”山村楽正”七回忌の舞の会
もうそうなるのか
お知らせを頂いて感じました
「七回忌までは頑張ろうと思っていました」と芸養子の方に挨拶に行ったとき
話しておられました。
楽屋には一杯の花で飾られて華やかで上品でそれでいて高貴な舞のお人。
きっと、うちの師匠と(若津也)ご一緒に相舞したはるんやわ
若いころは美男、美女で幼い私達を楽しませてくださいました(勿論楽正師は女でっせ。)
舞台のロビーには白い清楚な花と良いお顔の遺影が飾られていましたね。
舞台では楽正師の舞った曲が次々と弟子や孫弟子によって披露。
それはそれなりに頑張っていましたが
残念ながら師匠の香は感じませんでしたがね(私だけかもね)
私は「三国一」を期待していたんですがね
「座敷舞道成寺」が御稽古も経っていたし、二枚扇は失敗も無しにお上手でした。
「越後獅子」を古い師匠が舞われ貫禄(やっぱしこの立ち方が楽正師の香が~)でした。
若津也師は生前「ご主人を大事に」と口ぐせでしたので、弟子をとるということは
無いと言っても過言ではないし、楽正師は山村流の発展と共に宣伝やらほこりを胸に
舞踊家として全うされたお二人です。
少し考え方が違うけど”山村流”にはなくてはならない舞踊家でした。
私の家には”舞冥利”ののれんが風に揺れていますよ楽正お師匠はん”
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます