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クロの里山生活

愛犬クロの目を通して描く千葉の里山暮らしの日々

耕一物語ー姉妹の館

2014-08-19 18:48:09 | 日記

陽子は、健さんの戦友の奥さんであった。

戦友の菊池は赤紙(召集令状)で徴兵される前年に陽子と結婚していた。1年後、徴兵されて南方の前線に動員され、フィリピンで健さんと一緒になった。そしてタイ、ビルマと転戦し、戦友として一緒に戦った。菊池は戦死し、健さんは生きて日本に還ってきた。

英霊となった菊池の遺骨を家族に渡すため、健さんは戦地からそれを持ち帰った。

そして遺骨の入った白木の箱を首から提げて、健さんは気仙沼にやって来た。

菊池の家を探し当て、彼の遺影が飾られた仏壇の前に白木の箱を置き、健さんは英霊に手を合わせた。そして、菊池が死ぬ時まで肌身離さず大事に持っていた一枚の写真を、白木の箱に添えた。それは、妻の陽子と幼子が写っているボロボロになった写真であった。

すると、それまで健さんの後ろで黙って白木の箱を凝視していた妻の陽子が、「あんた!」と叫び、その箱を抱き抱えて泣き崩れた。

そしていつまでも起き上がろうとしなかった。

泣き崩れている母の側で、小さな男の子も一緒になって泣いていた。

菊池の忘れ形見である。

 

健さんは、泣き崩れている陽子をそのままにして帰ることができなかった。

英霊となったその男との、戦地での思い出話をとつとつと語り始めた。

気がついたら、とっぷりと日が暮れていた。

そして、その夜はその家に泊まることになった。

健さんと陽子との縁はそのようにして始まった。

その後、健さんは船乗りになり、時々気仙沼に寄港するようになった。

そのたびに、健さんは沢山のお土産を持って陽子を訪ねた。

そしていつしか、二人は、お互いを慰めあう特別の関係になってしまった。

 

やがて陽子は、夫が残してくれたその家で、妹の明子に手伝ってもらって民宿のようなものを始めた。

美味しい家庭料理とアットホーム的な温かいもてなしが評判を呼んで、次第に船員達が泊まってくれるようになった。

 

妹の明子が用意してくれた料理を肴にお酒を飲み始めた健さんは、耕一に酒を勧めながら姉妹に言った。

「耕一は今まで随分と苦労した男でな、親の顔も知らない孤児(みなしご)じゃ。だが、なかなかしっかりした男で、良く働く。これから楽しみな男だ。それにほら、こんなにいい顔をしておる。 明子にはまだ彼氏がおらんらしいが、これも何かの縁じゃ。よかったら少し付き合ってみたらどうかと、わしは思っておるんじゃ」

健さんにそう言われる前から、耕一は明子のことが気になって仕方がなかった。

名前の通り明るい娘のようだ。そして姉を助けて甲斐甲斐しく良く働いている。顔立ちも悪くない。いや悪くないどころか美人の部類に入る。東北の女らしい、おくゆかしい風情が立ち居振る舞いにあった。

お酒の杯を重ねるごとに、耕一の胸は高鳴って行く。

「そうだ耕一、おまえ、お風呂に入れてもらったらどうだ。船旅の垢を落としてさっぱりすると気分良く眠れるぞ」

「そうだわね。お風呂はもう用意してありますからいつでも入れますよ。ゆっくりつかって行きなさいな。明子、ご案内してあげなさい」

姉にそう言われて、明子は少し顔を赤らめて耕一を見た。

耕一の身体の奥がうずいた。そのうずきはやがて赤い欲望の炎となって脳天の思考回路を麻痺させて行く。

耕一は明子をみつめたまま、フラフラと立ち上がった。

 

 

続く・・・・・

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耕一物語ー謎の館

2014-08-18 20:25:57 | 日記

耕一は健さんの後を付いて歩いていた。

他の仲間はもう誰もいなかった。

太田の繁華街に出た辺りでみんな消えた。

健さんは繁華街を少し下り、そして反対側の裏道に入って行った。

しばらく行くと、旅館のような建物が軒を並べているのが見えた。

健さんはタバコの煙を揺らしながらゆっくりと歩いて行く。

大きな間口の玄関先で、はっぴを着た年配の男が客引きをしていた。

「おにいさん、良い女(こ)がいますぜ。少し遊んでいきませんか」

もみ手をしながら寄ってくる。

「ああ、また今度な」

健さんはタバコをくわえたままそう言って歩いて行く。

反対側の館の二階の窓に腰掛けて、下を眺めていた女が声をかけてきた。

「そこの素敵なおにいさん、ちょっと寄っていかない。たっぷりサービスするわよ」

健さんはタバコの煙を揺らしながら、黙って歩いて行く。

曲がり角まで来た所で、また路地に入った。

路地を抜けると民家が数軒並んでいる。

その奥はもう山の崖が迫ってきていた。

一番奥の民家の前で健さんは足を止めた。

小さな家である。

門に明かりが灯っていた。

庭には桜の木が一本。

すでに花は散り葉桜であった。

玄関にも明かりが灯り、引き戸は半分開けられていた。

「こんばんは!」

玄関に足を入れた健さんは、奥に向かった声をかけた。

「はーい!」

女の明るい声がした。

それと同時に子供の泣く声も聞こえた。

若い女が出てきた。

「まあ健さん、お帰りなさい」

若い女は嬉しそうに言った。

 

 「姉さんはいるかい?」

「ええ、もう朝からお持ちかねよ。今、子供を寝かしているところなの」

そう言った若い女は、玄関の外の暗闇にいた耕一に気が付いた。

「あら、あの若いおにいちゃんはどなた?」

「新入りの仲間だよ。おい、耕一、こっちへ来な」

「まあ、ずいぶんお若いのね。どうぞ中にお入り下さい」

 

二人が座敷に上がってお茶を飲んでいると、子供を寝かしつけた姉の陽子が、髪の毛を整えながら奥から出てきた。

「健さんお帰りなさい。二ヶ月ぶりかしら・・・・。お元気でしたか?」

陽子はそう言うと、健さんの手を取って、その手を愛おしそうに撫でた。

「俺の方は大丈夫だ。陽子さんの方はみんな変わりはないかい?」

「はい、お陰様で、今ではみんな幸せに暮らしています」

 

続く・・・・・・ 

 

 

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耕一物語ー港町の夜

2014-08-17 20:45:57 | 日記

その晩、機関長の松さんとその仲間は、三陸の新鮮な魚介料理に舌鼓を打ち、陸奥のおいしいお酒に酔った。

オヤジが腕をふるって調理する魚介料理を、次々と久美子が運んでくる。

運ぶ合い間に、若い久美子は愛嬌を振りまきながらお酌をして回る。

「健さん、もう一杯いかがですか?」

寡黙な健さんは、久美子にそう言われて少し赤くなり、杯を干した。

健さんは中年の船乗りだ。妻子を故郷の新潟に残して船に乗っている。

彼は幸運にも戦地から生きて還ってきた男だ。

生きて還ってきたことを「戦友に申し訳ない」と思いながら生き続けている男だ。

だから新潟生まれのこの男は、寡黙になって酒を飲むしかないのだ。

 

お腹が膨れ、お酒も入ってみんな良い気分になったところで、松さんが言った。

「さて、俺はこれから女のところへ行くぞ。今夜は船には戻らない。今夜の当直は信一だったな。あいつなら心配ない。さあみんなも今夜は羽を伸ばしてくれよ」

みんな馴染みの女がいるようで、納得顔で松さんの顔を見ている。

「ところで健さん、すまんが耕坊をどこか適当な所へ連れて行ってくれないか?」

端の方で小さくなっている耕一を見ながら、松さんが言った。

「ああ、いいよ。おれに任せておけ」

健さんはそう言うと、上着のポケットからタバコを取り出して口にくわえた。

それを見た耕一は、さっと健さんの側に寄り、マッチを擦ってその火をそっと彼の口元に差し出した。

耕一のそんな気配りに満足したように、健さんは旨そうにタバコを吸うと、大きくその煙を吐いた。

「ところで耕一、お前はどんな女が好きなんだ?」

「・・・・・・・・・」

耕一は赤くなってうつむくばかりである。

それを見て、健さんはニヤニヤと笑った。

 

「じゃ健さん、我々も出かけようじゃないか」

隣で飲んでいた男が、ソワソワしながらそう言って立ち上がった。

海の男達は、この日の夜の楽しみのために生きていると言っても良いだろう。

戦争という異常な時代を生き延びた男達にとっては、特にそうであったかも知れない。

耕一の手には、 松さんから軍資金として渡された1円札(現在の1万円に相当)が握られていた。

《これからどんなことが始まるのか・・・・》

16歳の少年の胸は、これから始まろうとしている夜の処女航海を前に、その好奇心という想像の翼に乗って、うずき、ときめき、高鳴って行くのであった。

 

続く・・・・・・

 

 

 

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耕一物語ー港町の女

2014-08-16 21:57:11 | 日記

機関長の松太郎とその仲間は、裏通りをしばらく歩き、一軒の小料理屋の暖簾(のれん)をくぐった。

「らっしゃい!」

奥のカウンターの中から威勢の良い声が響いた。

「オヤジ、二階は空いてるかい。久しぶりの気仙沼だから今晩はみんなとゆっくり飲むぜ」

「やー、松さん、久しぶり! 元気そうじゃないか。ちょうど今、二階が空いたところだ。

おい、久美子! 松さんが来たぞ。二階にご案内してくれ」

「はーい! ただいまーーー」

奥の洗い場から看板娘の久美子が手ぬぐいで手を拭きながら顔を出した。

「あら松さんお久しぶり、まあ健さんもご一緒じゃないの。皆さんお変わりございませんか」

「久美ちゃん、また一段とベッピンさんになったんじゃないかい。良い人ができたのと違うか?」

「そんなんなら良いんですけどね。良い人がいたら紹介して下さいな」

若い久美子は明るく微笑みながら、如才なく松太郎達を二階の座敷に案内した。

 

案内しながら、耕一に気がついた彼女が言った。

「あら、きょうは随分若い船乗りさんもご一緒なのね」

「ああ、こいつは耕一という名前で、今日が初航海じゃ。まだ世間をよう知らんようだから、まああんじょう教えてやってくれよ」

「あんた耕一さんというのね。私、久美子、宜しくね」

久美子はそう言うと、トントントンと階段を駆け下りて行った。

耕一は若い女の顔を見ることもできず、ずっとうつむいたままであった。

当然である。耕一はこれまで若い女と話をしたことがなかった。

何をどう話していいかも分からない。

しかし、明るく華やいだ若い女性の姿はとても素敵だと思った。

その声を聞き、その姿を見ているだけで気持ちがウキウキとしてくる。

そんな気分になったのは、生まれて初めてであったかも知れない。

16歳の少年の青春が始まろうとしていた。

続く・・・・・・

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耕一物語ー気仙沼の夜

2014-08-16 08:44:10 | 日記

高村光太郎が昭和6年(1931)に気仙沼を訪れている。その時の模様を川島秀一氏が「気仙沼港」の中で書いているので紹介してみたい。

光太郎は午後7時半に気仙沼港に着いた。船から見た気仙沼町の花やかな燈火に驚き、上陸して更にその遺憾なく近代的なお為着せを着てゐる街の東京ぶりに驚く。

光太郎が来た年の気仙沼は、昭和4年の大火の後の、復興の槌音が響いていたころである。

大正4年の大火のときもそうであったが、気仙沼の町と港は、大火後に当時の文明を全面的に受け入れることで復興する。東京直輸入の文化が導入されたわけであって、光太郎が見聞したのも、新時代の息吹そのものであった。

婦人会の隣保事業、公衆用水道栓、日本百景当選の記念碑、道路の街灯、新築の警察署、広壮な小学校でのテニス競技、学術講演会、塩田の歴史を記した立て札、浪花節にシネマ、銀座裏まがいのカフェ、「社会施設の神経がひどく目につく」とともに、「おそろしく至れり尽せりの外客設備」に旅人は茫然としてしまうと、記されている。

また、松川二郎の『全国花街めぐり』(1929)にれば、その当時、気仙沼には「四十余軒の大小料亭」があり、芸妓屋も3軒あったと記されている。現在残っている料亭の「扇屋」や「自由亭」には、その当時の面影を残している。

 

このように、陸奥(みちのく)の港町・気仙沼の予想以上の繁華ぶりに、東京から来た光太郎は大いに驚いたのである。

 

さて、耕一が気仙沼に来たのは光太郎が来訪した15年後になる。

太平洋戦争の戦火を免れた港町・気仙沼は、終戦直後のその時期には既にかなりの活況を呈していた。 その活況の中に、愛友丸もいたのである。

港に上陸した愛友丸の乗組員達は、機関長を取り囲むように歩き、港の坂道を登っていた。

そこは太田と呼ばれる歓楽街であった。

耕一は、初めて見る賑やかな歓楽街の風景に目を見張った。

耕一が知っている歓楽街と言えば、瓦礫の街の横浜・伊勢佐木町くらいである。

あそこでは、応急的なバラックの建物が多かった。

ここでは、大小の料亭が50軒近く軒を並べ、映画館やカフェなどもあった。

歩いていると、三味線の音や女の嬌声がが聞こえてきた。

《東北の港町に、これほど風情のある賑やかな場所があったのか・・・・・・》

16歳の少年は、その歓楽街の賑やかな雰囲気に目を奪われた。

坂の上の方から、年配の芸者さんが着物の裾を少し持ち上げるようにして、カタコトと下駄の音をさせながら歩いてくるのが見えた。

耕一がぼんやりとその姿を眺めていると、

「あらまあ、かわいいぼうやだこと。松さん、この子は新顔かい?」

と、機関長に親しそうに話しかけた。

「ああ、まあな。相変わらず元気そうだな。いつもの所で待ってるよ」

タバコを口にくわえながら機関長はそう言うと、本通りから路地に入って行った。

耕一は慌ててその後を追った。

 

続く・・・・・ 

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