邪魔だなぁ

2006年06月19日 21時37分05秒 | Weblog
陶芸の丘から見た佐白山。なんとも高圧線の邪魔なこと。

高圧線が日本の風景をどれだけぶっ壊してきたか
その恩恵を十分に浴びながら、文句を言う。
その時々、自分の都合で身勝手な正義を振り回す。
それには、誰も気付いている。「正義」とは別物なんだよなぁ
対象が、こちらに手を出して来ないことを知っての上でのカラ威張り
「じゃあ、電気止めます。ありがとうございました。」
それなら、こんなこと書かないよ。TEPCOさん、ごめんね。

標高182m 笠間氏が笠間城を築く
土塁と堀、少々の石垣、石組みが残るだけ
平地の城跡と違って、人為的な破壊は少ないけど、ちょっとさびしい。
小高くなっているところが、天主台で二層の櫓が立っていた。
平坦な部分に二の丸、三の丸があったわけ
詳しくは「笠間城」「佐城山」で検索してね
ついでに、昨日の宍戸も調べてもらうといいですね。
意外な事実を知っていただくことになります。
城跡まで、ほぼ車で行けるので、山城では見学の楽な方です。
本丸下に石倉と呼ばれる巨石群がむき出しで転がっている場所がありますが
ここからの眺めは、なかなか良いものです。

城跡の見学は、冬~春が良いですね。
夏に調べて、冬に現地へが城ファンの常識です。
草木が枯れて見通しが良く歩き易い。地形を読みやすい。
蜂・蚊・蛇等はいない。
湿度・気温が低く、体力を消耗しない。
天候が安定
良いことづくめ、ということですね。
気が向いたら、城跡歩きでもトライしてみてください。

笠間焼の前は宍戸焼

2006年06月18日 09時04分37秒 | Weblog

「宍戸焼」をgooで検索すると、一番最初に出てくる「地域」
極々、簡単に
「宍戸焼・手越焼・箱田焼を笠間焼に統合し販路を拡張し現在に至る。」
「宍戸焼は現在の磯部幸克が7代目として伝統を引き継いでいる」

宍戸焼なら、ウチにもあった。「茶壷」です。
これを認識したのは、宍戸の歴史民族資料館の二階の展示室
少数の宍戸焼の壷が展示してあったのですが

これは、高さ30㎝くらい。これを一回り大きくしたもので、全く同じ釉
多分、口周りの釉は、藁の灰釉かな(間違っていたらご指摘を)
元々、我が家にあったものじゃなくて、知り合いの蔵を壊すとき貰ってきたもの。
・・・しばらく床の間に置いていたが・・・(恥)
宍戸城を調べるために、この資料館を訪れて、気が付いた。同じじゃないか
えーっ、茶壷?宍戸焼?どこにでもあった日用品?
件の茶壷は、無残にも再び物置の奥へ放り込まれ永久の眠りについたのでした。

七代目磯部幸克さん、この宍戸の歴史民俗資料館から北西方向
概ね、1.5キロメートル清水寺の裏手「いそべ陶苑」さんです。

この宍戸という盆地状の地域は、丸ごと宍戸城とその城下町
宍戸氏の古館、秋田氏の宍戸城、徳川氏の宍戸陣屋
主要部分は、宅地となってしまいましたが
400年前の古地図と変らない道筋が、そのまま田んぼの中に残っています。
歴史好き・城好きにはたまらないエリアなのです。
常磐線が友部を通ったことで、宍戸には急激な変化が及ばなかった。
ご他聞にもれず、宍戸も姿を変えつつあります。
今のうち、まだ、道路一本だけの開通ですが、これからどんどん変るでしょう。