黄昏れて独り

ここで歩いて行きましょう。
提供は「豚型湯たんぽ夏用セット」でおなじみの偽ミドリブタ本舗でお送りします。

国民のための議員を応援し、若者を励ます。増税反対・再稼働停止!

2012年06月25日 16時28分45秒 | 全原発停止を!

アクセスに

深く感謝いたします。


この時期に増税などふざけた話だ。

福島の原発事故が収束のめどさえなく

誰一人として原子炉の内部掌握さえできないのに

大飯原発の強制再稼働など

国民生活を破綻に招く。

ヒッキーじゃあないけど

メルトダウンより停電の方がいいのはわかっているのに。


ここに立ち上がった

多くの若者と

勇気ある

国民のためを選択した

民主の議員に贈る拙文。

民主の真の議員と

官邸デモや船橋のデモをはじめとする「行動する若者たち」に贈る

 

「紙風船」「シャボン玉」から

   紙 風 船   黒田 三郎
落ちて来たら
今度は
もっと高く
もっともっと高く
何度でも
 打ち上げよう

美しい
願いごとのように


  しやぼん玉  野口 雨情
しゃぼん玉 とんだ
屋根までとんだ
屋根までとんで
こわれて消えた

しゃぼん玉 消えた
飛ばずに消えた
うまれてすぐに
こわれて消えた

風 風 吹くなしゃぼん玉
とばそ

 紙風船は夢や希望を表している。
しゃぼん玉も同じ夢や希望を表している。
紙風船は引力によって落下する。
引力は現実であり、
壁にぶつかっても何度でも同じ夢・希望を打ち上げる、
無理なら違う夢・希望をあきらめずに打ち上げる。
 一方、しゃぼん玉は現実にぶつかって夢・希望が消滅する。
しかし、
次から次へと、
同じ夢・希望を吹き上げる。
また、
無理なら異なる夢・希望を吹き上げる。
 大正九年に雨情によって作られた 「しゃぼん玉」。
 一九六四年発行、詩集「もっと高く」に所収された「紙風船」。
大正と昭和との時代の差こそあれ、
これらは若者への応援歌として共通するものがある。
  雨情が、黒田が、
挫折し絶望し、人生の苦悩の中、
どん底からはい上がろうと、
創作の無限地獄に陥ながらも自らをも励ました、
自分への応援歌であり、
若者への励ましである。
恥ずかしげに、何気なく、つぶやくような雨情のこの詩も、
頑張れ頑張れと強く励ます黒田の詩にも、
自分を鼓舞し悩む若者への励ましと考えるのは私だけなのだろうか。

 挫折と苦悩に命をすり減らした、
私の好きな「石川藤木」の「一握の砂」「悲しき玩具」とは、
ここで比較するのもおかしいが、
この視点から見れば根本が違う。
啄木は年おうごとに、
自分の才能を認めてくれない世の中を恨み、
現実を知るたびに夢が、
まるですくい上げた手のひらの砂が、
指の間から落ちて消えてゆく様を、
絶望の局地から自己表現のみに終始し、
他人を恨み、
自虐の道へと落ちていった。
そこには、他人への思いやりはそれほど見られない。
若い頃のみずみずしい情熱は、
年を追うごとに社会と現実に消えていった。
希望は、
たやすくかなえられるものではなく、
常に挫折との戦いの中に存在する。
希望と落下、
希望と消滅は、
表裏一体であり、
希望が大きければ大きいほど、
強く打ち上げるものであり、
一度きりの挑戦ではかなわぬものである。
閉塞感のある今だからこそ、
あえてこれからの社会を担う若者達に贈りたい。

魯迅の故郷の最後にあった言葉をも
併せて贈りたい。

 「希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。」

がんばれ若者たち。

がんばれ民主の

国民のための議員たち。

がんばれ三宅!!!!


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (とむ丸)
2012-06-25 19:32:46
きれいな花の写真と一緒に知らない詩まで、ありがとうございました。
若い人を応援したいですね。

花はタイサンボク、キスゲ、カラー、あと一つはひまわりですか?
花の名前がわかりません (kimekime)
2012-06-25 20:25:59
とむ丸様

政権交代を叫んでいて
色々あってここに隠居のような生活です。
ウヨウヨ対抗は頑張りますが
弾が後ろから飛んでくるばかりで
こんな風にひっそり生き延びてます。

ひまわりの亜流のような花だけは
わかりません。
タイザンボクは人間の顔ほどの大きさでした。

いつも
ローリング・ビーンさんと
お二人のツイートは見てますよ~!

お元気で!

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