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★このブログは、私の長年の夢を叶える過程を記録してきましたが、
2007年5月末に思いを実現する事ができました。

ブログで、こんな事を書いてもよいのでしょうか?

2013年02月28日 19時57分40秒 | つぶやき

私はずっと以前から気が付いていました。プラス志向の生活をしてはいけないという事を。
決して向上心を失くせと言っているのではありません。それが無くなったら人生は終わりですから。
ある時を境として私は身の回りに物が溢れている事に気が付いてしまいました。尋常ではない状態にあったのでした。趣味の物そして生活に必要と思われていた物まで動きが取れないほど積もってしまいました。人は何か不都合を感ずるとすぐに物に頼ってしまう傾向があります。もちろん私もご多分に漏れず現状の困った状態に陥っていました。以前は財産持ちがステータスと感じ憧れであり他人をうらましがったりした時期もありました。
今の自分は巷で言うのとはちょっと違うかもしれませんが、物、物、ものに溢れた財産持ちの生活をしていました。書店に行くと近年物の整理に関する話題を大きく扱った書籍を沢山見かけるようになりました。身の回りが綺麗に整頓できて心地よい生活さえできればそれで良いのでしょうか。昔は家に蔵を建てそこをいっぱいに満たす事を良しとしていたようです。流石に我が家には蔵はありませんが立派な物置はあり最近ではその中が趣味の物でいっぱいになっていました。
人生を振り返ってみて、確かに私は恵まれた側の生活をしてきました。贅沢三昧をしてきたというのではありませんが 時には明日の食べ物にも心配した時期だってありましたがなぜか周りの人々が皆で助けてくれて生活が悲しいと思った事さえありませんでした。喉もと過ぎれば熱さを忘れる、の例えのようにそんな時期も何時しか過ぎ去り、又元の木阿弥に陥ってしまっていたのです。

本当に身の回りに何でも揃っていればそれで便利な生活ができ満足できる人生が送れるのでしょうか。ひと時落ち着いて考えてみるとあれが無くても生活ができる、これが壊れてもなんら不便は感じない。そんな事を感ずるのは本当に私だけでしょうか。しかしそのような事を考えるのは物を持つ者のおごりだと思います。近年東日本大震災で津波等により身の回りの物すべてを流されてすべてを失った方々も同じ考えができるのでしょうか。

やはり本当に必要な物、どうしても手元に揃っていなければならない物は必ずある筈です。そこまで考えを遡って本来のあるべき姿を、幸いにして災害や不幸に見舞われなかった人たちもたまには、一度でよいから考えてみなければならないのではないでしょうか。先ずは私がそれを真っ先に考えなければならない側の人間です。

話の飛躍になってしまうかもしれませんが、最近私はお金と言うものに全く執着しなくなりました。以前はいくらあっても足りなかったはずのお金です。こんな話をするのは以前とてもはしたない事と話題にする事も控えていたつもりでしたが やっとこの歳に至ってそんな境地に達するようになりました。一つには物に対する執着心が極端に無くなったからだろうと思います。毎日食事はしなければなりませんし時には医者にもかかからなければなりません。やはりそんな時にお金と無縁になる事はできないのでしょう。
そんな生活が続いていく中で、必要に迫られて何か新しいものを購入する時、本当にその必要性有用性を考えるようになりました。そして信じられない事に、たいていの場合その物が今不要である事に気が付いてしまったのでした。そうして物を増やす事だけを押さえてもまだまだ物事解決できません。そうなんです、いかに現在身の回りに存在する物を整理していけるかが勝負なのですから。

 


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