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田舎ぐらし(157)

 ー 年 賀 状 じ ま い ー
 
 
     庭のクロガネモチの樹
  
 近頃「年賀状じまい」などという声を聞く。
いささか寂しさを感じる。じまいは「終い」であろうし、そろそろ人生もお終いかと思ってしまう。

 なるほど現役の頃は郵便局で買ってきたハガキの山を前にしてうんざりすることも多かった。うんざりしていたのはお義理で出していた人がいかに多かったかということだろう。
 それが定年になって3年もすると出す賀状ももらう賀状もびっくりするくらい減っている。お義理はお互いさまだったと知る。真に書きたい賀状のいかに少なかったことか。

 書きたい相手として最後まで残るのは親友、真の友宛ての賀状である。真の友は望んでできるものではない。ぬかりなく計画を立てれば手にはいるというものでもない。

 例えば会社がつぶれそうになった時、死ぬほどの病気を患った時、あるいは今ではお話を伺うことも稀になったが戦場でもうだめかと思った時、そんな土壇場に臨んだ時手を差し伸べてくれた友がいたなら、それは間違いなく真の友だろう。ただの知り合いはもちろん、普段友と思っていた者でもこちらが窮地に陥れば得てして知らん顔をするものだ。

 「侠」という字がある。
男だて、あるいは義理がたいという意味である。また、男気がある人のことを侠士といい、男気のある性格を侠骨という
 中国 唐の詩人、王維は侠骨をその詩、「少年行」の中で

    「たとひ死すともなほ聞かん、侠骨の香ばしきを」

と使っている(学研 漢和大字典 学習研究社 より)

 これまでの人生、侠士と呼べるほどの友がひとりでも現れたならこれほど男冥利に尽きることはない。現れていなくても順風満帆、よい人生だったと思えばいい。

 
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