ー 商家の奉公人 ー
「江戸の暮らしと商い」 宝島社 菅野俊輔 監修
氾濫するカタカナ語にうんざりして、数日来脳は江戸の昔を旅している。
さて、西暦1600年に門戸を閉ざして以来, 260余年の間、外国軍や宗教の侵襲を受けることなく、大きな内乱も経験せず、さらに食糧を輸入に頼ることもなく3000万の人間が食いつないできた。
そんな井戸の中で日本人はどんな暮らしをしていたのだろうかと思う。
それほど大昔の話ではない。親、爺さん、曽爺さんと戸籍を追うと3代遡っただけでもう江戸時代である。上掲「江戸の暮らしと商い」は世界史でもっとも平和な世が実現した時代だという。
商家の様子をみると、この時代最も成功した商人は三井越後屋だった。奉公人、つまりサラリーマンの給与は江戸時代後半、本店勤めなら手代で年俸96万円、30歳前後で番頭になると1年目で1080万円にもなった。多分トップクラスの給与である。
ただし、小僧(大阪では丁稚)という下積みの期間があった。10~13歳で採用され、給与はなし。住み込み。仕事は掃除、洗濯などの雑用。
17~18歳になれば手代に出世するがそれまでに3~4割が脱落する。
番頭になっても滅私奉公、自分を犠牲にして主人に尽くすのが立派な生き方とされたから結婚など二の次、未婚率は高かった。加えて、早死にだったという。(これまで上掲本及びウィキペディア)。
「江戸の暮らしと商い」が “ 世界史で最も平和な世が実現した時代 ” というのは案外対外的に戦争に巻き込まれなかったという意味だろう。
しかし、1840年(天保11年)、イギリス対清の間でアヘン戦争が勃発した。イギリスがアヘンの輸入を禁じた清の決定に腹を立て、軍艦を派遣したのに対し、清も兵船等をもってこれに応戦したものである。結果的に清は敗北し、香港を割譲することとなった。
鎖国も結構だが、世界がどう動いているかについては、常に耳目を働かせていなければならない。“ 見猿、言わ猿、聞か猿 ”は外交の世界では通用しない。幕府の情報収集システムはどうなっていたのか気になる。