風吹く豆腐屋

内容はいろいろ。不定期更新中。

僕は正しくなまれない

2009-12-29 01:38:29 | Weblog
今実家に帰っています。

思っていた以上に「坂の上の雲」ブームが起こっているようで、少し驚きました。
特に、出身は愛媛だけど今は他の場所で住んでいる人が方言を懐かしんでいるみたいです。

ただ、最初にあの番組を見たとき、少し違和感を感じました。
あのドラマ中の愛媛の方言は今の伊予弁とは少し違うんです。

例えば、「坊っちゃん」にもでてくる「ぞなもし」という言い回し。
これは方言としては死語であり、今時そんな伊予弁を耳にすることはまずありません。
ドラマは当時の言葉を再現しようとしているようなので、
違和感が生じても仕方のない所はあるのでしょうが・・。


岡山に移り住んだ時に最初に気になったのは、「じゃろ」という言葉。
(おそらく「じゃろ」も現在の愛媛では死語となった方言)
今では何も思わなくなりましたが、
あの頃は聞くたびになんか田舎っぽいなぁと思ったものです(ごめんなさい、岡山の方々



「あのドラマ、『じゃろ』とか『ぞな』とか
今は使わない方言が多用されすぎてるよね?」と家族に言ったら、
「ぞな」だったら伯母さんも使っているじゃないか、と反論されました。

・・・そういえば。


僕は中学時代、つとめて方言を喋らないようにしていました。
おまけに、母を育てた祖父母が関東の人間だったために、母の伊予弁もなんか中途半端。

そのために、今の僕は正しい伊予弁がすっかりしゃべれなくなってしまいました。
 

昔と違って、好ましいものとして評価される方言。
幼いうちにもっと方言にどっぷり浸っておきべきだった・・と
妙な後悔をするこの頃です。

つまみぐい的信仰

2009-12-24 13:51:55 | Weblog
宗教と関連のある本を2冊読みました。


●三浦綾子 著「塩狩峠」

少し前に、うちにある文庫はまとめて処分した(古本屋でALL10円)んですが、
これはまた読むこともあるだろうかと思って残していました。

この小説は作者自体がクリスチャンで
信者の会報誌に連載するために書かれたものなので、
当然ですが、キリスト教がよいものとして描かれています。

別にそれに異を唱えるわけではありません。
原罪の思想とか共感できる考え方もたくさんあります。

ただ、どうしてもついていけないところがあるんですよね。
読んでいて、痛いところをつつかれたような気分になりますが、
それで自分が間違っていると考えることはできません。

例えば、「自分がよい人間だなどと考えるな」という教えが何度も出てきます。
驕るなかれ、全ての人間は本質的には対等、というメッセージなのは分かるんです。

でも、ホームズやニーチェが言うように(この二人を同列に上げるのはどうなんだろ)
「謙遜は間違った行為であり、自分を正当に評価することこそ大切」
という考え方のほうが、個人的には好きです。

小説の中では、神や聖書にある言葉は全て正しい、というような
盲目的な信仰が描かれているので、そこに反発を覚えるのかもしれません。

小説としては心理描写がとても巧みで読み応えのある1冊だと思います。


●南直哉 著「老子と少年」

こちらは仏教です。
禅僧が書いた対話形式の小説ということですが、
内容は「老子」と「少年」の問答だと思ったほうがいいです。
薄い文庫で340円でした。
こんな書き方すると怒られるかもしれませんが、
少なくとも缶コーヒー3本分の価値はあります(笑)

この本のいいところは宗教色が薄いこと。
具体的に名前を出しているわけではありませんが、
キリスト教などと対比させることで、
禅宗(もしくは筆者自身)の考え方のオリジナリティを際立たせています。

ただ、この本も僕の感じ方とは相容れない部分があります。
例えば、この前の記事で、
ある人の不幸に比べれば自分の経験する悩みなんて・・と書いたけれど
そういう比較はできないし、しても意味がない、とバッサリ。

言いたいところは分かるんだけど、なんか現実的でないよなぁ、と思ってしまいます。

この本の基調は、無、といったところでしょうか。
自分の考え方とは違うからこそ、面白いと思わせてくれる本です。



世界的に見て、信仰を持たない人間は蔑まれると言いますが、
たくさんの宗教が混在している今の日本の状況もひとつの文化。
面白いと思ったところをつまみ食いするのもいいんじゃないかと個人的には思います。

 




クリスマスは恋人と過ごすものだという
日本独自の風習は強迫観念である、と少し前の新聞にありました。

言いえて妙とはこのことか・・

玉結び

2009-12-23 03:26:32 | Weblog
白衣のボタンが取れたり、スラックスに穴が開いたりしたときに
自分で針と糸を使って補修するようにしています。

頼めばやってくれる店もありそうだけど、
このくらいは自分ですべきレベルだと思うんですよね。
 
結果からいうと、見てくれは悪いものの直すことはできます。
問題はものすごく時間がかかること。
玉結びや玉止めが上手くできないんですよ・・恥ずかしながら。

うろぼえな記憶に頼らずにネットで調べたらいい話なんですが
小学生でもやってのけることじゃないかと思うと、意地になってしまいます。


長らく針や糸に触っていないそこのあなた、玉結びや玉止め、できますか?

肉じゃが作った。

2009-12-21 23:26:16 | Weblog
忙しいとき、時間が無いと言い訳をする。
暇なとき、いつでもできると後回し。

・・・あぁ、人間って怠惰な生き物。

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 



思うことあって肉じゃが作ってみました。
割とおいしくできました。
(ちなみにこれで2人前です。当然一人で食べたけど。)

肉じゃがは、東郷平八郎がビーフシチューを再現しようとしてできた料理らしいです。
あくまでも説に過ぎませんが、そういう逸話って面白いですよね。

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

久しぶりに「アフターダーク」を読みました。
話の展開に驚き、同時に笑ってしまいました。
その理由は省略しますが、不思議な偶然があるものだなぁとしみじみ思います。

一体誰に

2009-12-16 23:33:18 | Weblog
一体誰にどんな権限があって彼らの幸せを奪うんだろう・・?

衝撃的な光景、状況をたくさん目にしました。
取るに足りないことでくよくよできることがどれだけ「幸せ」なことか、
思わないではいられません。

4つの小話

2009-12-15 01:27:42 | Weblog
前回無味乾燥な記事を書いてしまったので、
今回は医学にまつわる小話を4つ。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

●ヒステリー

ヒステリーは古くから女性の病気と考えられてきました。
言葉からもそれがうかがい知れます。
というのも、ヒステリーという言葉と
子宮を意味する「hystero-」という接頭語の語源は同じなんです。
(ヒステリーが子宮だという意味だなんてちょっとびっくりじゃないですか?)

ただし、最近ではヒステリーと言う言い方は一般的ではありません。
「解離性(転換性)障害」という診断名(広くは「神経症」)へと変わっています。
「ヒステリー」という言葉にはマイナスイメージが強いからとのことですが
語源のことも多少は考慮に加えられているんじゃないかな・・・


●ベートーヴェンの難聴

スパルタだった父に殴られたことによって難聴になったというのは古い説。
今最有力なのは、梅毒で難聴になったという説なんだそうですよ。
梅毒という性感染症のイメージが強いですが、
垂直感染(ここでは胎児の時に母親から感染すること)もあります。
ベートーヴェンの場合も、性交渉によって感染したのではなく、垂直感染のようです。
根拠もちゃんとあります。
例えば、顔。
ベートーヴェンといえば、強く突出した前額、
深くくぼんだ鼻根部、鞍鼻が思い浮かぶと思いますが、
これは先天性梅毒に特徴的な顔貌なんだそうです。
そして何より晩年彼を悩ませた難聴。
これも幼いときに殴られたことに起因するのではなく、
梅毒が進行して現れた症状だと考えたほうが理にかなっています。

それにしても抗生物質の普及したこの現代ではもはや梅毒は過去の病気。
様々な症状とか検査法とか覚えるの大変だけど、きっと要らない知識・・。


●ドライアイスの効能

脱毛症に対して、ドライアイスを使うことがあるそうです。
今日、実際に外来で使われていました。
脱毛症ではリンパ球が毛根を攻撃しています。
そこで、ドライアイスで患部を刺激することで、そちらにリンパ球を向かわせ、
毛根への攻撃を和らげる、とのことでしたが・・・ほんとかな。

(これは高度に専門的な治療だから、いい子は真似しちゃだめだよ?)

他に、やはり脱毛症の治療として、
頚部(詳細は忘れた)への赤外線照射をしているのも見ました。
脱毛症の治療って実にたくさんあるみたいです。

とりあえず分かったこと。

抜け毛が気になり始めたら、皮膚科にいこう。


●チャイコフスキーの死因

1893年11月6日にコレラで死んだことになっていますが、
これは実はヒ素による服毒自殺だったのではないかと言う疑惑があります。

その根拠は、以下の3つ。

1)当時コレラなら隔離されたはずなのに、見舞い客が絶えず訪れていたこと
2)嘔吐と下痢で汚れたシーツが焼却処分されていないこと
2)当時コレラの死者の棺は密封されたはずだが、
棺が空けられたまま数百人の弔問客が遺体の顔や手にキスしたこと

wikiでは否定されていますが、この3つの話が本当なら僕はヒ素説を支持します。
(コレラで尿毒症と肺気腫起こるって書かれてるけど、
そんな経過は一般的じゃないし、そもそも肺気腫じゃ普通死なんだろう・・)
 
当時の同性愛は市民権剥奪された上にシベリアに追放されるほどの重罪。
自殺を迫られても不思議じゃないと思うんだけど。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 


この中で一番重要なのは3番目の結論かもしれない・・。

「かぼちゃ畑の真ん中で誰かがつぶやいている牧歌的なひとりごと」

2009-12-13 22:14:50 | Weblog
タイトルは「スプートニクの恋人」あたりに出てきたお気に入りのフレーズ。
なかなか素敵な表現だと思いませんか?
比喩として出てきただけですが、その情景が目に浮かぶようです。
何をつぶやいたかまでは想像するしかないけれど。


さて、話は変わって今日の晩御飯の話。

至って普通のカレーを作るべく近くのスーパーに買いに行ったんですが、
信じられないことにタマネギが売り切れていました。
(タマネギが売り切れるって一体どういうこと?)

どうするか非常に悩みましたが、結局カレーにしました。
冬至が近いということでたくさん並んでいたカボチャを代用することにして。
(カボチャの入ったカレーって時々あるよね?)

カボチャは、今までほとんど調理したことがない未知の素材。
とりあえず電子レンジで加熱してから切って煮込んでみました。

結果。

ルーを溶かし込んだら、一緒にカボチャも溶けました。
電子レンジ+煮込みは少々オーバーロードだった様子。

粘性の高いカレーが出来上がりましたが、これはこれでありでした。


まだ8分の1個残っているんだけど・・・どうしようかな。




最後は全く関係のない余談。

今日は外に飛び出してハイキングしてきました。
やっぱり適度な運動は気持ちがいいです。

そのときに偶然見つけた看板。
内輪ネタになるけれど、これちょっとすごくない?



真ん中の足跡っぽいのは、"ダル" と読むに違いない。



アンビバレンス

2009-12-10 23:46:47 | Weblog
ambivalence。両価性。

相反する感情を同時に抱く「病的な」心理状態。
教科書的には統合失調症などで見られるとされる。

でも、それは果たして病的か?

逆に聞きたい。100パーセントの感情なんて存在するのかと。
世の中の大半の人は、73%とか28%みたいな生理的な数字を生きているんじゃないのか?
僕にはそんなものが存在するとは思えない。

そんな空想上の産物がもし存在するなら、バクにでも食べられてしまえばいいんだ。

罪と罰

2009-12-09 23:31:10 | Weblog
今、実習が暇なのをいいことに 「罪と罰」を貪るように読んでいます。

・・・異常なほどに面白いんです。

いわゆる名作というのは敷居が高い感じがしますが、
今の僕にとってこの本はまさにエンターテイメント。
読みながら快感のようなものさえ感じます。
 
何がいいってまずは主人公の壊れ方―。
そして壊れた主人公の気持ちが手に取るように分かる点。
亀山郁夫は中学の時点でシンクロしてしまったといっていたけど、
僕は今の年になってようやくできるようになりました。

下巻に入って少し大人しくなった主人公。
今後の展開が主人公に与える影響を肌で感じながら、残りを読み進めていこうと思います。

「文中から10字以内で抜き出しなさい」

2009-12-05 04:59:57 | Weblog
中2のときの国語の試験で、
「傍線部と同じ意味で使われている表現を、文中から10字以内で抜き出しなさい」
というような問題が出題されました。

肝心の問題の内容は忘れてしまいましたが、
確か解答は「抑えきれない生の衝動」でした。


 
その試験を返却するとき、先生が言いました。
「学年に一人だけ、『生』にりっしんべんを付けた奴がいたぞ」



しょうもない間違いであることは否定できませんが、
考えようによっては、なかなか興味深い間違いでもあります。