畑ニ居リマス・田舎暮らしPHOTO日記

畑のかえるくんの楽しい日記です。

梁瀬義亮「いのちの発見」(再)・・・第一の心、第二の心(1)

2020年03月04日 | 梁瀬義亮先生のこと
2012年5月、もう8年も前だが、梁瀬先生のことを数回にわたって書いた。先生は「第一の心」「第二の心」という言葉で説明しておられたが、この二つの心を「衆生の心」と「如来の心」に置き換えてもいいのではないかとふと思い取り上げてみた。

    
平成16年の初夏の昼下がり、奈良県五條市の医師、梁瀬義亮さんの「いのちの発見」(NHK教育テレビ「こころの時代」1990(平2)年の再放送)を視聴した。何度も聞いたので言い回しまで覚えている。(略)
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ナレーション:遠く金剛山の山並みを望み、吉野川の流れに沿って広がる奈良県五條市。この一帯は万葉の昔、「たまきはる宇智(うち)の大野(おーぬ)」と歌われた万葉詩人の憧れの地でした。
この土地に生まれ育った梁瀬義亮さんが、戦後復員して内科の医院を開業して以来、もう39年になります。梁瀬さんは、大正9年、五條市のお寺の3男 に生まれ、昭和18年に京都大学医学部を卒業しました。卒業するとすぐに軍医として、第一線機械化部隊に配属され、フィリピン戦線に従軍しました。フィリピンでの激烈な戦闘の中で、梁瀬さんは九死に一生を得て復員。一時、兵庫の尼崎病院に勤務した後、郷里に戻って開業しました。開業医として診察に追われる日々の中で、梁瀬さんは、当時使用されていた農薬 が人体に恐ろしい影響を及ぼしていることに気づき、昭和34年、いち早く農薬汚染の実態を世に訴えました。‥その活動は、有吉佐和子さんの小説「複合汚染」にも紹介され、昭和50年には吉川英治文化賞を授けられました。、梁瀬さんは、昭和34年「健康を守る会」を設立し、それを財団法人に発展させて、直営農場を設け、完全無農薬、有機農法の啓蒙と実践に取り組みました。‥有機農法によって生産された作物は、会員制の販売所で販売され、地方の会員には送り届けられます。こうした医師として、また有機農法の実践者としての梁瀬さんを支えてきたもう一つの活動があります。それは現在この販売所の2階を会場にして開かれている仏教会の集まりです。‥最初の5年は月2回、その後は月1回、一宗一派に偏らない仏教講話が行われ、1回の休みもなく、現在まで続けられて、この9月で、428回を数えました。
秋の訪れにはまだ少し早く、残暑厳しい日の午後、奈良県五條市に梁瀬義亮さんをお訪ねしてお話をうかがいました。

白鳥:そして京都大学医学部を卒業されてから、もうすぐに軍医としてフィリッピンの最前線にお出でになったんですよね。
梁瀬:そうです、高等学校(旧制第六高等学校)の時も、少林寺という禅寺へ下宿させていただき、大学でもずうっと禅寺へ通って禅の修行をしました。またお経の勉強をして、有名な坊さんや学者をたずねたり、大学の医学部の勉強以上に仏教の修行にも努力したわけなんです。ところが悟りなんてそう簡単に得られるものではないです。また仏教と科学との間の問題も理論的に解決しておったんです。ところがどうしても情緒的にしっくりしないんです。一生懸命に坐禅もし、仏教の勉強もし、念仏もさしていただきましたが、どうしても情緒的に落ち着かないんですね。
白鳥:ありますね、頭では分かっても胸にストンと落ちないとか、身体が馴染まないとかというようなことはね。
梁瀬:はっきり申せば、仏教の教えが、科学を知らないがゆえに通っているんじゃないかというような疑問がどっかにあるんです、それは理論的には、そうじゃないんだということはわかっているんですよ。
それから戦場へ行きまして、戦場といっても、初期でしたから、フィリピンはまだ戦闘が始まっていなかった、一生懸命お経を読み、仏道修行していたんです。
白鳥:最前線でも。
梁瀬:最前線ではなかったです、まだその当時は。昭和十八年の末ですからね、まだ米軍のゲリラが跳梁するぐらいで、いわゆる戦闘はまだ起こっていなかったんです。
白鳥:いよいよ、米軍が上陸して来て‥。
梁瀬:それまで軽微だったんですが、いよいよ昭和19年の末に、アメリカ軍がルソン島北部のリンガエン湾へ上陸して来まして、バギオの攻防戦が始まったんです。私は機械化部隊の隊付き軍医で、しかも若いので下の方の位の軍医ですから、戦闘中隊と一緒に行動したわけです。ずいぶん酷い戦闘でございまして全滅また全滅でした。不思議に生き残りましてね。
白鳥:そこでも当然「生死岸頭」という、その状況というのは毎日のようにあったわけですね。
梁瀬:毎日あったです、機械化部隊の戦闘というのは厳しいですからね、それで、バギオの少し3キロほど下りたところに、トリニダッドというところがあるんですよ、トリニダッドのところで、昭和20年5月3日でしたが、中隊の生き残った60人ばかりの兵隊とともに、そこを死守せよという命令を受けました。ボントク道という道を友軍が退却していくわけです、それを向こうの戦車が追っかけてくるわけです、それを死守するわけです。
その時に第1日目は、いちおう前の陣地が大抵抗しましたが、全員火砲射撃で焼き殺されていますよ、その時の抵抗があまり激しかったので、米軍が一時退却して、明日、総攻撃をやるわけです。いよいよ明日は全員ここで全滅、玉砕ということになったわけです。ある物は全部食べてしまえ、食料は全部食べろ、もう明日はないということです。その晩に、私は荷物を整理しておったら、ひょっと小さな缶が出てきたんですよ。中に金平糖(こんぺいとう)が入っておったんです。それは2年前に港を出る時に、母親が私にくれた缶だったんです。それを見た時に、生死岸頭に立って、初めてほんとの母親の恩が分かりましたね。
白鳥:金平糖が缶の中に‥。
梁瀬:それを見た時に、私は詩なんかよう作らないのに、パッと詩が出てきたんですよ、もう素晴らしい詩ができた、「帰らぬ母の懐へ」という題まで。 

 明日は死すべき日ならんと 
 周りの品を整えば
 ふといできたりぬ
 古缶(こかん)に詰めし金平糖
 思いをいずるおさな時
 小学中学高等と
 われ はげくみしみ姿や
 永久(とわ)の別れと覚悟して
 埠頭にたてるかなしみよ
 北斗を仰ぎて母呼べど
 むなしく声は消えにけり
 ああ戦いは終わりなり
 わが生涯も終わりなり
 死すべき時の来たりけり

今から思えば、私、こういうことだ、と思うんです。
人間には非常にエゴがあるでしょう、エゴというのは非常に傲慢な心ですよ、俺は生きるのが当たり前だ、周りの世界がある、これは当たり前だ、世界と俺と関係なくて、俺が快楽を貪るのは当たり前だ、快楽のために都合のいいものは取ってきて、都合の悪いやつは殺してしまって自分が生きるんだという、これはエゴですよ。
そして人間の心は次々と、「意馬心猿(いばしんえん)」と申しますが、猿が枝を伝うように、常に欲望と快楽追求の中で、フラフラしておるのが人間の心ですよね。一生、人間そうですよね、まあ一生懸命に快楽を探し、グルメ旅行をやったり、そのためにはお金がいるからお金儲けに夢中になったり、いろいろなことをやって、そして一生終わってしまう、これ普通ですね、普通の心ですね。
ところがその心とともに、理屈から言えば、事実として、私は「生まれ」たのです、自分から大手をふってうまれてきたのではないでしょう、生まれた後、親に「生かされ」たんですね。実際問題として、私の生きるということは、大勢の人のお陰で生きていますよね、食べる物、着る物、すべてね、それから大自然によって「生かされ」ていますね、これは厳然たる事実です、そんなことは気が付かなかったでしょう。
白鳥:いつもは‥。
梁瀬:その気が付かない心を、私は、「第一の心」と名付けているんです、しかし、この厳然たる事実を認めた。そして同時に、生とともに必ず死があるんだ、という事実があるでしょう。普通、みな生きることだけ考えて、死ぬということを考えないでしょう。
白鳥:そうですね。
梁瀬:具体的にはね、けど、生とともに死があるんだ、という現実の事実は、私は子どもの時にあのことで気がついたんですけど。
白鳥:伯母様の死ですね。
梁瀬:ええ、伯母さんの死ね。同じようにこれ事実ですね、この事実を正しく見た心、 そこから「生まれ」、「生かされ」ておるという大自然とか、他の人とか、他の動物とか、あらゆるものに対して謙虚な心があるでしょう。或いは父母に対する謙虚な感謝の心がでるはずでしょう。ところが平生出ないでしょう。その時、「第二の心」というのがほんとに出たですよ、私に。
(続く)

2月の日ざし、命日と室内菜園

2020年02月28日 | 日記
室内に置いたプランター。


こちらは父親の命日に上げた線香、昔暮らしていた住居で。



草刈り、伐採

2020年02月27日 | 日記

1月下旬、裏山の小川が隣地との境界、いつかしなければと思っていた草刈り、伐採ができた。 上流まできれいにして炭小屋や水車を作りたいとあこがれている。

県道斜面の草刈り、桜を植えている。 昨年、花を数輪見た、今年はもう少しは咲くと思っているがどうだろう。タラの木がたくさん生えてきた。

世話になっている近所の家の斜面も刈った。数本の柿を手伝ってもらって倒したので明るくなった。

わが家のマキの木の伐倒、チルホールを使用。炭材はすでに使用、椎茸、焼却分は未だ畑に。

1月下旬から2月上旬にかけての仕事だったが、計画の半分に届いていない。というのは作業面積が広くなってきたからだ。よく言えば仕事ができるようになってきた、悪く言えば何にでも手を出してとりとめがつかない状態。 2月末、花や果樹の移植もある、待った無しだ。

焼きすくも 燻燃器505YH

2020年02月09日 | 日記

燻燃器を譲ってもらったので活用、大変便利な機械だ。

割り箸を約9.5㎝の長さに切って鉄棒に挿しこむ。割り箸部分の炭化によって蓋が締まり空気を完全に遮断するための工夫。消火のために傍にいなくて良いので他の仕事ができるというわけだ。

鉄棒を四角約40㎝のさやに入れたまま下部の蓋をひらいて中央まで入れる。

上から見た状態。

蓋で半分抑えた状態、かなり強力なバネで押し込んでいる。割り箸が炭化すると蓋が塞がる。

すくもを入れた上に、藁を2束。

説明書には灯油を200~400㏄霧吹きし、新聞紙などを置いて点火するようにあった。しかし、何度かやってみてこの藁の方が着火、燻炭が滑らかにできる。手を灯油で汚さなくてすむし、自然のもので完結できるというのも良い。

上の蓋を10㎝ほど開いたままバーナーで着火、蓋をずらすなどして完全に燃やし切るのがコツ。

時間にすると1時間以上かけてから上の蓋を締める。すくもの乾燥度合いによって2時間以上になることもある。胴の約上部50㎝くらいまで手を当て熱くなっているのを目安にしている。

籾酢液を採取。

約2リットルは取れるので、ペットボトルを用意しておく。

横の蓋は空気調整として使っている。(本来はここから着火するらしい)

約6時間後自然に入れていた割り箸が炭化し、下の蓋がふさがり鎮火する。

すぐ開けると再び燃え始めるので注意。24時間後ではまだ燃えているので、48時間以上経ってから取り出し作業に入る。次の燻炭まで入れていおいても良いと思う。

なお、炭化した藁を熊手で寄せているのがおわかりだろうか。藁の上にタールなどの水滴が落ちて固くなっている。タールを畑に入れるのは適さないので捨てている。捨てずにモグラやねずみの穴に差し込むのも有効利用かもしれない。

 

 


ヤマアカガエルの鳴き声を聞く

2020年01月23日 | 自然

昨晩から久しぶりの雨だ。干上がった池に少しだけ水が戻った。夕方のこと、池か田んぼかわからないがヤマアカガエルの声(兵庫県立人と自然の博物館hp:かえるの鳴き声図鑑)を聞いた。活動が終わったらまた冬眠するという。春を感じさせてくれた。


呉の旅(4日目) ①大和ミュージアム(3)遊覧船

2020年01月13日 | べんちゃん
2年前の春の旅の記事の続きです。
雨の中大和ミュージアムに到着ししばし観覧。


人物などの写真を実物大に切り出して個々に配置して占領当時の雰囲気をかもし出していた。


9時半ごろ遊覧船に乗船、雨のためにお客が少ないということだったが席の7割は埋まっていた。


阪急ホテル、いや阪急ホテルだけではなく市内各所から見えていたHIHの巨大なタンカー。


そのタンカーに接近。


海上自衛隊の艦船。




護衛艦かがと思うのだが。




けっこうな雨が降り続いた。


戻ってミュージアムに再入場、昼ごろ近接のスーパーの食事コーナーでランチ。


その後鉄のくじら館に入った(ランチの前だったかも)、潜水艦内部。


3時前に、呉駅の改札を通った(と思う)。

脱穀・伐採木処理

2020年01月07日 | 日記
イノシシに荒らされて二束のみの大豆、足踏み脱穀機と唐箕で。
5合にも足らなかった、豆がらはストーブの焚きつけに良いので使う。




伐採木を薪、椎茸原木、製炭用に切り分けている。
自宅で使いきれないものは道の駅に出すつもりだ。

車庫・農具置き場(11)・伐採

2020年01月04日 | 日記
これは2日の仕事、畑の日陰になっていたマキの木を倒す、けっこう太くて怖かった。
久しぶりにチルホールを使った。


昨日3日は農具小屋に肥料や土を移動した。


南の窓から・・・まだ雑然としている。


住宅の軒下にその肥料など袋物が散乱していた。住宅を塗装したり犬走をコンクリートで固めたり砂利を真砂土できれいにするつもりなので、この農具置き場に移動できて一息付けたという感じ。

今日は乾燥庫内の整理、伐採木を薪・キノコ原木・製炭用に切り分けること、落ち葉集めが絶対ノルマ。
世話になっている近所の国道沿いの斜面の草刈り・伐採もしたい。
年間計画、日課表、賀状整理などもできれば。


謹賀新年

2020年01月02日 | 日記
明けましておめでとうございます。


初詣など8時過ぎにすませて食事、9時頃に畑に出て11月19日に蒔いたポット苗を植えつけた。
小松菜、青梗菜(チンゲンサイ)、チシャ、ミズナ、ホウレンソウだ。
プランターにも移して夜は室内、夜が明けると天気の良い日には外に出している。
なお、外の畑の大根の周りに2種類のもみ殻燻炭を寄せた。
良く焼いた方はきれいに育っていたが、中途半端に焼いたタール臭のきつい方は葉が黄色になっていた。




10時半ごろ年賀状が届いたので出せていなかった人へ速攻で書いて出した。
午後は農具小屋の続き。

食事を軽くすると仕事に入りやすいので特にそのことに心がけてこの1年をがんばりたい(生活点検票のようなもの、作ろうかな)。
今日は、車庫兼農具小屋の棚、シイタケ原木用の伐採、できれば国道に面した近所の家の伐採を約束しているので少し前に進めておきたい。

暮れの仕事・お飾り作りともみ殻燻炭

2019年12月31日 | 日記
一夜飾りはいけないというので30日の午前になんとか完成。
4つのうち選んだひとつを玄関に、3つは作業小屋などに飾る、これはその残り3つ。


すくもを焼く機械をゆずってもらった。
野ざらしにするわけにはいかないので薪ストーブ足場用だった単管パイプで屋根を小屋を建ている。


焼きすくもの効用は以下の5つ。
1.土壌改良 (保水性・排水性・通気性の向上)・・・土をふかふかに
2.土壌のpH濃度(酸性)を中和・・・焼きすくもはpHは8~10のアルカリ性
3.微生物を増殖・・・地表温度を上げるとともに土壌菌が野菜の成長を助ける
4.雑菌抑制、消臭効果・・・微生物が雑菌や汚水成分の分解・浄化・消臭する
5.害虫の忌避効果・・・やっかいなアブラムシをはじめ害虫を寄せにくくする
固い土壌なら1割程度混ぜるのが理想で、それ以下だと土壌改良の点では実感しにくいかも、30リットルの土であれば、3リットル未満が目安になる。土壌のpHの変化が気になる場合は、前もってpH測定器などで診断を行うと安心。