聖書と共に

我は苦しみ、かつ乏し

今日は、詩編86編です。

「主よ、あなたの耳を傾けて、私にお答え下さ
い。私は苦しみ、かつ乏しいからです。」
「主よ、わが祈りに耳を傾けて、わが懇求の声
を聞いて下さい。」
「わが魂を陰府(よみ)の深い所から助けられま
た。」

ここから「旧約聖書1日1章」(榎本保郎著)
からです。
詩編には、助けを求める祈りの歌が多い。
神に助けを求める者の、うめきや、求めが、
至る所に記されているのが聖書であり、その様
に神に助けを求めていくのが、私達の信仰生活
である。

この詩人の祈りは、この地上で、神のみこころ
を求めて一生懸命な生き方から来た叫びである
おおかたの者が神を求めようとしない。
神を尊ばない、この地上の生活で、自分は、
あくまで神のみ旨を大切にし、たとえ、それが
どんな損な生き方であろうと、その神のみ旨に
従って生きようとする事は、とても人間的な
力だけでは、全うし得るものではない。

そこから、自ずと生じてきた叫び、それが
「あなたの耳を傾けて、私にお答え下さい。
私は苦しみ、かつ乏しいからです。」という
祈りになったのである。

だから、ここに出ている苦しみ、乏しさは単に
、この世に苦しみがある、乏しいというのでは
なく、神のみ旨に従っていこうとする時に、
この詩人の生活にまで及んで来た事をしらなけ
ればならない。

私達は、自分の生活に及んでくる程までに、
神の言葉を受け入れているだろうか。

そこで、生活費の全部を捧げた、やもめを称賛
されたのである。
生活にまで及んでこない世界で、どんなに熱心
に聖書を学んでも、それは主イエスの見ておら
るところでは、ないのである。

黒人霊歌に
「私は、あなたの為に、傷ついたけれども、
おまえは、私の為に、どこに傷があるのか」
「私は、あなたの為に、33才の生涯を投げたが
おまえは、私の為に、何を投げたのか」

という意味のものがあるが、この神の愛の迫り
を受け何とかして、答えていこうとするならば、
応じられない自分の弱さを知り、助けを求めず
には、いられなくなるはずである。

   ***************

エホバの証人や、統一教会の様に、信者に
家や、土地、財産を売り払わさせ、会館や、御殿
を作るのとは、全く別です。



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