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クロの里山生活

愛犬クロの目を通して描く千葉の里山暮らしの日々

耕一物語ー焼け跡の倉庫

2014-08-25 09:04:26 | 日記

暗闇の生麦沖で愛友丸が揚げ荷作業を行っている頃、陸(おか)の焼け跡工場街を一台のトラックが走っていた。

暗闇の道をヘッドライトの二本の明かりが進んで行く。

廃墟の工場群跡を抜けたところで、トラックが停まった。

大きな倉庫が月明かりに浮かんで見えた。

倉庫の周囲は鉄条網の高い塀で囲まれている。

ゲートの前に停まったトラックのクラクションが、小さく3回鳴った。

しばらくすると、鉄条網のゲートが静かに開いた。

ゲートの内側に、MP(ミリタリーポリス)の制服を着た若い黒人の男がいた。

「ヘーイ、カムイン」

若い黒人が眠そうな声でそう言って、トラックを倉庫構内に入れた。

 

そこは進駐軍の物資保管倉庫であった。

破壊を免れた工場を接収して、GHQが倉庫として利用していたのだ。

その倉庫に、暗闇にまぎれてトラックを乗り入れ、物資を持ち出そうとしている。

その犯罪行為を、警備すべきMPがなんと手引きしている。

大胆不敵とはこういうことを言うのだろう。

進駐軍物資の横流しはそのようにして行われた。

 

 

 

愛友丸が生麦で積んだ次の荷物はそんな進駐軍の闇物資だった。

色んなものがあったが、缶入りの食料品が多かった。

牛肉、パイナップル、コーヒー、アイスクリーム用粉ミルク・・・・・・

チョコバーやタバコ などもあった。

当時の一般庶民が見ることもできなかったような物資が闇から闇へと横流しされていた。

そんな船荷を積んで、愛友丸はこんどは南の港へ向かうことになる。

 

 しかし、それにしても、これだけの闇物資を動かしている機関長の松さんという男は何者なのか・・・・・・。

いや、松さんがそれを動かしているわけではない。それを仕切っている連中は他にいる。浜の顔役達だ。松さんはその組織の一員にすぎない。

港の警備担当のMPを手なずけるのも、運搬するトラックを手配するのも、そして横流しした闇物資を隠匿管理するのも、全てその組織の連中がやることである。

戦後の大混乱の中で、それをやった連中が、巨万の財を成し、そして巨大な利権を握ることになった。

 

 

 

 続く・・・・・・

 

 

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耕一物語ー生麦沖

2014-08-24 08:42:14 | 日記

生麦浜の暗闇の沖で、愛友丸の荷揚げ作業は機関長の陣頭指揮で、密かに静かに行われた。

覆いのカバーが取り除かれた船倉には、麻袋に入った闇米がうず高く積まれている。

若い船員二人が、床に敷いた大きな網に麻袋を積んで行く。

二人がかりで、30kgの麻袋を「ヨイショ、ヨイショ」と積んで行く。

10個ほど積んで、網の紐をウインチのロープにかけると、デッキ上で待つ健さんがウインチを操作して荷物を上に持ち上げ、船側に待機しているだるま舟に降ろす。

その作業は休みなく続けられた。

夜の7時頃に船内の小さな食堂で簡単な夕食の摂り、8時過ぎに始まったその作業は夜中の12時過ぎにようやく終わった。

 

 

耕一は、その作業の間、厨房で板長(コック)の手伝いをしていた。

厨房では、翌日の仕込み作業があった。

板長は人の良い初老の男であった。機関長の縁者であるらしい。

留(とめ)さんと呼ばれているその板長は、ジャガイモの皮をむきながら耕一に話しかけた。

「なあ耕一、おまえは生みの親の顔を知らないというが、両親のことを全く知らないのかい?」

「養子に行った先の継母の話では、父親はお寺の坊さんだったらしいです。今では名前も住所も分かりません」

「お母さんは・・・・?」

「母は九州の生まれらしいです。九州で住職をしていた親父と駆け落ちして東京へきたらしいです」

「・・・・・・・・・」

「両親は僕が生まれてしばらくしてから離婚したらしいです」

「・・・・・・・・・」

「ところで留さんのご家族は?」

「わしは一度結婚したのだが、わしが船に乗っている時に、女房は男を作って出て行ってしまったよ」

「・・・・・・・・・」

「一人娘を置いてな・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「娘が小学3年生の時だった・・・」

「・・・・・・・・・」

「耕一よ、人生色々あるよ。色んなことがあるから面白いのよ。まあその時は大変だけどな。娘を育てるのは大変だったけど、今ではわしを助けてよくやってくれるようになった」

「オヤジの背中を見て子供は育つっていうことですね」

「まあ、そんなとこかな」

 

 

二人がそんな四方山話をしながら厨房で作業をしていると、機関長の声がした。

「おーい留さん。もうすぐこっちの作業が終わるよ。夜食の準備を頼むよ!」

「あいよ。いつでもOKだよ」

留さんはそう返事すると、梅干を入れた大きなおにぎりを手際よくにぎり始めた。

 

 

続く・・・・・・

 

 

 

 

 

 

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耕一物語ー生麦の浜

2014-08-23 08:58:41 | 日記

堤防先端の柱に灯る明かりの下を、数隻のだるま船(はしけ舟)がこっちに向かってくるのが見えた。

「耕一、おまえは機関室に入っておれ」

甲板にいた耕一は、機関長にそう言われて慌てて船の中へ入った。

そこは川崎の生麦というところであった。

生麦といえば、幕末に起きた生麦事件で有名であるが、その生麦地域は、戦前より日本でも有名な漁師町として栄えてきた所である。

しかし浜周辺の海は埋め立てられた京浜工業地帯の一部となっており、戦時中は中小の軍需工場が立ち並んでいた。そして、そのほとんどの工場は空襲で破壊され、廃墟となった建物が並んでいた。

またその漁師町は、戦時中の食糧統制の頃から、すでに魚を取引きする闇市があった。だから戦争直後のこの時期には、他に先駆けて、魚を扱う大きな闇市が存在していたのであった。

更には、横浜の駐留軍キャンプに近いことから、その闇市には米軍放出物資(闇物資)も相当量流れてきていた。

そんなところに、愛友丸は何を持ち込んだのだろうか。

 

愛友丸が荷揚げしたのは米であった。

いわゆる闇米である。

その当時、日本人の主食であるお米は全く不足していた。

配給米では全く足りず、都会に住む庶民一般は、闇米を調達して生活していた。

当時の生活を描いた映画やドラマでは、必ずと言って良いほど、列車による闇米買出しの情景が出てくる。

買出しの満員列車に揺られて東京に帰ってきた男や女達が、駅に降り立った途端に取り締まりの官憲に逮捕され、担いできたリュックの闇米を全て没収される。

家で待つ、お腹を空かせた子供達の哀れな姿が映し出される。

混乱の中で必死に生きようとする小市民達の努力は、いつでもそんな結果に終わってしまう。

小市民達だけではない。

東京の裁判所で闇物資犯罪を担当していた山口良忠という裁判官(経済事犯専任判事)は、闇米(闇物資)を一切食べないという生活をした結果、栄養失調で死亡するという事件が起き、世間を驚かせた。

 

そのような御時勢に、いやそんな御時勢だからこそ愛友丸は、貨物船1隻を使って闇米を運んでいたのである。

大胆といえば大胆である。

才覚のある人間であれば、その程度のことは思いつく。

しかし、それを実行するとなると度胸がいる。

闇米に限らず、闇物資の運搬が発覚すれば即逮捕拘留され、二度と船には乗れなくなるであろう。

しかし、成功すれば「一攫千金」の世界だ。

一度やって成功すれば、もう止められなくなってしまう。

耕一は、そんな船に乗っていたのである。

 

 

 

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耕一物語ー荷揚げの港

2014-08-21 20:59:55 | 日記

翌朝、愛友丸は気仙沼の港を出た。

海はやや荒れていた。

リアス式海岸の奥深い入り江から外洋に出ると、大きな波が時々船体を揺らした。

西風が吹き、空はどんよりとした曇り空だ。

それでも、前の晩の心地良い余韻が残る船の男達は皆上機嫌だった。

「耕一、きのうはすっかり良い思いをしたらしいな」

鼻唄まじりで機関室の計器を点検していた機関長の松さんが、耕一をひやかして言った。

「おまえもこれで一人前の男になれたというものだ。それにしても、健さんに良い女を紹介してもらって良かったな。良い女は男を育てるというからな。しっかり働いてその娘(こ)を大事にしろよ」

確かに、耕一もそう思った。明子のためなら一生懸命働けると思った。あの女が自分を待っていてくれると思うと、生きがいが感じられた。

耕一は母親を知らない。だから母親に甘えたことがない。子供の頃から母親のいる友達が羨ましくてしかたがなかった。そのせいだろうか、年上の優しい女の人を見ると母親を連想してしまう。

《自分の母親はこんな人なのだろうか・・・・》と。

気仙沼の港町で巡り合った明子に、耕一は、探し求めている優しい母親の姿をダブらせていたのかも知れない。

 

 

愛友丸は二日前に通った航路を、今度は逆に南下している。

常磐線の機関車が、白い煙を吐いて南に向かって走っているのが見えた。

やがて、犬吠崎の白い灯台が目に入った。

陽は既に西の山のかなたに沈もうとしている。

《暗闇で積んだ荷物を、こんどはどこで荷揚げするのだろうか・・・・》

船内の掃除をしながら、耕一はそんな事を考えたりしたが、誰かに聞くわけにもいかない。健さんに聞いても教えてくれないだろう。

房総半島の鴨川沖を過ぎた辺りで、船は東京湾の浦賀水道に入って行った。

右手に懐かしい館山の小さな入り江が見える。

街の明かりも見えた。

船はそのまま東京湾の奥へと進んで行った。

《ということは、また横浜港に向かっているのだろうか?》

《しかし、人目をはばかって積んだ荷物を、まっとうな港に陸揚げできるとは思えないが・・・》

耕一がそんなことを考えていると、船の左前方に横浜の港が見えてきた。

《やはり横浜港なのか・・・》

そう思って見ていたが、その港に入って行く気配はない。

だが横浜港を過ぎると、船は少しずつ陸に接近して行った。しかしそこには貨物船が停泊する岸壁はない。小さな漁船を係留する防波堤が見えるだけだ。

耕一がぼんやりと堤防の方を眺めていると、船はその堤防沖で停まって投錨した。

日はとっぷり暮れて、外はまたしても暗闇の世界となっていた。

 

 

やがて堤防の陰から、はしけ舟が静かに出てきた。

 1隻、2隻・・・・・

 

 

 続く・・・・・・

 

 

 

 

 

 

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耕一物語ー処女航海

2014-08-20 18:07:44 | 日記

風呂場へ案内する明子が、耕一の目の前を歩いている。

薄暗い廊下を歩く明子の身体から、若い女の匂いがした。

耕一は、明子を後ろから抱きしめたい衝動に駆られた。

抱きついて、むしゃぶりつきたい衝動に駆られた。

その時、

「耕一さん、こちらですよ」

と、明子が振り向いた。

ハッと我に返った耕一は、下を向いたまま脱衣所に入り、黙って着ているものを脱ぎ始めた。

明子が浴室で、風呂の湯加減をみている。

《明子になんと声をかけたらいいんだろう・・・・》

《いや、声などかけたらいけないのだろうか・・・・》

《俺はどうしたらいいんだ・・・・・・》

耕一は狂おしい思いで、自問自答しながら裸になってしまった。

「ちょうど良い湯加減ですよ。タオルはこちらにーーー」

と言いかけた明子の目の前に、全裸になった耕一は立っていた。

まさに、まさしく立ってしまっていたのだ。

耕一はどうしていいか分からない。

明子も目のやり場に困って動揺したようであったが、そんな時、女は度胸が座るものらしい。

「背中を流しますから湯船につかってください・・・・」

下を向いたまま静かにそう言うと、明子も着ているものをそっと脱ぎ始めた。

 

 

耕一は、もうどうして良いか分からない。

湯船に頭からもぐり込んだ。

その湯船に、熱くほてった若い女の身体が入ってきた。 

それからは、耕一は明子のなすがままとなった。

明子は23歳。耕一より7歳年上だった。

弟のような耕一の若い身体を、明子は大事な宝物を扱うように丁寧に洗った。

耕一の処女航海は、めくるめく官能の悦びの航海となった。

 

 

気仙沼の章はこれで終わりです。

 

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