二文字を、自分の中から追い払った。
研修生時代は、この実体験さながらの心理状態だったかも。
それゆえか、後に、両親は、「研修生時代のあなたは、いつも何かに追い掛けられているような顔をしていた」と言っていたなぁ~。
ティーチングプロとしての道を歩み始めた頃、両親は「手に職をつけたことだし、これで少しは安心して見ていられるな…」と思っていたらしい。
なのに、研修生時代の怪我が治って、思うようにクラブが振れるようになると、「レッスンもするけれど、やっぱり、自分自身がプレーヤーとして…」と、1度だけ両親に言ったことが有った。
その時、母は、悲鳴にも似た声を挙げて、「もう、辞めといて!」と言った。
その言葉を聞いて、自分の夢とは言え、研修生と言う立場に身を置いていた時の、母の心労が、どれほどのものだったか分かった。
また、父は、「そんなことをしたら、自分の練習が一番になって、今、来て下さっているお客様へのレッスンは、二の次になる。そんな心理状態でレッスンをしたら、お客様に失礼やと思わんか!」と言った。
この言葉には、「全くその通りかもしれない」と思った。
それ以後、両親に対して、「プレーヤーとして…」との言葉を、発したことは無い。
親が望みもしなかった道に進み、親が予想だにしなかった職業に就いた私。
今は、この職業に就いたことによって巡り会えた、心のあたたかい人達のことや、人の優しさに触れた話をすると、嬉しそうな顔をして聞いてくれるようになった。
出来るだけ心配をかけないで、自分で望んだ道を歩んで行かなきゃなぁ~と思う。
…いくつになっても、子供のことを心配するのが、親のようなんだけれど…。
大学時代に、趣味ではじめたゴルフ。
でも、とことん自分の可能性にチャレンジしたくなって、自分らしさを最も発揮できるのはゴルフじゃないかなんて思って、心機一転、「プロゴルファーを目指したい」と親に告げた。
その時の、親の驚きは、如何ほどのものだっただろう?
きっと、「また、何を寝ぼけたことを言っているのだ!」と、卒倒したに違いない。
両親にとって、プロスポーツの世界など、全く無縁の上、未知の世界。
「一体、娘は、どこに向かって進んで行くつもりなのだろう?」と、研修生になると言う私に、頭をかかえこんだと思う。
だけど、結局、自分の好な道、進んでみたいと思う道に送り出してくれた両親。
多分、しょうがないなと言う”あきらめ”と、生きて行ける道をしっかりと探せば良いと言う、親ならではの”愛情”が、入れ混ざったような気持ちで、研修生になって行く私を不安一杯ながらも、見守っていたんだろうな…。
私が、私自身の親なら、研修生になることを許しただろうか???
”可能性へのチャレンジ”と思って飛び込んだ、研修生の世界。
はじめて所属したのは、三重県の『鈴鹿の森カントリークラブ』。
ここは、研修生になれば、全員、寮生活。
入って、2~3日目。
暗くなるまで練習していて、寮に戻ろうとすると…ゴルフ場って、日が暮れれば、一気に、真っ暗。
風が樹をゆする音がするくらいで、呆然と立ち尽くしてしまうくらい、真っ暗。
道も見えない。
月明かりを頼りに歩こうと思っても、月が、雲や樹の陰に隠れてしまえば、何の灯りも無い。
まさに”一寸先は闇”状態。
この時ばかりは、暗くて怖い気持ちと同時に、「私は、何と言う世界に飛び込んだのだろう。人生の選択は、これで間違っていなかったのだろうか?」と思い、ウルウルと涙目になりながら、ゴルフ場の夜道を歩いた。
「イノシシに襲われたら、どうしよう…」などとも思いながら、必死に目を凝らして、進む方向を見て…ようやく寮の明かりが見えた時は、ホッとして、「歩みを辞めなければ、何とかなるものだ!今は真っ暗闇でも、いずれ光は見えるものだ!」などと、元来が楽天家の私らしく、さっさと、ふと心をかすめた”後悔”の二文字を、自分の中から追い払った。
研修生時代は、この実体験さながらの心理状態だったかも。
それゆえか、後に、両親は、「研修生時代のあなたは、いつも何かに追い掛けられているような顔をしていた」と言っていたなぁ~。
ティーチングプロとしての道を歩み始めた頃、両親は「手に職をつけたことだし、これで少しは安心して見ていられるな…」と思っていたらしい。
なのに、研修生時代の怪我が治って、思うようにクラブが振れるようになると、「レッスンもするけれど、やっぱり、自分自身がプレーヤーとして…」と、1度だけ両親に言ったことが有った。
その時、母は、悲鳴にも似た声を挙げて、「もう、辞めといて!」と言った。
その言葉を聞いて、自分の夢とは言え、研修生と言う立場に身を置いていた時の、母の心労が、どれほどのものだったか分かった。
また、父は、「そんなことをしたら、自分の練習が一番になって、今、来て下さっているお客様へのレッスンは、二の次になる。そんな心理状態でレッスンをしたら、お客様に失礼やと思わんか!」と言った。
この言葉には、「全くその通りかもしれない」と思った。
それ以後、両親に対して、「プレーヤーとして…」との言葉を、発したことは無い。
親が望みもしなかった道に進み、親が予想だにしなかった職業に就いた私。
今は、この職業に就いたことによって巡り会えた、心のあたたかい人達のことや、人の優しさに触れた話をすると、嬉しそうな顔をして聞いてくれるようになった。
出来るだけ心配をかけないで、自分で望んだ道を歩んで行かなきゃなぁ~と思う。
…いくつになっても、子供のことを心配するのが、親のようなんだけれど…。
『珈琲 北野十番舘』さんのHP、早速、拝見させて頂きました。
綺麗な写真と素敵なデザインですね。
またまた、早く珈琲を頂きに行きたくなりました!
リンク、ありがとうございました!
こちらこそよろしくお願いします!
あっ、それからクラブにカビは勿体ない…。
また、気が向けば…気が向いたときこそ、再開の時でしょうから…クラブのこと、忘れずにいてやって下さいね!(笑)
年数がたって自分から興味を持った時こそが、はじめる時やね。
無理じいでやらせても、私と同じようにクラブにカビをはえさせてたかもです・・(^ ^;Δ汗
・・で~HPが出来ました。
書き込み場所ないんですけど~まだまだ手直しいるかと思いますが、UPしちゃいました~!
覗いてみてくださいね。
http://www.kitano10bankan.com/index.html