お天道様さまと相談の上コ-スを決定して墓参りを兼ねて、昭和39年に東海道新幹線の試運転を開始した起点の栄光の東京駅から初めて長野新幹線に予約しておいた新型車両の あさま507Eで上田駅に、信越本線の横川-軽井沢間が廃線になってから信濃の国には一度も行きませせんでした、バッサリ切られる前は碓氷峠を特急あさま号&自分で車を運転してバイパス 旧道 を夜間霧の中を、また旧旧道を徒歩で峠越えを数知れず往復した事もありましたが、車窓から眺めたかぎりでは軽井沢は
余り変わつていない様に感じました、線路の高低が厳しいようで東海道新幹線の0系が東京-鴨宮間で試運転で世界最高速度の256kmを出した時の様な横揺れは在りませんでしたが思ってたより横揺れがありました、上田駅には東京駅の発車が3分遅れと途中で非常停止装置の作動があり遅れを取り戻すことが出来ず定刻より3分遅れで到着しました
駅を出ましたら雨がパラついていました、さてまず現在はカルチャ-教室などに使われいます上田藩主居館を通って
上田城に着いてビックリそこらじゅう六文銭がベッタリ徳川の影さえなく完全に眞田城になっていて眞田幸村と十勇士の根津甚八さんから名刺&若い女性の十勇士さんから撮影と歓迎を受けました、
その上いきよいに乗って江戸子から観ますと美ヶ原高原は松本市と思っていましたが、なんと上田市が攻略していました、
その後上田電鉄で別所温泉に旅館の温泉にゆつたり浸かり、夕食は中居さんが部屋に何回も運んでくれましたので誰にも気兼ねせず信州牛肉などをでした、
翌日は下之郷駅でチヨツと途中下車したあと、上田駅から初めて乗った しなの鉄道で小諸駅に沿線から眺めた布引観音 高峰高原などの風景は変わっていない様うに感じられ小諸駅に到着、あぁぁ~駅前のメ-インストリ-とはでした
北国街道の宿場を通り坂上にある お寺で墓参りした後に小諸城に、城は以前と変わりませんでしたが、後から後から御出でになる観光バスは駅前には流れない様で、新幹線から外れた町はこうゆう事になる事が予想されていたのにでした、お土産はメインストリ-トにある行くたびに荷物を預かってくれた行きつけのお店で、
帰りは小諸駅から予約しておいた新宿駅東口行の高速バスで、欧州のアウトバウンでは保険が効かない最前列の席で子供にかえりドライブ気分で快適な運転で新宿駅に定刻どうりの3分遅れで無事に着きました、