車えび料理専門 うすい山荘

昭和48年創業以来、県内外からのリピーターも多く
ご満足して頂ける事と思います。
TEL083-984-2426

うすい山荘は、明日23日、火曜日、定休日とさせて頂きます。歴史が興味ある方、必見です。

2021-03-22 21:44:17 | 食事処、天然車えび料理専門、うすい山荘、創業50年。


うすい山荘は、明日23日、火曜日、定休日とさせて頂きます。

臼井氏は本姓は千葉といい平氏である。祖先は桓武天皇から出た天皇の御子 葛原親王(かずらわらしんのう)である。葛原親王は四品に叙して式部卿となった。 葛原親王の子は高見、孫は高望という。高望は平氏の姓を賜り上総介となる。 高望には四人の子があって、國香・良将・良兼・良文といったが、武士となって東門守介或いは鎮守府将軍を任ぜられる。 國香の子は貞盛、良将の子は将門である。

良兼は上総介であり、すなわち 臼井家の元祖である。良兼の妻は右大臣菅原道真公の娘で道真公左遷の時 父を慕って播州まで後を追った。曽根相公はその孝に感心し、道真公の画像を 写して娘に授けたという。これが千葉家より臼井家に伝わっている。

良兼の孫は致頼(むねより)平太夫と号して下総国千葉に住んだので千葉姓を名乗った。 致頼は勇敢で平貞盛の子維衡(これひら)・源頼信・藤原保昌(やすまさ)らとともに四天王と称された。

致頼の孫、忠常千葉前上総介は長元元年に乱を起して討伐軍と戦うが、後に源頼信に降伏した。忠常の曽孫常兼従五位下上総介の三男常安(常康)は千葉六郎と号し長寛二年総州臼井を領し臼井六郎と改めた。これを臼井姓の始めとする。

菅原道真公の画像を伝えて常にこれを崇拝し、筑紫を慕うこと切である。源頼朝は覇府を鎌倉に開き、常安の忠勤に報いて筑前国嘉麻郡馬見庄・臼井庄を合わせ五百町を与えた。これより臼井兵衛尉(ひょうえのじょう)と号し、後に次郎左衛門と改めた。これより前常安は総州臼井を領していたが、同名の地を筑前に得たのは奇遇とはいえ道真公の神霊の加護であろうか。

平常安の子、常則も又次郎左衛門尉という。後鳥羽・須徳両皇は、北条義時を謀って鎌倉を征討しようとする。この時常則は勅命に応じたが、事は成就せず河内国土師(はじ)に幽居した。後に承久三年六月十四日、京都において戦死する。その子実好は領地を義時に没収されて漂泊することとなった。母はこれを嘆いて道真公御影に深く祈り、お告げによって叔父常有と計って一族の下総国千葉胤綱を頼った。胤綱は元の領地上総国臼井に住まわせて、五百貫の地を与えたが、鎌倉をはばかって菅原家の縁により姓を野見と改めさせ、野見六郎と名乗らせた。これは野見宿禰(すくね)から取ったものである。これより数代にわたって野見を名乗る。


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