
【画像】「開道五十年記念」北海道(大正七年八月十日發)
相 原 寅 之 介(あひはらとらのすけ)
寅之助は鰊角網の發(発)明者なり 天保六年十二月秋田縣(県)川邊郡濱田村字瀧ノ下に生る家累代鄕(郷)士たり 父を寅歲(歳)といひ農業に漁業を兼營(営)す 寅之助は其長男なり 性粗暴にして學(学)を好まず長ずるに及んで体量二十四貫を越ゑ力量又衆に優れ能く八十貫を擔(担)ふ 年二十四決然家を捨てヽ函館に渡航す 時に安政五年なり 初め商家の雇となりしが幾もなく獨立して函館近海及び古宇地方の鰊漁業に從(従)事す 慶應年間夙(ツト)に樺太に航して鰊及鮭鱒漁業に從(従)ひ爾來(来)引續(続)き同島の漁場經(経)營(営)に努め大に產(産)を興す 寅之助當(当)今齡(齢)旣(既)に八十を越ゐ面かも钁(矍)鑠壯(壮)者を凌ぎ今に尚ほ毎歲(歳)の漁期自ら樺太島に渡りて漁業の指揮監督を爲す 實(実)に同島に於ける漁業の卒先者にして多年漁業取締の職にあり 又績年の工夫により明治三年鰊角網を發(発)明して本道漁業界に貢献す 甞(カツ)て明治四十四年東宮殿下本道行啓の際自己の發(発)明に係はる鰊角網の模型を献納して賞を受く 寅之助酒及煙草を口にせず暇あれば角網をすきて餘(余)念なし 一代の奮闘家たると共に又稀に見る變(変)漢なり
北海道人名辭書 大正三年十一月一日發行
發行所 北海道人名辭書編纂事務所 札幌郡藻岩村字□山三十五番戸
定價 金參圓八拾銭

現在/秋田県秋田市浜田字滝ノ下
漁業界の重鎭(鎮)
鰊角網の開祖(祖)
相 原 寅 之 介
寅之助は鰊角網の發(発)明者なり、天保六年十二月秋田縣(県)川邊郡濱田村字瀧ノ下に生る家累代鄕(郷)士たり、父を寅歲(歳)といひ農業に漁業を兼營(営)す、寅之助は其長男也。性粗暴にして學(学)を好まず長ずるに及んで、體(体)量二十四貫を越ゑ力量又衆に優れ能く八十貫を擔(担)ふ、年二十四決然家を捨て函館に渡航す 時に安政五年なり。初め商家の雇となりしが幾千もなく獨立して函館近海及古宇地方の鰊漁業に從(従)事す、慶應年間夙(ツト)に樺太に航して鰊及鮭鱒漁業に從(従)ひ、爾來(来)引續(続)き同島の漁場經(経)營(営)に努め大に產(産)を興す。寅之助當(当)今齡(齢)旣(既)に八十を越え面かも钁(矍)鑠壯(壮)者を凌ぎ今に尚ほ毎歲(歳)の漁期自ら樺太島に渡りて漁業の指揮監督を爲す、實(実)に同島に於ける漁業の卒先者にして多年漁業取締の職にあり。又積年の工夫により明治三年鰊角網を發(発)明して本道漁業界に貢献す、甞(カツ)て明治四十四年東宮殿下本道行啓の際自己の發(発)明に係はる鰊角網の模型を獻(献)納して賞を受く、寅之助酒及煙草を口にせず暇あれば角網をすきて餘(余)念なし、一代の奮鬪(闘)家たると共に又稀に見る變(変)漢なり。又た常に當(当)今の紳士紳商の成功者を品評して彼等成功者の多く三角に世を渡りて成功す、乃ち恥かく、義理かく、人(情)かく、の類是れなりと、以て寅之助の見識氣(気)宇の凡ならざるの一斑(班)を卜すべきなり。大正四年 今上陛下御大典の盛儀に際し畏くも天盃下賜の光榮(栄)に浴す。
開道五十年記念 北海道 大正七年八月十日發行
發行所 鴻文社 函館區谷地頭町九十八番地
定價 金拾圓
相 原 寅 之 介(あひはらとらのすけ)
寅之助は鰊角網の發(発)明者なり 天保六年十二月秋田縣(県)川邊郡濱田村字瀧ノ下に生る家累代鄕(郷)士たり 父を寅歲(歳)といひ農業に漁業を兼營(営)す 寅之助は其長男なり 性粗暴にして學(学)を好まず長ずるに及んで体量二十四貫を越ゑ力量又衆に優れ能く八十貫を擔(担)ふ 年二十四決然家を捨てヽ函館に渡航す 時に安政五年なり 初め商家の雇となりしが幾もなく獨立して函館近海及び古宇地方の鰊漁業に從(従)事す 慶應年間夙(ツト)に樺太に航して鰊及鮭鱒漁業に從(従)ひ爾來(来)引續(続)き同島の漁場經(経)營(営)に努め大に產(産)を興す 寅之助當(当)今齡(齢)旣(既)に八十を越ゐ面かも钁(矍)鑠壯(壮)者を凌ぎ今に尚ほ毎歲(歳)の漁期自ら樺太島に渡りて漁業の指揮監督を爲す 實(実)に同島に於ける漁業の卒先者にして多年漁業取締の職にあり 又績年の工夫により明治三年鰊角網を發(発)明して本道漁業界に貢献す 甞(カツ)て明治四十四年東宮殿下本道行啓の際自己の發(発)明に係はる鰊角網の模型を献納して賞を受く 寅之助酒及煙草を口にせず暇あれば角網をすきて餘(余)念なし 一代の奮闘家たると共に又稀に見る變(変)漢なり
北海道人名辭書 大正三年十一月一日發行
發行所 北海道人名辭書編纂事務所 札幌郡藻岩村字□山三十五番戸
定價 金參圓八拾銭

現在/秋田県秋田市浜田字滝ノ下
漁業界の重鎭(鎮)
鰊角網の開祖(祖)
相 原 寅 之 介
寅之助は鰊角網の發(発)明者なり、天保六年十二月秋田縣(県)川邊郡濱田村字瀧ノ下に生る家累代鄕(郷)士たり、父を寅歲(歳)といひ農業に漁業を兼營(営)す、寅之助は其長男也。性粗暴にして學(学)を好まず長ずるに及んで、體(体)量二十四貫を越ゑ力量又衆に優れ能く八十貫を擔(担)ふ、年二十四決然家を捨て函館に渡航す 時に安政五年なり。初め商家の雇となりしが幾千もなく獨立して函館近海及古宇地方の鰊漁業に從(従)事す、慶應年間夙(ツト)に樺太に航して鰊及鮭鱒漁業に從(従)ひ、爾來(来)引續(続)き同島の漁場經(経)營(営)に努め大に產(産)を興す。寅之助當(当)今齡(齢)旣(既)に八十を越え面かも钁(矍)鑠壯(壮)者を凌ぎ今に尚ほ毎歲(歳)の漁期自ら樺太島に渡りて漁業の指揮監督を爲す、實(実)に同島に於ける漁業の卒先者にして多年漁業取締の職にあり。又積年の工夫により明治三年鰊角網を發(発)明して本道漁業界に貢献す、甞(カツ)て明治四十四年東宮殿下本道行啓の際自己の發(発)明に係はる鰊角網の模型を獻(献)納して賞を受く、寅之助酒及煙草を口にせず暇あれば角網をすきて餘(余)念なし、一代の奮鬪(闘)家たると共に又稀に見る變(変)漢なり。又た常に當(当)今の紳士紳商の成功者を品評して彼等成功者の多く三角に世を渡りて成功す、乃ち恥かく、義理かく、人(情)かく、の類是れなりと、以て寅之助の見識氣(気)宇の凡ならざるの一斑(班)を卜すべきなり。大正四年 今上陛下御大典の盛儀に際し畏くも天盃下賜の光榮(栄)に浴す。
開道五十年記念 北海道 大正七年八月十日發行
發行所 鴻文社 函館區谷地頭町九十八番地
定價 金拾圓
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