事故直後、加害者からの謝罪は全く無かったです。
それを警察に酷く怒られたようで、悪質だとされ困ったのか、事故から2.3ヶ月後に連絡が来て、謝りたいと言って来ました。
私も、最初は病名もなかったし、体調は悪いけど、そのうち治るだろうし、加害者もわざとではないだろうから、謝ってもらわなくてもいいやと思っていました。
暫くして、加害者からはじめて電話がかかって来ました。
家に来るというので、わかりましたと言って迎えました。
深々頭を下げて謝ってくれたのですが、警察に謝ってない事を怒られて免停になると言われたと言います。
今まで謝らなくて本当に申し訳なかったと頭を下げます。
そして、免停になると配達の仕事があり、仕事が出来なくなるとたちまち困るから、言えた義理ではないが嘆願書を書いてほしいと、正座をして頭を下げてお願いされました。
元々、加害者に怒りの感情があったわけではなく、自分の体調が悪いからといって、加害者の生活ができなくなるのは申し訳ないと思ったのと、目の前で頭を下げられると何だか可哀想に思って、人好しもここまで来れば馬鹿だと父からは言われましたけど、嘆願書を書いてあげることにしました。
それが、良くなるどころか落ちるところまで落ちて、命さながら東京に行き、自費治療を受けることになろうとは、嘆願書を書いてあげた時は思ってもなかったのです。
東京での静養を経て、3ヶ月後に帰って来て、せめて、貴方の運転で何が起こったのかを知ってもらいたいと、本当にそれだけの気持ちで、加害者に電話をかけました。
7月と10月に入院し11月に高知に帰り、その年の暮れのことだったと思います。
携帯に電話をして、事故で何が起こったのかを聞いてほしいと私は加害者に話しました。
怒りは無く物静かに言ったと思います。
そしたら、若いお兄ちゃんは嘆願書を頼んできた態度と全然違っていて
えっ、年内ですか?忙しいから無理です!
と言って、プチっと電話を切られてしまいました。
その後、相手の保険会社から電話があり、加害者は貴方と金輪際会わないと言っている。。。
と告げられました。
最悪期は脱したものの、体調はまだまだでした。
そんな中、せめてこの出来事のかけらでも知ってもらいたいと思っただけなのに、理不尽な対応に、悔しさと哀しさから込み上げる怒りで自分自身が燃え尽きてしまいそうでした。
空虚感と、こんな人に嘆願書を書いてあげた自分の馬鹿さ加減と、自分の身体に残る残存の苦しみに、中から込み上げる怒りの炎が、物凄い勢いで湧き上がってきました。
逃げることはできない身体の苦しみに、
ここまで怒りに震えるほど、加害者を怒れる自分がいて、
身体の苦しみと、怒りの炎の両方は、私をさらに苦しめ、
そして、もう耐えられないと思いました。
怒りのエネルギーは心身の消耗が凄いのです。
身体が辛い、心が辛い、こんなの無理。。。
そんな時、私の中のもう一人の私が、
もうやめなさい。。。
両方は無理だから、ひとつにしなさい。。。
と怒ってる私に、怒りを手放すように諭しました。
逃げられない身体の苦しみを選択する以外に方法はなく
勝手に込み上げてくる怒りの感情を、
もう一人の私が支配して、
私の外の場所に置く努力をさせられたような、
そんな感じがしました。
続く