ねじまき鳥のねじまき

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小池百合子新防衛大臣の力量と、九州の豪雨

2007年07月04日 | 所感
舌禍で辞任を余儀なくされた久間防衛大臣の後任として、小池百合子首相補佐官が、新しい防衛大臣に就任した。

小池百合子氏は、1952年兵庫県芦屋市生まれの54歳。その生まれでもわかる通り、家はそれなりに裕福だったようだ(父親が貿易会社を営んでいたらしい)。92年にニュースキャスター(ワールドビジネスサテライト)から転身をはかり、日本新党の参院比例区で立候補し当選。以後、日本新党→自由党→保守党、そして02年より自民党と目まぐるしく政党を乗り換えてきた。
05年、小泉政局の「9.11郵政選挙」にて、それまでの立候補してきた兵庫県から選挙区を移し、東京10区の落下傘候補として立候補し当選、現在に至る。清和会、いわゆる町村派(=森派)に属する。ちなみに小池氏は、筆者の住んでいる選挙区の政治家であるので、決して無縁の人ではない。

小池氏を見ていると、本当にこの人は物事の中心にいないと、目立たないと気が済まない人なのだと感じる。政党の渡り歩きは、結果的には与党側にいかに身を置くかの軌跡であるとも見えなくもない(多分そうであるが)。確かに政策で分ちがたい溝があった場合、所属政党を鞍替えするのは無理からぬこととは思うが、小池氏に関しては、そのような確たる政策がかつてあったという記憶は薄い。むしろ、いつでも与党に近い立場で発言を繰り返す人、というイメージだけが残っている。
清和会の中で政治的な実力があるわけではないので、今回の人事は「中継ぎ」的な意味合いが強いものとも思える。また防衛大臣は国際的にプレゼンスを持たない自衛隊のトップなので、さほど重要なポストでもない。ネガティブな印象がついてしまった久間氏から、選挙前にイメージを一新することのみを狙った安倍首相の戦略であり、小池氏ははっきり言えばうまく踊らされたというだけなのだろう。

しかし、今回の久間氏の舌禍騒動は、個人的には世論の反応やマスコミの論調も気になった。確かに、久間氏の「原爆は戦争を終結させるために、必要な手段であった」というような発言は、アメリカの退役軍人などが声高に主張してきたことと軌を一にするもので、この時期にこの発言を行うことは、老獪な彼の性格も考え合わせると、政治的な思惑すら感じられなくもない。ただ、問題はそこよりも、マスコミの論調及び彼らが伝える「世論」の動向にもある。
久間氏の発言を、発言当初から「許しがたいものだ」と断じ、終戦時の日本の状況をまともに論じようとする空気など、みじんも無かった。この点はかなり空恐ろしくも感じたが、もっと情けなかったのは、与党側からも久間氏の発言をまともに取り上げようともしなかったことだ。いみじくも「憲法改正」を第一の公約として掲げてきた安倍政権が、終戦時の日本の状況に触れた発言に対し、まともな議論も行わず、参議院選挙前という時期という理由だけで、世論に迎合した首切りを断行してしまった。憲法を論じる人間にとって、現行憲法の成立過程を考えると、終戦から憲法成立までの状況に対して、かなり明確な歴史認識を持つことが求められることは、常識である。
今回の騒動は、安倍首相の「迅速な対応」が見えたというより、世論の風向きで簡単に主義主張を曲げてしまうのではないかという日和見的な性格が見て取れたと言う気がする。
政権成立以来、はじめての選挙ということで、何とか政権を維持し、党内のリーダーシップを保ちたいという思いはわからなくもないが、小泉前首相が曲がりなりにも自身の主義主張を、貫き通したような印象を持たれるのに対して、非常に対照的である。

時まさに九州で豪雨が降り、マスコミは地球温暖化の影響だとはやし立てている。環境大臣時代、「チームマイナス6%」や「クールビズ」という耳障りの良いキャッチフレーズを(広告代理店と一緒になって)連発し、環境利権という新たな「ビジネス」を創出した小池氏は、この土砂降りの最中の安倍政権に、効果的な「環境対策」を施せるのだろうか。