父の軍人履歴によると、19年11月5日に所轄が安浦海兵団から日向となっている。
『軍艦日向栄光の追憶』野村艦長戦時日誌を読んでみる。
11月6日1430(14時30分)日向呉発。
中略(この作戦行動については追って記事にしたい)
20年2月20日1000(10時10分)呉着、直ちに搭載物件のを開始す。
21日昨夜徹夜作業。此の日夕刻迄に揚搭を終わり北号作戦茲(ここ)に終わる、とある。
要するに父は約4カ月日向で勤務した。
そして『軍艦日向の最後』の20年3月26日乗船名簿に一等水兵として載っている。
その後の日向は、同書大皿俊治さん「空爆下の日向の奮戦」が詳しい。
3月19日空襲応戦、4月27日情島沖転錨、5月7日情島北西岸に固定、7月24日28日の空襲応戦。
呉空襲の展示を見る。
立田正雄さんの寄贈資料2点を見れたのは大収穫。
3月26日の乗船名簿に立田正雄さんの名も少尉噴進砲指揮官としてある。
父は噴進砲部隊にいたのは間違いないので関わりのたいへん深い方だ。
続く
『軍艦日向栄光の追憶』野村艦長戦時日誌を読んでみる。
11月6日1430(14時30分)日向呉発。
中略(この作戦行動については追って記事にしたい)
20年2月20日1000(10時10分)呉着、直ちに搭載物件のを開始す。
21日昨夜徹夜作業。此の日夕刻迄に揚搭を終わり北号作戦茲(ここ)に終わる、とある。
要するに父は約4カ月日向で勤務した。
そして『軍艦日向の最後』の20年3月26日乗船名簿に一等水兵として載っている。
その後の日向は、同書大皿俊治さん「空爆下の日向の奮戦」が詳しい。
3月19日空襲応戦、4月27日情島沖転錨、5月7日情島北西岸に固定、7月24日28日の空襲応戦。
呉空襲の展示を見る。
立田正雄さんの寄贈資料2点を見れたのは大収穫。
3月26日の乗船名簿に立田正雄さんの名も少尉噴進砲指揮官としてある。
父は噴進砲部隊にいたのは間違いないので関わりのたいへん深い方だ。
続く