G

AB19450916VIRGO
 

11月18日 母が死んだ

2017-11-25 06:22:13 | 自分への語り事
わかってはいるが やはり人の死は突然来る
母もそうであった

いくつかの持病があったが
同居の妹の手助けで日常を送ることができていたが
亡くなる 数週間前から トイレに行くのが困難になっていたらしい

その前に
妹と母が23年間飼っていた猫の様子が良くないと 妹から連絡があり
二人で動物病院へ通い 治療をしてもらっていた
その折 母とはしばらくぶりの会話をし その様子を見て母の介護治療を決めた

母は 昔から 我慢強く 自立指向の強い人で
他人の世話を嫌がる人だった

介護ヘルパーへの依頼を何度もすすめたが
他人様の世話を 頑として受け入れず
自分も母の意思を尊重してそれ以上の無理強いは諦めていた

しかし今回の母の様子を見て これはまずいと思い


かかりつけのお医者を決め
 
介護保険の受給申請 ケアマネージャーへのお願いなどを相談するため
社会福祉協議会の窓口へでかけた
とても親切で丁寧な方で 具体的な事をいろいろ決め 安心して帰宅した

お医者さんが来てくれた時
事前に言うと拒否するのはわかっていたので
来てくれたその場で母を説得した

思ったより抵抗せず 診察を受けてくれたのでホッとした

自宅介護の準備が整い
介護ベッドを搬入する予定の11月18日

朝 妹から電話が入った

朝方 23歳の猫が息を引き取ったと言う

犬猫の葬儀社へ連絡し 妹と二人で猫を送るための花を買いに出かけた

自分は自宅へ戻り食事をとった

介護ベッド搬入の業者が来る時間になったので母屋へ行った

妹がベッドの説明をするため 母のそばへ行って おかあさん! と 小さな悲鳴をあげた

まさかと と 思い
母の手を取り 脈をとった

まだ温かかったが 脈は無く 顔が土気色に変わっていた

業者の方へ事情を説明し ベッドの搬入のお引取りをお願いした

すぐ医者へ電話したが 離れたところに往診にきているので
夕方でないと戻れないという

お医者さんの指示で 死後硬直が始まる前に 母を布団に寝せることにした

ずっと椅子の生活だったからだ
本人が一番楽な日常が 椅子の生活だった

92歳
母の 曲がった腰をのばし できるだけ目と口をきちんと閉じ 両手をお腹の上に重ねた
妹は髪を直し 体を拭いて きれいにしてやり 
二人で母の服を着せてあげた

その時 自分に湧き上がった感情は
悲しみもあったが

よく頑張ってきたね お疲れ様 ゆっくり休んでね

育ててくれてありがとう 

だった

夜 妹は母の死化粧をしてくれた

11月21日告別式


葬儀や役所への事務手続きと
慌ただしく 時は過ぎてゆく
落ち着くには 半年位はかかるだろう
親父の亡くなった時もそうだった

人一人とは言え 社会との沢山の繋がりを感じる

自分も72歳
いずれ このような時を迎える

家族葬の会葬に来た子どもたちに
自分が死んだ時の事を頼んだ

長女 ずっと元気でいて欲しいな
長男 わかった 任せとけ
次男 親父の希望は? 

だった

昨日 
親父が死んだ時取り寄せた明治時代の戸籍法ができた頃の除籍謄本を眺めた

江戸末期の曽祖父から現代まで
曽祖父夫婦から現代まで 百数十人の係累が
母のを含めれば何百人の 会ったこともない親戚がいることになる



もう 朝 だ

母の朝はもう来ない
自分の朝は今日来た

生き死には 自然の摂理

今日も頑張るべ










 


最新の画像もっと見る