私が小学2年生のころ、父が突然倒れた。
くも膜下出血だった。
倒れて運ばれた先の病院で、
脳の血管に直接カテーテルの様な物を入れる検査をしたそうだ。
何故そんな検査方法だったのか。80年代当時、MRIなどはまだギリギリ一般的ではなかったのだろう。
その検査の直後、
脳内出血を起こし、父は植物状態となってしまった。
母は連日、病院へ泊まり込みで父のそばにいた。
手足をさすっても、
緩やかな波の様にしか動かない父の脳波を見て絶望したという。
幼い私たちきょうだいは、親戚の伯父の家に預けられた。
伯父は、弟にはたまに話しかけることはあっても、
私には何故か一言も話しかけることはなく、私の存在を無視しているようだった。
従兄弟たちは男子で、伯父は女の子にどう接して良いのかわからなかったのかも知れないが、
伯父の前では私は自分がとことん無価値な存在であると思わされた。
義伯母は、明るく話しかけてくれる人だったがどこか意地悪なところがあった。
血の繋がりのない小さな子供を2人も家で預かることになったのだから、
ストレスも溜まったことだろうと今なら思う。
義伯母は私がいない時に、私の鞄の中身をチェックしたり、
ちょっとしたことで意地悪に私を責めたりした。
ある朝、伯母は従兄弟たちの前で洗濯物の私のパンツを取り出し
手に持って高く掲げてひらひらとさせ、
「このパンツだーれのだ?」
と私をからかった。
私は恥ずかしかったが、無反応に固まってしまった。
きっとおばさんは、「やめてー」と派手に反応する私を期待していたのだろうと思うといたたまれない気持ちになった。
そして入院から数ヶ月後、
36歳で父は帰らぬ人となった。
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