『介護うつ お姉ちゃん、なんで死んじゃったの』
平成21年4月、タレントの清水由貴子さんが
お父さんのお墓の前で自ら命を絶ちました。
傍らには要介護状態のお母さんが車椅子に座っており
雨に打たれて肺炎を起こしかけていました。
由貴子さんは、昭和52年、17歳で芸能界にデビューしました。
同期には高田みずえや榊原郁恵がいました。
小学生のころ、父を亡くし、母が病弱だったため生活保護を受けています。
貧しかった家庭は、由貴子さんが芸能活動で支え、妹の学費や母の治療費などのため
がむしゃらに働いていたようです。
平成18年、46歳の時に、母の介護のため芸能活動をセーブしました。
平成19年9月、唯一のレギュラー番組も辞めて、芸能界を完全に引退しました。
介護に専念するようになりましたが、ボランティアをしたり、
パートにでたりもしていました。
平成20年12月、母が歩行不全となり、週5日デイケアに通う、本格的な
在宅介護が始まりました。
芸能界を辞めてから約1年半、在宅介護が始まってから4か月余りで
由貴子さんは自殺しています。
著者である妹の良子さんは、姉の自殺当時、「壮絶介護」「介護自殺」
という言葉を週刊誌の記事などで目にしても、自分たちの生活と結びつける
ことはできなかったそうです。由貴子さんは介護のことで愚痴を言ったり、
投げやりになったりすることもなく、やや元気がないときでも、良子さんは
それが介護と関係があるとは考えなかったようです。
介護離職が社会問題となっていますが、主な問題点は社会にとっての労働力の減少と
介護者の収入減、そして社会からの孤立ではないかと思います。
由貴子さんはお金の心配はなかったかもしれませんが、恐ろしく孤独だったのでは
ないでしょうか。そしてその孤独は実の妹さんでさえ気づくことができなかった。
良子さんはそのことを悔やんで申し訳ない気持ちでいっぱいになっています。
介護者が明るく元気で気丈で、愚痴をこぼさない人だと、周りの人はラクです。
そして安心してしまいます。この人なら大丈夫って。
由貴子さんもそうだったんだと思います。
本の最後に良子さんは書いてます。
あの日なんで晴れてなかったんだろう。なんで富士山が見えなかったんだろう。
あの日、夕焼けに染まる富士山を見ていたら姉は絶対死ななかったはず。
私もそう思います。
死んでしまおうかな、死んでもいいかな…
そんなときに本当に実行に移してしまうかは、偶然によるのかもしれません。
残された人は自殺なんて許せない!と思ったり
気づいてあげられなくて申し訳ないと思ったり、なんでなんで…
って、ずーっと思い続けたり。でも生の世界に運や縁が薄れてしまう
瞬間というのがあるのかもしれません。
それと、介護離職をせずにすむ方法をもっと研究しないといけないと思います。
精神論でいける分野じゃないですから。