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同人サークルA-COLORが北海道をうろうろしながら書いているブログです

大夕張のあたりをうろうろ

2010-09-19 16:50:00 | うろうろ-夕張市

フォトアルバム【大夕張の近辺(100919)

前回は夕張石炭の歴史村を訪れたので、今回は大夕張方面を中心に訪れました。
夕張石炭の歴史村(100502)

大夕張はシューパロダムの完成とともに、湖の下に沈んでしまうというので、その前に訪れておきたかったんです。
しかし、ダム建設が佳境なのか、すでに町の名残は消え去っていました。
鹿島小学校の跡地に残る記念碑だけが、かろうじてここに町があったことの証のようでした。

北炭の夕張新炭鉱の跡地にも寄ることができました。
夕張新炭鉱での事故は、当時幼かった我々の記憶にもハッキリ残っているほどでした。
解体された真谷地炭鉱の跡地ともども、夕張の大転換の歴史と現状を見たような、そんな気がしました。

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滝の上公園にある発電所。
北炭によって建設されたレンガ造りの発電所で、まだ発電を行っている現役の施設らしいです。

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白銀橋です。
夕張国道からシューパロ湖の対岸へ渡れる長い鉄橋ですが、車は一台分しか通れません。
かなり老朽化しているように見えました。
橋を渡ると違う世界に行ってしまうんじゃないかと、ちょっと怖かったです。

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白銀橋を渡ってから道に迷っていたら、たまたまこの道路が見える場所に。
まるで天にかかる道みたい。

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空に架かっている道を辿ってみようとしたら、こんな状態で途切れていました。
現在の道路がダムの底に沈むので、それに代わる道路を造っているんでしょうか?

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鹿島小学校があったところは、かつての校門跡の側に記念碑を残すだけで今は校舎は残っていません。
なお、2010年に訪れた大夕張は、ダム建設が佳境に入っているのか、地域全体が土木工事中という感じ。
作業用車両が行き交い、かつてここに町があったという名残さえなくなっていました。

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鹿島小学校の跡地に残る記念碑だけが、かろうじてここに町があったことの証のようでした。

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石碑の側にあった木。
おそらく、小学校が健在だった当時から生えているんだと思います。

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記念碑の側の木に黄色いハンカチとメッセージが残されていました。
「おかえりなさい 幸福の街 大夕張」と読めます。

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道路脇にあった閉鎖されたトンネル。
かつては鉄道で使われていたのではないかと。

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夕張岳線第1号橋梁(三弦橋)です。
シューパロ湖にかかる、三弦トラス構造で作られた鉄橋で、鉄道用橋梁としては国内唯一の構造様式なのだそうです。
残念ながら、橋の側に近寄る手段はなさそうです。

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富良野芦別道立自然公園。
三弦橋を見ようと訪れてみましたが、公園というか休憩所のような感じでした。

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公園内にあった看板。

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公園の側にあった道路脇のトンネル。
これも、おそらく鉄道で使われていたのではないかと。

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かつての南大夕張駅跡。
当時、走っていた機関車も展示されています。
また、すぐ側にシューパロダムのインフォメーションセンターがあり、昔の大夕張地区の資料なども見せてもらえます。

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かつて、大夕張鉄道を走っていた機関車が展示されています。
鉄人28号を思わせる表情が、ちょっとかわいい?
三菱大夕張鉄道保存会のホームページ

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木製の車両は、まるで銀河鉄道999の客車を彷彿とさせます。

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夕張市南部市民体育館。
見た目は廃墟っぽいけど現役です。
市民体育館の陰に隠れるように、炭鉱事故の慰霊碑も奉られていました。

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なかなか年代物な雰囲気のバス。

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大夕張炭鉱で事故が起きたときの慰霊碑。

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大夕張から清水沢へ戻る途中に発見。
スーパーマーケットのような建物だったけど、正体はわかりませんでした。

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かつて、ここには北炭の夕張新炭鉱があったことを示す看板。

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夕張新炭鉱通洞口。
藪に覆われてわかりづらいですが、通洞口の門が見えます。

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通洞口は鉄柵で閉鎖されています。

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夕張新炭鉱での事故の慰霊碑。
ここで起きた炭鉱事故のあらましはWikipediaで読むことができます。

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通洞口のあたりから夕張市街を見下ろしました。

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真谷地にも炭鉱施設の跡地が残っているというので訪れてみましたが、すでに解体されていました。


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