
金刀比羅神社にて心にとまった言葉。
もう何回もこんぴらさんに、お詣りしてるのに、この看板にはじめて気付きました。

こんな美しく素敵な言葉を残せる御方とはどんな方なんだろうと思いました。
直感ですが、この言葉は神様から貝原益軒さんが賜った言葉だと思いました。
本当に無知で、私は貝原益軒さんを知らなくて、遅ればせながらですが、少しずつ学んでいきたいと思います。
貝原益軒さんは、江戸時代に生きた儒学者のようです。
晩年の著書に『養生訓』があり、当時の平均寿命が50歳くらいだった時代に、84歳という天寿を全うされました。
幼い頃、病弱で、多くの書物を読み医学や薬学といった『治療方法』の追求に興味を持った益軒さんは、それを深めていくうちに、養生という思想や、価値観に辿り着いたようです。
『養生訓』は、そんな益軒さんの実体験に基づき健康法を解説した書で、その行き着いた先が、人生で最も大切な事は、心を整理することだと何度も書かれています。
自分と他者の身体や精神に、深く心を配ること。つまり『思』であり、それは『心』の働きに関わっていると。
『孟子』の君子の三楽にちなみ、養生の視点からの「三楽」として次のものが挙げられています。
①道を行い、善を積むことを楽しむ
②病にかかることの無い健康な生活を快く楽しむ
③長寿を楽しむ。
また、その長寿を全うするための条件として、自分の内外の条件が指摘されています。
まず自らの内にある四つの欲を抑えるため、次のものを我慢する。
①あれこれ食べてみたいという食欲
②色欲
③むやみに眠りたがる欲
④徒らに喋りたがる欲
つまり、養生のためには飲食の欲、性欲、睡眠の欲を抑制しなければなりませんが、それには心のコントロールが必要不可欠であるといっているのです。
その教えは、老子や孔子、孟子といった聖人の教えに通じるものがあり、現代社会においても十分当てはまると感銘を受けます。
薬よりも日々の食事、栄養バランスや運動バランス、身体の使い方、お酒の飲み方が大事であると、自分の足で歩き、目で見、手で触り、あるいは口にすることで確かめるという自らの体験を通じ解釈し、治療法を勉強するより養生方法を追求することが大切だと。
そして、仮に病になってもかかる医者を吟味すること、薬と効能と害など具体的な養生の指南が記されているのです。
実証主義的な面を持っていて朱子学に疑問を呈したりしたようです。
できるだけ病気にならないこと。病気になってから対応するのではなく、病気にならないためにどうするか、いかに健康に気を配り心身を維持していくかということです。
未病の大切さは、病の苦しみを経験した方なら痛感していると思います。
死因リスクの割合の約6割を生活習慣病が占める現代社会において、養生訓の教えから学ぶことは多いと思います。
『養生訓』より
“養生の術は、まず心法をよく慎んで守らなければ行われないものだ。
心を静かにして落ちつけ、怒りをおさえて欲を少なくし、いつも楽しんで心配をしない。
これが養生の術であって、心を守る道でもある。
心法を守らなければ養生の術は行われないものだ。
それゆえに、心を養い身体を養う工夫は別なことではなく、一つの術である”
“心を平静にして徳を養う 心を平静にし、気をなごやかにし、言葉を少なくして静をたもつことは、徳を養うとともに身体を養うことにもなる。
その方法は同じなのである。
口数多くお喋べりであること、心が動揺し気が荒くなることは、徳をそこない、身体をそこなう。
その害をなす点では同様なのである”
言葉少なく静を保つ。
寡黙で、あまり喋らないけど、ただ居るだけで安定感と安心感のある方を尊敬します。
感情をむき出しにする事なく、落ち着いていて、言葉穏やかで、謙虚で決して矜らず、中庸の徳を兼ね備えている、そういう方と一緒にいるだけで、こちらまでほっとします。
また、朗らかで笑っている人は健康な方が多いような気がします。
自分が病だった時、病は気からと周りから言われるのが辛くて堪らなかったけど、今思えば当たっている面も多く、病は、その自らの気を自らの思い(心)や食品添加物(身体)などで痛めつけた結果なのかもしれないです。
心を平静にする
全てがここから始まる。
静して感じて、自分の口に入れる飲食も含め、今一度自らを見つめ直す事が、養生に繋がるのかもしれませんね。
養生の第一歩は精神修行にも繋がるので、自分に静かに向き合ってみようと思います。。
私も一読、そう思いました。
長生きするには食欲、性欲、睡眠欲を抑制しないといけないのですね。食べたいだけ食べている私にはなかなか難しいですが、気をつけようと思います。
こんばんは。
今日は一日中、お仕事であちこちに行ってまして、帰りが遅くて、返信が遅くなりました🙇♀️
人間には欲があり、自他からの誘惑もあり、それに打ち勝って心をコントロールする事は難しいのかもしれませんね。
私もまだまだです。
でも、この言葉を知って、自分をもう一人の自分に監視させるつもりで、心をコントロールし平静に持っていければと思います。
コメント有難うございました。