直感・直観

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両義性(パルマコン)

2023-08-11 20:19:25 | メッセージ
言葉を超えた言葉というものがあります。両義性を持つ言葉は同時に正反対の概念を包含しながら使われて、微妙なニュアンスを醸し出します。

日常においても、例えば、「すみません」「謝意」「適当」など。

重要な場面で、かつ、ある決断が相手の考え方や世界観によって左右される場合において、発言者は反対の意味も含みながら、表現しなければならないことがあり、その意図を受信者は慎重に受け止めなければならないにもかかわらず、直感で解釈することがありますが、その直感が外れた場合、悲劇を生むこともあります。

レトリックで用いられる生き物に存する両義性には本質が隠れています。人間の多様性や世界の複雑性を表現する手段として用いられる表現には注目するべきで、新しい発想の宝庫です。

日本の「言霊」や聖書の「始めに言葉ありき」など、言葉はソシュールが捉えたものよりもサピアが捉えた本質(言語の本質は心理である)が機能する場面が稀にあります。ある言葉に込めた想いというのは、時として世界観、いや、現実の世界をも変革する力を持っていますが、日本人は、日本語の特性上、正反対の意味を込めながらどちらの意味に取るかは聴き手の裁量に委ねるという現象が日常的に行われている不思議な民族で、大脳新皮質を独特に発展進化させてきた可能性があります(強いサピア=ウォーフ仮説)。

言語はその恣意性故にクリエイティビティがあります。語源の中には正反対の意味を持つ二つの語が同じ語源であることも稀ではないそうです(ex.ゲストとホスト)。

ref:パルマコン
芸術もそうですが、受けとめる側の力量や裁量に委ねられている場面というものが多く発生するのが言語が織りなす人間関係で、そこには思いやりがあったり、権謀術数があったりと、めくるめく人間ドラマが存在しています。“あの人は、何故、あんな事を言ったのだろう?”と想いを馳せる時、その人は感受性の力量や裁量をレベルアップする貴重な機会を得ていると言えます。

【直感・直観】言語の持つ最大のパラドックスはその恣意性にある?
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