
アクセスに
深く感謝申し上げます。
反原発と辺野古埋め立て反対は
論が抽象的で
このブログの読者には
反対のみを叫ぶ感情的なものと
考えておられると推測している。
確かに
今そこにある原発をすべて廃炉にしろ!
というのは経済学的には暴論である。
が
物事をもっと単純化すると
核を制御できず
処理すらできない物を
科学として礼賛するのが
人類の幸福をもたらすのか
はなはだ疑問である。
科学の発展が
人類に罪をもたらす事実を
ヒロシマとナガサキで体験し
平和利用と
経済性で原子力発電増設路線を爆走し
”想定外”という事故を現在の科学では
制御仕切れていない。
”核”と言う問題を
被害者として叫び
”核”という輝かしい未来の予想図を
逆説的に創造してしまった今
我々は”核融合”と”核分裂”の恐怖を
再認識するべきである。
制御不可能の物を礼賛する科学に
罪の意識を知るべきである。
科学の原罪を
きちんと認識することが
重要なのである。
とはいえ
科学の進歩を否定することではない。
莫大なエネルギーを生産し
それを浪費し
そのことによって
習得した生活を
原始の世界に戻ることなど
できないしありえない。
しかし
負の遺産として
経済的損失であれ
生活を脅かす物は
封印すべきである。
その人類の愚かさを
被害と加害の両側面で証明した
原子力を
私たちが他の国々に
教える義務が
人間としての
道なのではないか。
辺野古にしても
普天間存続で物を述べるつもりは無い。
何故にオキナワにそれだけの米軍の武力が必要なのか?
答は単純で中国の武力が問題だからである。
しかし
中国の武力の脅威のために
そんな理由で
自然豊かな辺野古を埋め立てるという
論理こそが間違っていると考える。
何故基地が無人島にないのか?
軍隊の浪費が街で行われるから。
そもそも
戦争を抑止するための増強が
何を創造するのか?
軍備増強のために
アメリカは行き詰まっている現状で
人は偉大なる浪費である軍備を
何故に求めているのか。
歴史から
何故学ぼうとしない。
中国が今の体制を
この先どの程度維持できるか?
人件費の高騰で
もはや生産から消費地に転嫁している現状で
軍備増強をどこまでできるのか?
それを許せるほど中国人民は
愚かなのか?
否
現実を知らないだけである。
どんなに統制しても
ネットで世界を知り始めている。
物欲はとどまるところを知らないが
経済の発展は知的欲望も創造する。
共産党支配があっちこっちでほころんでいる今
中国にあえて張り合う必要はありますか?
私たちは逆に
ネットの利点を利用して
食の安全
公害の恐ろしさ
民主主義の基本
そういった物を教えれば良いのでは有りませんか?
単純に
中国の脅威のための辺野古を
私たちは必要とし
大自然を失って良いのか?
にんげんが作ったの最大の脅威が原爆と原発事故なら
にんげんの一番愚かな単純馬鹿は自然破壊では無いのか?
生産のためでは無く破壊のための自然破壊など
これこそ愚かの証明だ。