2022年小星の書展が美馬市立図書館で開催されています。
9月7日(水)~10月2日(日)9:00~19:00
開催期間、今後9月27日は休館 毎週火曜日と第3木曜日は休館
61点展示されています。
本日、9月23日特別企画、学生さんによる揮毫コーナーへ楽しみに出かけ書いてもらいました。
風の駅さかもとの鴻本 浩さん、他お仲間たちも色紙に
書いてもらっていました。
小星地区の長妻 淳一さんが学生さんのサポートを
されていました。
私は二番乗りで、とても愛くるしい可愛い学生さん、
書道文化学科二年生の大畠 ひまりさんに
色紙に書いていただき、父を思い出し、
思わず涙ぐむほどの喜びでした。
とても素敵な格好いい元気のもらえる文字です。
一生の宝物、大切にします。
サイン入りです。
紹介いたします。
いつも父に励まされ、今でも思い出されるあたたかい言葉です。
小、中学生の頃身体も丈夫じゃなかったのですが、
学校へ行かない理由が先生にいじめを受けて(私が感じていた)
今から考えると、多分私が授業に集中力がなく怒られていたのと思うけど、、、。
怒られて行きたくないと理由を言うと父母は家で過ごさせてくれていた。
学校のお友達とは仲良くできていたと思う。
高校も自由に学習して、猛勉強したのは受験のため、
どうしても行きたかった。
父の知人にドクターがいたせいもあり、看護師なども思っていたけど、
身体が弱かったせいもあり臨床検査技師を勧められて、目指し
頑張り、学業も楽しく、
卒業してからもお仕事がとても好きで、病院では特にあらゆる
検体(人間の中から出るものすべて)を扱う細菌検査は
夜中まででも納得いくまで調べていました。
尿の細胞検査や、血液の細胞を調べる検査なども
やりがいのある仕事、
ある時上司との関係が悪化、ストレスも蓄積されていた頃、
朝起きたら仕事に行きたくないと思うほどになってしまい、
体調が悪いから休ませて欲しいと話すと、
診察に来て診断書を出せと、自動車で25分かかる場所、病院に来いと言う。
熱もなし、おなかが痛いわけでなく、
診察を受ける時、どう説明しようと四苦八苦して考えるも何も思いつかず、
診察室でドクターに「実は仕事したくないのです。
さぼりなんです。」と話したら、
先生、「仕事したくないはれっきとした病気ですよ。
どうしますか?とりあえず、診断書一週間の休養を要すと書いておきますか?」
診断書はドクターから科長に提出され、直ぐ実家に向かいました。
父に何かすべてを投げ出して何もかも終わりにしたい話をしたような、、、。
その時、父が言ってくれた言葉の一節、
他に、どんなに科学や文明が発展しようが貴方と言う人間を
誰も作り出すことは出来ない。
貴方がこの世にいるだけでも存在価値はあるし、
自信を持ちなさい。
家族にとっても貴方はとても大切なんだと励ましてくれました。
とても不思議だったのですが、一週間の病欠の診断書が提出されてはいたのですが、
一日休暇を取るだけで、仕事に行きたくなり、皆に大丈夫?とか言われて、
元気を取り戻す事が出来た言葉です。
色んな場面でも思い出し、子供たちにも受け継いだ言葉です。
素敵な書をひまりさん、ありがとうございました。
☆四国大学書道文化学科で指導されている
太田 剛教授の書も紹介します。
上記記載の文字が細かいので、書き出します。
太田 剛(仙鳩)
おおた つよし(せんきゅう)
題名 「静」
釈文 静 争いを靖らかに鎮める
やす しず
作品解説
ウクライナ戦争の映像を毎日のように見る。
なかなか終わりの見えない爆撃と殺人が
延々と続いて、空しい気持ちになる。
お互いの意地の張り合いが、結果的に多くの
命を死に追いやってる。
人間の歴史は戦争の歴史でもある。
戦いの落としどころは交渉によって決められた。
熱くなったら当事者たちの気持ちを鎮静化
させることで、戦いは必ず終えることが
できる。
金文「静」は農具を二人の人間が
取り合っているのを、鎮静化させる
様子を表す。
争いを鎮める様子を示した文字である。
最初に青と緑の絵具を塗って乾かしてから
そこに融けたロウで書を書き、上に墨を塗ることで
書の部分の墨がはじかれ下の紙の色が出る。
後に新聞紙の間に作品を挟んでアイロンで
熱すると、ロウが融けて新聞紙に吸い取られて
完成「ろうけつ」の書である。
太田教授のような教育者に学べていたら、こんな屈折した変な娘時代は送らなかったと、、、。今でも思う。
未だに人のせいにしてるか?
何もかもを含めて今の私があるのだけれど、
でも、反面教師を含め触れ合った人々すべてに感謝しています。
9月7日(水)~10月2日(日)9:00~19:00
開催期間、今後9月27日は休館 毎週火曜日と第3木曜日は休館
61点展示されています。
本日、9月23日特別企画、学生さんによる揮毫コーナーへ楽しみに出かけ書いてもらいました。
風の駅さかもとの鴻本 浩さん、他お仲間たちも色紙に
書いてもらっていました。
小星地区の長妻 淳一さんが学生さんのサポートを
されていました。
私は二番乗りで、とても愛くるしい可愛い学生さん、
書道文化学科二年生の大畠 ひまりさんに
色紙に書いていただき、父を思い出し、
思わず涙ぐむほどの喜びでした。
とても素敵な格好いい元気のもらえる文字です。
一生の宝物、大切にします。
サイン入りです。
紹介いたします。
いつも父に励まされ、今でも思い出されるあたたかい言葉です。
小、中学生の頃身体も丈夫じゃなかったのですが、
学校へ行かない理由が先生にいじめを受けて(私が感じていた)
今から考えると、多分私が授業に集中力がなく怒られていたのと思うけど、、、。
怒られて行きたくないと理由を言うと父母は家で過ごさせてくれていた。
学校のお友達とは仲良くできていたと思う。
高校も自由に学習して、猛勉強したのは受験のため、
どうしても行きたかった。
父の知人にドクターがいたせいもあり、看護師なども思っていたけど、
身体が弱かったせいもあり臨床検査技師を勧められて、目指し
頑張り、学業も楽しく、
卒業してからもお仕事がとても好きで、病院では特にあらゆる
検体(人間の中から出るものすべて)を扱う細菌検査は
夜中まででも納得いくまで調べていました。
尿の細胞検査や、血液の細胞を調べる検査なども
やりがいのある仕事、
ある時上司との関係が悪化、ストレスも蓄積されていた頃、
朝起きたら仕事に行きたくないと思うほどになってしまい、
体調が悪いから休ませて欲しいと話すと、
診察に来て診断書を出せと、自動車で25分かかる場所、病院に来いと言う。
熱もなし、おなかが痛いわけでなく、
診察を受ける時、どう説明しようと四苦八苦して考えるも何も思いつかず、
診察室でドクターに「実は仕事したくないのです。
さぼりなんです。」と話したら、
先生、「仕事したくないはれっきとした病気ですよ。
どうしますか?とりあえず、診断書一週間の休養を要すと書いておきますか?」
診断書はドクターから科長に提出され、直ぐ実家に向かいました。
父に何かすべてを投げ出して何もかも終わりにしたい話をしたような、、、。
その時、父が言ってくれた言葉の一節、
他に、どんなに科学や文明が発展しようが貴方と言う人間を
誰も作り出すことは出来ない。
貴方がこの世にいるだけでも存在価値はあるし、
自信を持ちなさい。
家族にとっても貴方はとても大切なんだと励ましてくれました。
とても不思議だったのですが、一週間の病欠の診断書が提出されてはいたのですが、
一日休暇を取るだけで、仕事に行きたくなり、皆に大丈夫?とか言われて、
元気を取り戻す事が出来た言葉です。
色んな場面でも思い出し、子供たちにも受け継いだ言葉です。
素敵な書をひまりさん、ありがとうございました。
☆四国大学書道文化学科で指導されている
太田 剛教授の書も紹介します。
上記記載の文字が細かいので、書き出します。
太田 剛(仙鳩)
おおた つよし(せんきゅう)
題名 「静」
釈文 静 争いを靖らかに鎮める
やす しず
作品解説
ウクライナ戦争の映像を毎日のように見る。
なかなか終わりの見えない爆撃と殺人が
延々と続いて、空しい気持ちになる。
お互いの意地の張り合いが、結果的に多くの
命を死に追いやってる。
人間の歴史は戦争の歴史でもある。
戦いの落としどころは交渉によって決められた。
熱くなったら当事者たちの気持ちを鎮静化
させることで、戦いは必ず終えることが
できる。
金文「静」は農具を二人の人間が
取り合っているのを、鎮静化させる
様子を表す。
争いを鎮める様子を示した文字である。
最初に青と緑の絵具を塗って乾かしてから
そこに融けたロウで書を書き、上に墨を塗ることで
書の部分の墨がはじかれ下の紙の色が出る。
後に新聞紙の間に作品を挟んでアイロンで
熱すると、ロウが融けて新聞紙に吸い取られて
完成「ろうけつ」の書である。
太田教授のような教育者に学べていたら、こんな屈折した変な娘時代は送らなかったと、、、。今でも思う。
未だに人のせいにしてるか?
何もかもを含めて今の私があるのだけれど、
でも、反面教師を含め触れ合った人々すべてに感謝しています。
ではなく、中妻 淳一さまです。
失礼いたしました。
そうなんですね。
今、前を向いて、自分で命を絶つことだけはせず、
生ききろうと思っています。
先生、優しく温かいコメントありがとうございます。