を受けます。その時の話です。
私は、その日の出来事を言葉で表現できま
せん。ですから今日まで、めったに人に
話した事がありません。それを語る事は
余りにも神聖過ぎます。私は、ただ神が
御自身を表して下さったというしか、あり
ません。
その時、私は、もう神の愛の圧迫を、耐え
きれないほど、受けて
「どうぞ、神様、私の上から御手を取り除
いて下さい」と、お願いせずには、いられ
ませんでした。
その後、私は、普段通り説教をしました。
内容も以前と変わっていません。しかし
以前は、わずかばかりの人が耳を傾けまし
たが、聖霊後は、多くの聴衆が耳を傾け、
数百人の人が悔い改めるという状況にでし
た。私は、以前の小さな恵みの状態に戻り
たくはありません。
その体験の前の状態というのはゴミクズに
過ぎないからです。
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次はサムエル・チャドウィックの聖霊体験
の話です。
私は、全てをペンテコステ(聖霊降臨)の
賜物に負っています。それは私が求めて
いなかった時に、私に来ました。
私は、神が召し、遣わされた働きの方法を
求めつつ、天父の仕事に励んでいました。
私は、一人の預言者に出会い、証を聞き、
そして私は、何か知らないものを求め始め
ました。
それは信仰の危機に直面した時に、果たす
べき務めという線に沿って訪れました。
それがやって来た時、私は、何が起こった
のか説明する事が出来ませんが、名状する
事の出来ない、しかも栄光にみちたもの、
という事だけは分かりました。
しかし、すぐに結果が現されました。
私の魂に深い平安が来ました。又、感動的
な喜びと力が新しく意識されました。
私は、新しい理解力を受けました。
あらゆる力が脈打ってきました。
体力も生き生きとしてき、又、泉が湧き
活力はみなぎり、忍耐の力と、大事を成さ
んとする場合の強者の爽快さが現れてきま
した。
そして何事かが起こり始めました。
渾身の力をふるっても、出来なかった事が
訳もなく出来る様になりました。
それは丁度、弟子達が、全力でこいでも
進まなかった舟に、イエスが乗り込まれる
時の様なものです。
「ただちに、舟は、彼らが行こうとする地
に着いた」
それは実に驚くべき事でした。
神の言葉を単なる知識的研究によって知り
得ると考える人は、非常な間違いを犯しま
す。霊的真理は霊的に洞察されるべきです
。魂の事は心の目をもって、見るべきです
。そして、その目は聖霊によって開かれま
す。この同じ聖霊が私を新しい認識と祈り
の経験に導き、命と愛を呼び覚まします。
私は、自分のペンテコステの第1日から、
人々の魂の追求者、獲得者となりました。
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アンドリュー・マーレーは、南アフリカの
牧師でした。その間、数千の多国移住民の
牧師として奉仕。
1860年から4年間、内陸の教会で奉仕。
その間にリバイバル(大規模な信仰復興)が
起きる。
彼は自分自身、聖霊に満たされていたが、
教会全体に聖霊が降臨されリバイバルが
起きた。この時から彼は多くの霊的書物を
書き始めた。
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パウロ自身も聖霊に満たしを受けており、
更に他の人に聖霊を授ける霊的な力があり
ました。彼が書いたパウロ書簡は、いずれ
も聖霊によるものであり、多くの信徒に
力を与えています。
聖書全体が、聖霊に満たされた人によって
書かれたものです。
「人を活かすものは霊なり、肉は益する
所なし。
我が語りし言葉は霊なり、生命なり」
(ヨハネ6-63)