1981年生まれ、タカハシヨーコ

半生を振り返りました。名前は全て仮名です。
男尊女卑、毒親、毒母、シックマザー、不登校

袋小路

2023-09-28 04:15:00 | 日記

父を亡くした母は、義父母と同じ敷地内で生活する意味を見出せなかった。


義父母と上手く行かずに出ていってしまった長男夫婦が

本来この家の跡を継ぐのが順当ではないか、

義父母にとっても、子供を含めて自分達は邪魔者でしかないのではないかと悩んでいた。


母は実家の両親に、子供達を連れて実家に戻りたいと相談したという。

しかし、母の父はそれを許さなかった。

「お前はもうこの家を出て、〇〇家の人間なんだぞ?」

そう言って母が戻るのを拒んだという。

家を一度出た人間なのだから、

娘といえどももう他人であり、援助も一切しないのが当たり前という考えだった。


働こうにも子供はまだ小さく働けないし、それ以前にこの辺鄙な田舎に、なんの資格もない女がまともに働ける場所などなかった。

遺族年金だけでは、義父母の家を出て住む場所を探し自立することは難しい。


帰る場所もなく、行く場所ない。

針の筵のような義父母のいるこの家にとどまるしかない。


母は30代半ばにして、人生の袋小路に迷い込んでしまった。


壊れていく母

2023-09-24 15:26:00 | 日記

父が亡くなってからしばらく、文字通り母は泣き暮らしていた。


子供の私に向かって「死にたい」と言うことも多くなった。


当時の母は完全に精神を病んでいたのだと思う。

しかし、当時は心療内科という存在すらなく、

また、気軽に精神科を受診できるような時代ではなかった。


母はひたすら、父を失った絶望と苦しみ、

将来への不安と闘わなければならなかった。


「ねぇ、みんなで死んじゃおうか?」


は?

何言ってるんだ、死んでどうなるの?

あんなにかわいい弟君も死ねって言うの?

溢れてくる感情を、7歳の私はまだ上手く言葉にできなかった。


ある時、

台所で母は泣きながら包丁を持ち出して、服の上から自分の腹に突き刺した。


私は恐怖のあまりに、叫び声をあげて裸足のまま庭に飛び出してその場から逃げてしまった。


庭で息を切らしてしゃがみ込み、足はガクガクと震えていた。

しばらくして台所に戻ってみると、

母はただ刺す仕草をしただけで無傷だった。


安堵というよりも、母に騙されたという怒りに近い気持ちが溢れてきた。

私の心はぐしゃぐしゃに押しつぶされていた。


父が死んだのはわたしのせい?

2023-09-24 15:09:00 | 日記

日常はすぐに戻ってきた。

母がおかしくなっても、

心が沈んでも、

学校には行かなければならない。


長い登下校の道のり、一人でとぼとぼと歩きながらぐるぐると考えていた。


(なぜお父さんは死んだの?

あんな状態のお母さんも、もうすぐ死んでしまうの?)

(お母さんはしょっちゅう泣いていたけど

お父さんが泣いた姿は見たことなかった

お父さんの泣いた顔はどんなだろうと、見てみたいと思ったことがある。

こんなこと、思ったことあるから

神様がわたしにバチを当てたんだ


私が変なこと考えてたから

神様に嫌われて、お父さんは死んだんだ

お父さんのこと、大好きなのに

お父さんとお風呂に入らなかったからいけなかった?

わたしが悪い子なのを

神様はみていたんだ)


(お父さんが死んだのは

私のせいだ

お父さんをころしたのは、、、

わたし?)


めちゃくちゃな理論のおかしさに気付かぬまま

心に澱のように重苦しい罪悪感が溜まっていった。


大人になってから、

戦争や災害、事故などで生き残った人が罪悪感を抱いてしまうという

「サバイバーズギルド」という心理状態の存在を知った。

なぜか父の死に対して自分を責め続けた当時の私は、

それに似た様な症状だったのかもしれない。


父のお葬式

2023-09-24 11:55:00 | 日記

1980年代後半。

田舎では、自宅で通夜から葬儀まで行うのが当たり前の時代だった。

 

しばらくすると隣組と呼ばれる近所の人達が集まってきた。

あちこちに鯨幕がかけられ、屋敷には様々な物が運び込まれる。

台所は割烹着を着た女性達でごった返していた。

彼女達は私や弟に憐れんだ眼差しをむけて、

口々にかわいそうにとこぼした。

 

「まだ下の子は4歳だってよ」

「かわいそうにねぇ」

「あんな小さい子を残してねぇ、〇〇さんも無念だろうねぇ」

「ヨーコちゃんはしっかりしてるねぇ」

 

色々な人から言われたセリフをまだ覚えている。

 

「弟君もまだ小さいんだから、ヨーコちゃんがこれからお母さんを支えてあげるんだよ

お姉さんなんだからね?」

 

大人になり、私が7歳の子供にそんなことを言えるだろうかと時々考える。

 

庭では私よりも幼い従兄弟達が無邪気にはしゃいで遊んでいる。

一人いじけた様にしゃがみ込んで遊んでいる弟も、父の死を正確には理解していない様だった。

 

母は、葬儀の途中お坊さんがお経を読んでいる時に気を失って倒れてしまった。

母の兄が母の名前を叫びながら、母を抱き起こした。

 

(私がしっかりしなきゃいけないんだ。)

当時の私は、自分を奮い立たせるしかなかった。

 


父が亡くなった、あの日

2023-09-24 11:41:00 | 日記

 

小学校から帰ると、

母方の祖母がなぜか家にいた。

 

祖母は私の顔を見るなり悲壮感のある声で叫んだ

「お父さん、死んじゃったんだよ!」

 

その瞬間、世界が止まってしまったのを覚えている。

え?

一粒の涙も出なかった。

 

(どうして、もっと早く教えてくれなかったの?

こんなことなら学校を早退したかった。

なぜおばあちゃんからこんなことを聞かなければいけなかったの?

お母さんから教えて欲しかった。)

何故かそんなどうでも良いことばかりを考えていた。

 

ポストに届いていた進研ゼミの封筒を開けていたら、

こんな時に何遊んでるんだ!と怒られた。

そんな瑣末なことばかりがなぜか思い出される。

 

しばらくすると、父の遺体が母屋に運びこまれていた。

 

顔に被せられている白い布を取るのが怖くて仕方なかったが、

側にいた大人に促されて布を取った。

まだ若くて血色の良かった顔は、作り物の様に白く、

入院生活が長かったためか、髪の毛も伸びていた。

私が生まれて初めて見た、人の遺体だった。

人間だとは思えず、ましてや父だとは思えなかった。

 

これは誰か他の人なのではないか?

当時TVでやっていたドッキリカメラが家に来て、私を騙しているのではないか?

そんなことを本気で考えていたのだから

7歳の私は本当に幼かったのだと思う。

 

母は泣き疲れて呆然として、

何もできずだらしなく壁に寄りかかっていた。

顔は涙でぐしゃぐしゃになり、目の焦点が定まっていない。

子供の私から見ても、母が明らかにおかしな状態だということがわかった。