一つは、人の罪の身代わり。
一つは、神様へ買い戻す。
などの意味があります。
この世は、元々、神様が造られたました。
神様は人間を、愛の対象として造られまし
た、人間は自由な意思をもって造られた。
しかし、人々は、造り主である神様を無視
して、自分に都合の良い様々な神々を造り
自由な意思を自我で固めて、独立して歩む
様になった。これが大きな罪となります。
そして、様々な罪の生活を行います。
そんな人々の罪を、身代わりに背負い、
十字架に付けられたのが、イエス様です
又、その事を信じた人々を、神様の元へ
導き、本来の造られた状態に戻すのも
十字架です。
「我らは、自ら心の内に嘆きて、子と
せられる事、即ち、自分の身体が贖われ
る事を待つ」 (ローマ8-22)
聖歌に「face to face(顔と顔を合わせて)
」が、ありますが、聖書を読んで、神様の
み心を伺い歩む生活です。
「世の創成の始めから、ほふられ羔羊」
(黙示録13-8英訳)
人が造られる前から、十字架は準備されて
いました。
「神のみ旨にて、創成の前に、キリスト
・イエスをして、私達に、たまわる恩恵に
よる」 (Ⅱテモテ1-9)
古代のイスラエルでは人の罪をあがなうう
方法として、神様が定めた方法は、罪を犯
した人に代わって動物をほふる方法事でし
た。
その動物には、若い、傷の無い羔羊、羔牛
を罪を犯した人が献げ、これを祭司が執り
行い、ほふり、動物の血によって潔めた。
すなわち、私の様な、高齢者で、過去に
罪、汚れに満ちた私は不合格とされました
しかし方法は不完全でした。罪を犯すと
毎年、献げる必要がありました。
しかし、キリストの十字架は完全です。
「once for all」(一度きりで完全)
イエス・キリストは、全く罪、汚れの無が
なく、若い方で元々、神なる方でした。
「イエスは、死の苦しみを受けるによって
…万人の為に死を味わわれた。これは、
多くの人々を栄光に導く為であり、その
救いの君を、苦難によって全うされたのは
万物の帰すべき方、万物を造られた方に
相応しい事でした」 (ヘブル2-9~)
「我らは、彼の…血により贖罪、すなわち
罪の赦しを得る」 (エペソ1-7)
「その子、イエスの血は、全ての罪より
我らを潔む。
もし、自分の罪を言い表せば、神は真実で
正しい方なので、我らの罪を赦し、全ての
不義から我らを潔められる」(1ヨハネ1-7~)
日本人の、一人でも多くの方が、キリスト
教会へ行かれる事を願っています。
ただし、エホバの証人(ものみのとう、)や
統一教会(家庭平和連合)、モルモン教は
キリスト教ではありません。