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聖書と共に

よき知らせー福音 ①死

今日はD.L.ムーディー(1837~1899年)の
です。彼は4才で父に死に別れ、小学校
中退。その後。叔父の経営する靴屋で販売
をしていました。その頃、回心しました。

私の心はよく回心以前、暗い状況に戻る事
があり、肺結核の様な長い患いの病で死期
の到来を考えていた事などを、よく覚え
います。

又、恐怖感に襲われ冷たい死の手が生命線
にさわった感触がしました。
私が墓をのぞき込んでいると、墓守りが、
ふたをした棺に「土は土へ、灰は灰へ、
チリはチリへ」と土をかけるのを見ました
。これは私の魂にとって死の前触れの様に
想われました。

でも、今は、全てがすっかり変わってしま
いました。墓は、その恐ろしさを失いまし
た。天国へ向かう時、「死よ、お前のトゲ
はどこにあるのか」と叫ぶ事が出来るので
す。主は、ただちに死のトゲを除き、
ご自分の胸に受け止められたのです。

スズメバチを捕まえて、針を抜いてしまっ
ら、ハエと変わりません。恐ろしくない
のです。同じ様に死は、そのトゲを失って
しまったのです。

最後の敵は征服され、死は亡骸となりまし
た。私は、今の身体より、はるかに優った
栄光の身体、よみがえりの身体を受けるの
です。今、死が来て、心臓の鼓動が止まっ
たとしたら、私は、よみがえって王なる方
の前に出る、素晴らしい世界へと移される
でしょう。

福音は敵さえも友としてしまったのです。
使途は「私にとっては、生きる事はキリスト
、死ぬ事もまた、益です」と宣言していま
す。

人々が十字架の主をヨセフスの墓に納めた
時、死は言った事でしょう。
「おれは、イエスを捕らえたぞ。彼はおれ
の餌食になった。私は、よみがえりであり
、命である、と言っていたが、今は、見て
の通りだ。

しかし栄光の朝が開けた時、人の子は死を
打ち破り、死を克服し墓からよみがえられ
たのです。
「私が生きているので、あなた方も生きる
からです。」と主は叫ばれました。そうで
す「あなた方も生きるからです。」とは
良い知らせではありませんか。



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