16歳から20歳、思春期ど真ん中である。
いつも「自分は感受性が強い人間だ」と思っていたが私に限らず思春期はみな感受性が強い。
それぞれがそれぞれの思春期に悩み、苦しみ、そして楽しんでいたのだろう。
それに気づかず自分だけが感受性が強いと思い込んでいた私はかなりの鈍感な男だったらしい。
さて高校の3年間、一番思い出に残っているのは3年時の校内マラソン大会である。
小学、中学時代は優等生、家には並べきれないほどの賞状があった。
冬のマラソン大会は毎年実施され入賞するのはほとんどが体育系のスポーツ経験者、野球部、サッカー部、陸上部の生徒に限られていた。
進学希望の普通科の生徒は完走というか完歩できればよかんべ、くらいの感覚で参加する。
私も1,2年時のマラソン大会はその程度でいいと考えていた。
しかし卒業をまじかに控えある気持ちがよぎった。
「俺は高校の3年間、1枚の賞状もない!」
学業もスポーツも趣味も恋愛もすべて中途半端というかいい加減だった自分に気づいたのである。
このマラソン大会が賞状をもらう最後のチャンス。
1か月前くらいから体育の授業はマラソン大会に向けての長距離走。クラスの連中は私の真面目に走る姿を見て驚いたに違いない。
大会当日、スタートから先頭集団にいた。
距離は10㎞だったか20㎞だったかは忘れたが中盤を超えたころから先頭集団を走る連中がまるで異物を見るような感覚で私を見ているのが痛いほどわかった。
なんで進学組のやつがここにいるんだ!
残り数キロのところまできて急に減速した。足が前に出ないのである。
たかが週に1,2回の体育の時間で走力、持久力がつくはずがない。
涙を流しながら走ったに違いない。
入賞した。10位以内である。いや7番か8番くらいでゴールしたのである。
午後の表彰式、体育館の壇上に立った私の背中に割れるような拍手の嵐が巻き起こった。
進学クラス200人、就職クラス80人すべての生徒が、そして教員一同が驚愕、感激、祝福の拍手を私の背中に浴びせたのである。
大学受験は4戦4敗、東京での浪人生活、予備校に通わず浪人専門の下宿で親しくなった東北出身や関西出身の友と語り合っていた。それもたわいのない話を。
私大文系に合格。2年前のマラソン大会の感激の拍手は自分自身の心からも湧き上がることはなかった。