としちゃんの今日のひと言

古希も過ぎ今年は72歳身体の軋み物忘れそして不整脈など沢山のお土産貰いましたがまだ何かありそう探してみましょうネ

御巣鷹の尾根行ってきました

2011-10-13 00:34:37 | 山歩き
10月9日日曜日『御巣鷹山』へ行ってきました。

8月初旬「あれから26年がたちました」の報道に日航機墜落事故を思い出す。
山崎豊子さんの小説を知り、早速市立図書館の蔵書調査、『沈まぬ太陽御巣鷹山編』を読みました。
そして困難を極めた機体や遺体等の捜索状況の描写にすっかり引き込まれ。 
時に熱いものがこみ上げて鬼の目に涙状態になり、涼しくなったら現地踏査をと。

当日は高崎の実家を午前8時30分頃出発、70歳の姉、38歳の甥そして私の3人、全員行ったことなし。
ナビの案内で神流川沿いに上野村を目指しました、幸い連休中日でしたが道路は気分良く流れていました。
国道299号線→県道124号線→ここから先が感動でした。
大半が道路トンネルで平面線形の無駄を省き御巣鷹の尾根から約200メール下まで車の進入を可能にしたのです。
このお陰で体力にない遺族も墜落現場へ行くことが出来たのです。

私達も2時間程度の歩行を覚悟していたのでが、左膝の悪い姉は昇魂之碑や遭難碑などに大感激でした。
今でこそ慰霊の人達が立ち入れるように尾根全体に整備されていますが、事故直後の救援隊がどのような気持ちでこの地に立ったか?
いや立っていることさえ出来ないほどの足場の状態、もう一度本を読み直してみようと思いました。

小説にも書かれていた燃え残り黒こげになった切り株を見ることが出来ました。

そして最初に主翼が当たったと言われる向かいの尾根のU字溝(経年のため少し判別がし難くはなっていた)。

墜落地点を示す遭難碑と事故内容の記録。

遭難者遺品埋設の場所・航空安全記念像・鎮魂の鐘。

遺体発見場所に遺族により設けられた石碑等の年齢と惜別の言葉は見る者の心を揺さぶるに十分でした。

今回は姉さんの体調に合わせ事故現場をすべて踏査出来なかったが、来春はお線香持参足回りも整え再度訪問してみようと思います。

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1 コメント

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日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事 (アッキードF19で小沢一郎を撃退希望)
2018-08-26 20:00:12
日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事におけるJAL123便の元気な生存者が、日本の埼玉県警察の警察官(日本語で おまわりさん?)らの手により
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ainugakuin/e0011938_16494167[1].jpg
といった惨憺たる虐殺死体と化した。木にくくりつけて焼き殺すなど埼玉県警らしい残忍な犯行であった。

一方、救助に奔走したのは米国のみであった
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