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黄昏れて独り

ここで歩いて行きましょう。
提供は「豚型湯たんぽ夏用セット」でおなじみの偽ミドリブタ本舗でお送りします。

「マホガニーの部屋」から「翳りゆく部屋」に

2011年12月25日 15時58分06秒 | 日記

かつて
渋谷山手教会の地下に
ジャンジャンというライブハウスがあった。
記憶が定かでは無いが1974年頃の思い出。
昭和49年と覚えている。
ここでユーミンのコンサートが行われた。
ブレ・バタや吉川忠英さんとのジョイントも
おこなわれていたが
新宿のルイードはこの後の時期の出演だと記憶する。
そこから紀伊國屋ホールそして
学園祭周りで杉野ホール・神田共立、
有名になって日比谷公会堂とキャパの大きい会場に出て行った。

そのジャンジャンの頃、
「マホガニーの部屋」という曲があったが
この曲だけはミスリムの中に入っていなかった。
故林美雄がパックを首になって
その時贈った曲が「旅立つ秋」だから
記憶に間違いは無いと思う。

マホガニーの歌詞は???
”灰色の夕暮れがそっと / 私に訪れた時 /
私は部屋のドアを開けて /
ランプに暗い灯をともす”
”冷たいシーツに足をのばし /
闇の世界の入口で /
私の静かな友達を /
ただひとり迎え入れる”
旋律も若干違っていたと思う。
この辺は
ファンクラブ1番の亜矢chan(だったかどうか忘れた)
猪狩や中世、山岸・小坂達がファンクラブを創ったから
この辺の人は覚えているとは思うが。
当時中学生だった小林少年は
学生だった私には
この年齢のこの感性を!と驚いたが

そんな事はこっちにおいて
”マホガニーの部屋”は上記のように歌詞が代わり
目白のカテドラル教会のパイプオルガン(今のでは無く当時の)を使った
壮大なイントロで始まる
”翳りゆく部屋”と曲名を変え、NHKホールのパイプオルガンでコンサート披露された。

アルバム”飛行機雲”や”ミスリム”時代の幻の曲は
こうしてユーミンとともに飛びたった。

阿部事務所という所がマネージメントをしていて
原盤はアルファ&アソシエイツという村井さんの会社で
東芝EMIが発売元だった。
TBSの林美雄氏に公私共々お世話になり
綾瀬から新座への引っ越しまで手伝って
その頃にアルファにバイトにはいったら
いつの間にか阿部事務所で働いていた。
私のユーミンとの直接は”14番目の月”まで。
卒業と同時にそちらとも”卒業”した。

全国ツアーにも仕事として
大学サボって行っていたし
”ルージュの伝言”は有楽町のニッポン放送の地下のレストランで
新曲発表でした。
そういえば姉の家に行けば”紅雀”の宣伝の風呂敷があるかもしれません。

そうそう思い出した。
”潮風に吹かれて”のイベントで
辻堂海岸でサーフィン大会やった!
前日乗り込みの仕込みで
辻堂の駐車場で夜を明かした。

 でも”恋人はサンタクロース”って最高だと思いません?!
ノーサイドはラグビーの松尾をイメージ化したものだった。
<思いは続くがこの稿は次に・・・>

 

文子さん・・・

私には

あなたと石渡さんの関係が

理解できませんでしたが

最近

爺になって

少しだけ思うことがあります。

はやみchanはもう30?

私ももう57です。

あなたは

新座地で走りまくっているのでしょうね。


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