政界観察ブログ

政治ブログ。地元山梨県を中心に公開情報をもとに政治家を観察するブログ。有権者として国政で働く政治家の活動を厳しく観察。

赤池まさあき と 宮川典子 山梨新報引用

2013-07-23 00:06:34 | 政治、経済、ニュース
山梨県内のニュースを独自の視点で解説。


2011.9.16 


卒塾生

 当時は3年制。1年時に月20万円、2、3年時は25万円の研修費が支給された。研修に必要な交通費は実費支給。さらに研究成果を発表する2年時の審査会で合格すれば上限150万円の「活動資金」が上乗せられた。彼女は140万円支給されたという。だが寮費や食費、全国の研修先での宿泊費や書籍代などに当てると「貯金を取り崩すほどアシは出た」と笑う。松下政経塾28期生の宮川典子氏である。本県出身の卒塾生は先の参院選に出馬した同氏(自民)と、7期生の赤池誠章元衆院議員(同)の二人。政経塾から初の総理大臣が誕生し、改めて塾の存在にスポットライトが当たる。
 赤池氏は創立者の松下幸之助氏から直接薫陶を受けている。当時既に90歳。車椅子に乗って茅ヶ崎にある塾をしばしば訪れていたという。だが「特別何かを教えていただいたことはなかった」と述懐する。むしろ塾生の研究内容の報告や意見に熱心に耳を傾けていたことが多かった。「翁の教えとは塾訓の『自修自得』の通り。教えていただくのではなく自ら修め、会得することだった」。それでも1回だけ、こっぴどく叱られたことがあった。「何かの拍子に塾生が清掃について発言したら、『掃除ひとつできないのか!』と突然、テーブルの上のコーヒーカップを叩いて怒った。驚いたが、基本をおろそかにするなという教えだったと思う」と振り返る。政経塾の存在は、自民全盛だった当時、「地盤、看板、カバン」を持たない政治家志望の若者たちの大きな後ろ盾となった。赤池氏も同様。ただ同氏にとっては中選挙区制から小選挙区制に移行する狭間の政治デビューだったこともあり、政党選択は二者択一を余儀なくされ、結果的に複数政党に身を置くという紆余曲折を経た。5度の国政選出馬も当選は2005年総選挙の比例復活1回だけ。だが32歳の初陣から18年。後援会長に天野丈重元県出納長を迎え、いよいよ次期衆院選に向けた活動を本格化させる。「50歳となり(政治家として)正念場に入った。再度原点をみつめ、きちっと運動を展開したい」と話す。
 おぼろげな記憶だが「卒塾生がこれだけ国会議員になったのに、なぜ日本は変わらないの?」。そんな質問だったという。「先輩」は右隣に座った。OBも交えた懇談会。宮川氏は当時を懐かしみながら「こんな青臭い質問に、目の前の食事に手も付けずよく聞いて冷静に答えていただいたのを覚えている」と振り返る。「先輩」とは現首相・野田佳彦氏。その誠実さゆえ新首相として「前任者たちと比べれば格段に期待できる」としながらも、「内閣のリーダーとしてどこまで課題をさばけるか問題を抱えている」と、派閥均衡人事や早くもほころびを見せる〝適材適所〟人事に批判的視線を送る。政経塾での3年間は、自らの研究テーマと同期生との共同研究を抱えながら、翁の精神を学ぶ塾主研修、卒塾生らの選挙をサポートする政治実習、一次産業の現場研修やパナソニックグループでの製造実習、さらに合間の座学と多忙を極めた。だが「多くの人に視野を拡げてもらった3年間だった」と話す。一方で「塾では『30年先のために何をすべきか』との視点が原点だった。ちょうど来年3月、30期生が卒業する。創立以来、多くの政治家を輩出したが、はたして日本を進歩させることができたのか検証する大きな節目となる」と言い切る。宮川氏自身、次期衆院選など国政選再挑戦に意欲を見せている。次は政治生命を賭けた戦いとも自覚する。流動的な区割り、手腕は未知数と言っていい党県連新体制の中で、どう歩を進めていくか、赤池氏の動向と共に注目される。

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