メンヘルな文章も書いてみよう。
健常者に理解が出来ないのを前提に書いてみる
現在私はとても調子が悪い。
私の中には人格と呼ぶ程ではない、ある程度独立した思考回路が複数存在する。
よく「それはそれ、これはこれ」と言うが、アレを別々に担当がいると思えばいいかもしれない。
具体的にどのように分かれているかの自覚はあまりない。
それは、普段は主人格がその他思考を統制して生きているからだ。
主人格は全ての思考をある程度備えているため、普段の生活ではこれだけで事足りる。
事足りなくなった場合のみ、担当の思考が表に表れて主人格に主張をする。
最終判断は主人格が行う。
恐らくは、この最終判断がどちらにあるかが精神分裂病、今で言う統合失調症との
違いなのではないかと思っている。
私は回避性人格障害と呼ばれる種にある程度属する。
常にそういう発想になるわけではないから、ある程度、なのである。
恐らくは様々な思考達は、生まれてから今日まで生きるために生まれたものだろう。
心の弱い私を保護するために、思考を切り分けていったのだろう。
私はよく「クール」だとか「何を考えているか分からない人」と言われる。
単に余計な事に思考を回さないようにしているだけの事なのだが。
しかし、これがバランスが崩れてくると話は変わってくる。
現在統制が乱れ表に出さないようにするだけで手一杯の状態である。
こうやって書き記すのもリアルに表さないための策の一つだ。
元となった事が何なのかは分かっている。
とても根が深く、そしてそれに追い討ちをかける者が居る事も。
静まるにはしばらくかかりそうだ。
季節の変わり目も入って余計に難儀だ。
しかも鬱の元たるクリスマスも近い。
私の戦いは終わらない。死ぬまで終わらない。
だが、この程度では死ね無い。
その為に薬がある。キチガイである事を受け入れたのはその為じゃないか。
頼れるものは薬のみ。
我が手にあるこの薬と共に絶望の闇を歩け。
健常者に理解が出来ないのを前提に書いてみる
現在私はとても調子が悪い。
私の中には人格と呼ぶ程ではない、ある程度独立した思考回路が複数存在する。
よく「それはそれ、これはこれ」と言うが、アレを別々に担当がいると思えばいいかもしれない。
具体的にどのように分かれているかの自覚はあまりない。
それは、普段は主人格がその他思考を統制して生きているからだ。
主人格は全ての思考をある程度備えているため、普段の生活ではこれだけで事足りる。
事足りなくなった場合のみ、担当の思考が表に表れて主人格に主張をする。
最終判断は主人格が行う。
恐らくは、この最終判断がどちらにあるかが精神分裂病、今で言う統合失調症との
違いなのではないかと思っている。
私は回避性人格障害と呼ばれる種にある程度属する。
常にそういう発想になるわけではないから、ある程度、なのである。
恐らくは様々な思考達は、生まれてから今日まで生きるために生まれたものだろう。
心の弱い私を保護するために、思考を切り分けていったのだろう。
私はよく「クール」だとか「何を考えているか分からない人」と言われる。
単に余計な事に思考を回さないようにしているだけの事なのだが。
しかし、これがバランスが崩れてくると話は変わってくる。
現在統制が乱れ表に出さないようにするだけで手一杯の状態である。
こうやって書き記すのもリアルに表さないための策の一つだ。
元となった事が何なのかは分かっている。
とても根が深く、そしてそれに追い討ちをかける者が居る事も。
静まるにはしばらくかかりそうだ。
季節の変わり目も入って余計に難儀だ。
しかも鬱の元たるクリスマスも近い。
私の戦いは終わらない。死ぬまで終わらない。
だが、この程度では死ね無い。
その為に薬がある。キチガイである事を受け入れたのはその為じゃないか。
頼れるものは薬のみ。
我が手にあるこの薬と共に絶望の闇を歩け。