森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

坂戸市 北浅羽桜堤公園

2012年03月26日 | 空色の休日 2012 

坂戸市の北西部、越辺川右岸の河川敷約1.2kmにわたって早咲きの安行桜(大寒桜)がずら~っと植えられているという。その名前のとおりお見事な「北浅羽桜堤公園」です。坂戸市の桜というと「すみよし河津桜」や「慈眼寺のシダレ桜」が知られていますが、こんな名所もあるんですね。残念ながら今年の天候では、早咲きとはいえ花はまだもう少しかかりそうです。
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2012年04月03日(火)

この一週間で咲き出しました。


ずらっ~と1.2km、咲いてます。


: 石今橋側にちょっとした駐車場があります。
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2012年04月05日(火)

: 真ん中へんにもちょっと停められるみたい。
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北浅羽八幡神社


桜堤公園の北端を少し下がると、旧入間郡下浅羽村の鎮守「北浅羽八幡神社」となります。秋に行われる「北浅羽の獅子舞」は坂戸市の無形民俗文化財にの指定されています。

北浅羽の獅子舞 坂戸市指定無形民族文化財

 秋になると豊年を祝う獅子舞が、市内各地で行われます。竹で作った「ささら」と呼ばれる楽器を使って獅子舞を踊るので、「ささら舞」とも言われ、昔から地元の人々によって受継がれてきました。
 北浅羽の獅子舞は、江戸時代に始まったと伝えられ、八幡神社のお祭に演じられます。
 獅子は悪霊払いの霊獣として崇められ、遠い土地から来る力の強い神のかたちを現わします。古来祭りの主役として、獅子舞が全国各地で行われてきました。北浅羽の獅子舞は、江戸時代の天保年間(一八三〇年~一八四三年)に、西戸村(現在の毛呂山町)から伝承されたと言われています。
 演目は「雌獅子かくし」と「竿がかり」があり、演者の構成は、天狗・花笠・雌獅子・みの獅子・ほうがん(雄獅子)・幣負・笛吹き・ほら貝です。「ほうがん」と「みの獅子」の呼び名は、市内の他の獅子舞にはないものです。天狗はもともと入り婿が勤める役で、笛吹き・ほら貝は成人が務め、他は地元の小・中学生が演じます。
 獅子舞は奉納は、八幡神社の大祭(秋祭り)の十月十七日と決められていましたが、最近は第三日曜日に行われるようになりました。前日に、近くの万福寺に勢ぞろいして準備を行い、身支度を整えます。その後、八幡神社まで練り歩き、獅子舞を日没まで続けます。大祭の当日も万福寺で身支度を整え、一度「雌獅子かくし」を舞ってから八幡神社に向かいます。大しめ縄を先頭に、万灯、花笠、笛吹き、幣負、雌獅子、みの獅子、ほうがん、氏子の順に行列して神社まで練り歩きます。神社では社前に礼拝して、天下泰平と五穀成就に感謝して、勇壮な獅子舞が奉納されます。
 平成十九年三月  坂戸市教育委員会



とても穏やかな雰囲気のある境内です。
 当地は高麗川右岸に位置し、武蔵七党児玉党浅羽氏の本拠地として古くから栄え、万葉集にもその名を残している。
 当社は、源頼朝の郎党浅羽小太夫がその功により当地と長岡・小見野・粟生田の地を拝領し、鎮めとして鶴岡八幡宮の勧請を許され、これを祀ったものとゆう。これは寛文一〇年九月十三日に浅羽三右衛門が菩提寺であり、別当でもある真言宗満福寺に納めた願文に詳しく載る。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)
『浅葉野に 立ち神さぶる 菅の根の ねもころ誰がゆゑ 我が恋ひなくに』 柿本人麻呂(万葉集12-2863)

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万福寺の板石塔婆


北浅羽の獅子舞の出発点となる「万福寺」の境内にある埼玉県指定の考古資料「万福寺の板石塔婆(まんぷくじのいたいしとうば)」。しっかりガードしてありますね。

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万福寺の板石塔婆  埼玉県指定文化財
 万福寺の境内にあるおおきな板碑(板石塔婆)は、鎌倉時代に北浅羽を中心に活躍した浅羽氏が、祖先の小大夫行成の霊をとむらうために建立されたものです。
 板碑に刻まれた文字は、浅羽氏を知る貴重な資料です。

 板石塔婆は板碑(いたび)とも呼ばれ、およそ鎌倉時代から戦国時代に、祖先の冥福を祈った追善供養や、自身の後生安楽を願う逆修のため、盛んに立てられました。初期の板碑は仏や菩薩の画像でしたが、仏を現す梵字などが刻まれるようになりました。
 万福寺の板碑は、鎌倉時代の徳治2年(1307年)に僧の慧見(けいけん)が、祖先である浅羽行成(あさばゆきなり)のために建立し、仏の教えにより浅羽一族を導いてほしいという願いが込められています。主尊のアーンク(梵字)は、真言宗の仏である大日如来を現しています。板碑は緑泥片岩で作られ、高さ212cm、幅85cm、厚さ14.6cmです。
 浅羽氏は武蔵七党のひとつ児玉党武士団の一員で、板碑に刻まれている小大夫行成(行業とも書く)の時に「浅羽氏」を名乗っています。行成の弟に次郎大夫遠広(小代氏の祖)、新大夫有行(越生氏の祖)がいます。さらに三郎行親(浅羽氏)、四郎盛行(小見野氏の祖)、五郎行直(粟生田氏の祖)の3人の子がありました。みな在地の地名を名字にしています。
 このように、浅羽氏は北浅羽付近を本拠地にして、一族は北浅羽周辺や越辺川流域・越生あたりの入間郡北西部一帯(入西地域)に勢力を持った豪族でした。
 平成19年3月  坂戸市教育委員会


大日如来さまの種子(しゅじ)。この梵字一文字が大日如来さまを現しています。

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