最長版の上映
1953年に『女ひとり大地を行く』が公開されてから50年余り。2008年12月、国立フィルムセンターで「生誕百年 映画監督 亀井文夫」が企画され、『女ひとり大地を行く』が上映されました。
しかし、このときに上映されたのは164分のバージョン――これまで全国で上映され、ソフト化されたものは132分だったはずなのに。32分もの差があります。
このときに上映されたのは映倫による削除要 . . . 本文を読む
朝鮮戦争の影響
全面協力を得られるはずが、炭鉱会社を批判する内容ゆえに施設の使用を断られ、さらに63日のストに巻き込まれて三つの炭鉱を転々とすることになった本作。
会社が出炭目標を掲げているシーンがある一方で
労働強化に反対するビラを貼り出すシーンがあったりします。
それでもなんとか難産の末に撮影を終えたのですが、公開までにはまだ難所がありました。
【『女ひとり大地を行く[ 最長 . . . 本文を読む
作中の場所について
夕張市を後にした撮影隊は、釧路市の太平洋炭鉱、旧阿寒町の雄別炭鉱で撮影を続行。夕張市では撮影できなかった坑内や炭鉱設備のシーンを撮影をしました。
坑内や機械を使っているシーンは、このときに撮影されたと思うのですが、具体的な撮影場所を示す資料は見つけられませんでした。
手掛かりとしては、太平洋炭鉱では【益浦斜坑の坑内撮影、選炭場、別保にセットを組んでロケ】をしたとあるので、 . . . 本文を読む
作中の場所について
1952年の夕張市内を撮影しているのですが、現在となっては当時の風景をまったく想像することもできません。そこでブログ「あの頃の夕張を求め」で本作を取り上げた記事を参考にしました。今となっては失われた風景ですが、こちらのブログの解説を読むと、当時の風景が目に浮かぶようです。素晴らしいブログなので、ぜひご覧ください。
作中で、子どもたちが通う学校は東山中学校だったそうです。現在 . . . 本文を読む
1950年代の夕張市の様子を捉えた『女ひとり大地を行く』。本作の聖地巡礼――撮影場所について書こうとすると、どうしても時代背景や撮影当時の出来事について触れなければなりません。
ただ、それを書き始めると途方もない量となってしまいます。そこで本記事では「時代」「労働組合」「炭鉱会社」の三つに絞って簡単なあらましだけ書きます。
時代
本作は1952年9月から撮影を開始しました。撮影前後の出来 . . . 本文を読む