敗戦後10年ほど
昭和20年代
口に入るものは全て旨かった
味が云々のことではなく
食い物があり 空腹を満たせる
食うこと自体が嬉しかった

水団は小麦粉を耳たぶくらいの柔らかさに捏ね
適当に小さく千切って 平べったくして 湯に放り込み
醤油か味噌で味付けする
具は玉葱とか大根人参くらい 沢山具が入ってればご馳走だった
残った汁を ぱさぱさの外米押し麦ご飯にかけて満腹を味わった
舌をやけどしそうになりながら 何杯もお代わりしたものだった
10分も経たないうちにお櫃やアルマイトの鍋は空っぽ
裸電球の下 家族5人で卓袱台を囲んだ あの頃
満腹になってそのまま大の字になって
満足感いっぱいで天井を見つめたら
ご飯の後すぐ横になると牛になりますよ お行儀悪い
と お袋に小言言われたっけ
お袋はまだ20代だったはず
洗濯や炊事で赤切れになった手を思い出した

懐かしいわね
妻が 小さく言った
昭和20年代
口に入るものは全て旨かった
味が云々のことではなく
食い物があり 空腹を満たせる
食うこと自体が嬉しかった

水団は小麦粉を耳たぶくらいの柔らかさに捏ね
適当に小さく千切って 平べったくして 湯に放り込み
醤油か味噌で味付けする
具は玉葱とか大根人参くらい 沢山具が入ってればご馳走だった
残った汁を ぱさぱさの外米押し麦ご飯にかけて満腹を味わった
舌をやけどしそうになりながら 何杯もお代わりしたものだった
10分も経たないうちにお櫃やアルマイトの鍋は空っぽ
裸電球の下 家族5人で卓袱台を囲んだ あの頃
満腹になってそのまま大の字になって
満足感いっぱいで天井を見つめたら
ご飯の後すぐ横になると牛になりますよ お行儀悪い
と お袋に小言言われたっけ
お袋はまだ20代だったはず
洗濯や炊事で赤切れになった手を思い出した

懐かしいわね
妻が 小さく言った