今晩は大分以前に録画したTV映画番組を観ていました。題名くらいは書かないと何がなんだか解らなくなるのでここにお知らせします。
「幸せのちから」、ごく普通のアメリカ映画でした。その映画の冒頭で、inspired by tue story とあったからなおさら心に響いたのかもしれません。父親が一人息子の面倒を見ながら最後はハッピーエンド。ただそれだけの話でしたが、私にはそのハッピーエンドが誰よりも強く理解できた気がしました。題名からしてどうせハッピーエンドで終わるのであろうから最初は何も期待しないでうつらうつらと画面を眺めていました。
ところでなぜ、取り立てるほども無いストーリーをそれほどまでに私を感動に導いたのでしょう。多分今の自分が本当の幸せを捜し求めてさすらっていたからなのかもしれません。周りから見れば何不自由無い生活をさせてもらっているのに そんな贅沢な話があるのでしょうか。人の心は外見だけではつかめません。心の奥底が病んでいる場合にも必死に幸せ探しをするものです。ブログとは一応公の場所ですから個人的な悩み事を打ち明けてどれほどのたしになるのでしょう。
思い通りに事が運ばなければ、誰しも不満を感じます。しかし何事も思い通りに事を進めたい。とは何と自分勝手な発想でしょうか。例え親兄弟であろうと夫婦間であろうと所詮は別人ですから一から十まで同じ考えが沸き起こる事は無いはずです。そこで考えなければならないのが妥協なのでしょうか。自分を曲げてまで相手の考えを通してあげる事が本当に他人を思いやっている事なのでしょうか。
私はこう考えます。もし相手の立場に立って物事を考える事ができたら、常にそれくらいの心の余裕を持っていたら妥協に至らないまでも相手の気持ちを十分に尊重する事はできるのではないでしょうか。現代人はこんな簡単な事がけっこうできないのだと思います。簡単に妥協はしてしまうくせに 後に悔いを残さない結末を得るのが本当に苦手なように思えてなりません。
小さくは家庭内の問題、広範囲に考えれば国際問題に至るまで このような基礎的な考え方を忘れがちになっているように思えてならないのです。
しかしあの映画で本当に訴えかけたかったのは、「幸せは 勝ち取るもの」。
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