60歳の私が何気ない毎日の事をつぶやいて穏やかに家族と過ごしています
娘が
LINE漫画で1〜3巻まで
無料期間で読み
4〜5巻を
紙の漫画を購入していて
私が読みたくなり
ブックオフで1〜3巻、6〜7巻まで
購入した。
主人公がおばあちゃんなのが
面白くて
まだまだ出ているみたい。
娘は
今も
漫画は
色々な漫画を
少しずつ1日に読む形を取っていて
君に届けは
もう5〜6回目くらいだと思う。
何回も読むことで
細かい部分に気づき
新たな発見があるみたいだ。
そして
おまけみたいなところまで
丹念に読む。
小学校中学校高校までは
あまり漫画に接していなくて
ただ娘の兄が
大学受験生3回している中
私から参考書を買うからと
1000円を何回も徴収し
学校や塾の帰り
駅ビルの中の
大きな本屋に入り
漫画を買っていて
それはほとんど
銀魂や野球の漫画などばかりで
兄の影響で少しは読んでいたと思う。
娘が入院を一年間した時に
漫画を読むようになった。
退院して
近くのブックオフへ行くのが
日課となり
そこが閉店して
探したブックオフにも
毎日のように行っていた
時期もある。
5年ほどで
買いためた漫画は既に
100冊は超える。
とても大事にしていて
ほとんどどこに何を
しまっているのかが
わかる娘だ。
LINE漫画も既に4〜5年は経つが
課金は一度もない。
そこの無料の漫画を読み
面白ければ
ブックオフで探して買うと言う
やり方だ。
頭が良いと思う。
娘に勧められて
読んだ漫画は
他にもたくさんある。
どれも面白く
娘が毎日
いろいろな事を
考えて
落ち込んだりするときに
励ましになっていると思う。
そして
友達のあまりいない娘にとって
私と一緒に
小学校の頃から
土日にカラオケに
行っていた。
その時に歌っていたアニメソングは
生きる希望を与えてくれていたと言う。
今
Bluetoothで
よく聴いてあるアニメソング。
一緒に車の中で
聴いていて
この曲よく歌っていたなと
思う曲が繰り返し流れてきて。
今
少しだけでも
楽しめていると良いなと思う。
実家の空き家も新しい方に
引き渡して
次は
祖母が建立して58年
経とうとする目前の
10月に
墓終いを終え
父が檀家だった納骨堂に
移すことに決まり
県外から泊まりがけで
妹夫婦たちと
同じホテルに泊まる従妹と
最近
昔の話をしたり
墓終いの段取りを
弟がしてくれていて
それに則って
どう言う風に
していくのかを
話したり
している。
母は
私が10代の頃から
何回も入院していて
病気が悪くなって
亡くなっていくまで
色々な病院に付き添って
段々と
母と娘の立場が
変わり
でも
小さい頃から
あまり甘えたり出来なかった
私にとって
最後の病院と
その一つ前の
病院の
付き添い介護は
苦しい事も多かったけど
従妹も還暦になり
いろいろな体験を経て
感じてくれることや
私が覚えていることを
話して行くことで
従妹と叔母さんの
関係性も
良くなって行って
私の体験は
心の澱だったけど。
兄弟ではなく
従妹と叔母に伝えることで
私自身も
やっと
心の氷が溶けるみたいに
これから
もっと歳を取り
いつか亡くなって行く時に
手放せる事が出来るかもと
思えるようになってきた。
ずーっと
自分の中で
モヤモヤとして
きついことが多かった。
生まれる前の
前世で
徳を積んでいなかったのだと思う。
実家の片付け
墓終いと
兄弟だけで
大人になってから
会う機会が持て
少し離れていた
気持ちが
少しまた近づいて
良い距離感になり
また
都内の生活の方が
長くなって行く
兄弟にとっても
心の中に
故郷を思い出せる日が
出てきていると思う。
50代60代になり
親も亡くなり
また介護する立場になり
これから
自分たちも
いずれ
老いていくのだと言う
事実にも目を向け始めている。
明治生まれの祖母も
従妹が度々
言うように
家から見える
桜島が
私も最近本当に
愛おしく思えて
車で娘と
団地から降りていく
坂の途中に
左側に綺麗に見えると
ホッとしたりする。
こう言う気持ちで
明治生まれの祖母も
35年間
あの寒い実家で
50代半ばから
頑張って私達孫の事
日常の事
暮らしを丁寧に
節約して
生きていたんだなあと
感慨深く思うことだった。
孫の誕生日を
お家で祝ってもらったようだ。
2人目も
もうすぐ産まれる大きな
お腹で
孫の好きなアンパンマンの
ケーキを手作りされ
あちらのお母さんは
折り紙で冠を作って下さって
私達は
朝
たまたまテレビ電話があり
「〇〇くん
2歳のお誕生日
おめでとう」と
言うと
お嫁さんが代わりに
ありがとうと言って下さった。
これから
彼も
後
2ヶ月ほどすると
お兄ちゃんになるが。
昨日の朝も
2年ほど寝ていたベッドは
次の子へ
譲られることになるので
パパと寝ていて
朝早く目が覚めたのか
私が何曲も
孫の要望に応じて
家カラオケで
アンパンマンなど歌っているすきに
さっさとベッドに潜り込み
私の歌を子守唄に
寝る体制に
入っていて
パパが気づき
バイバイした。
その時の顔も
ニンマリとして
見つかったかと
言う感じだった。
これからもよろしくね。
30年以上前
孫もいないからだから
たぶん40年以上前だと思う。
トランペットの先に
ついている円錐状のマウスピースを
口の下に置いてプープーと
練習していた父。
私も中学校のクラブ活動の
時間に興味本位で入った
吹奏楽のあいているのが
クラリネットで
それもなかなか吹けるように
なるのに時間がかかり
父はトランペットは習って
いなかったと思う。
付属の布とオイルとクリームを
少量付けては隅々まで磨き
今回ハードケースの中を開けてみて
とても綺麗だったし
ハードケースの中の
青い布とゴールドのトランペットが
とても良い感じで輝いて見えた。
写真を撮り
6〜7枚載せてみた。
3名の方が
興味を持たれているみたいで
ほとんどトランペットとしての
音を奏でていないので
吹ける方が
この楽器の音色を楽しんで
使っていただけたら
父もあの世で
喜んでいるのではないかと
思う。
今回
3人で
お寺での年忌
その後の
ランチ
あまりに話が長くなり
弟と妹は
一旦実家の方に行き
実家のお墓の管理している
方に出す書類があったり
また2月にあった友人達と
それぞれ
夕方から夜にかけて
飲んだり話をしたり
するようで。
昨日は雨の中
フェリーに乗り
弟と妹2人
妹所望の
ドレッシング
買えたのでしょうか?
今日は弟1人
また最終的な
契約を済ませて
実家の家は
私達の物ではなく
新しい人のもとに
渡ります。
8月
今度は
お墓終いの時に
また会う事になります。
今回
初めて聞く話など
良い事も悪い事もありました。
しかし
それぞれ
兄弟も
大人になり
社会人になり
これからの人生や
子供が私のところも
親になって
子育てをしながら
私達の年代くらいに
なったとき
この家の事
墓の事
お願いしなければ
ならないかもしれません。
そうなって
今回
父の死後
12年かけ
少しずつ
片付け
草刈りも年に三回以上
最後の片付けも
業者の方が驚かれるくらい
全て出して
捨てられるものは
清掃工場へ
捨てに行きました。
そう言う事も含めて
祖母が何故か取っていた
弟の高校生の時の学ラン。
小さめな箱に
弟の学ランを入れていました。
祖母の字でした。
何でそうしたのか
わかりません。
でも
弟はその話を聞いて
良かったと思います。
と言うのも認知症になった30年ほど前
父と祖母が
弟の家に行ったことがありました。
弟の小学生の時の
写真も持参して。
祖母は
少しずつ認知症が進んで
あんなに可愛がり
どこに行くにも
連れて行っていた
弟の顔がわからず
「ご親切に
泊めて下さり
ありがとうございます」と言ったのです。
普段は
あまりそう言う
言葉を使わない人でしたが
逆に
認知症になり
本当は真面目で優しい
人だったのでは
ないかと思います。
だからこそ
私達兄弟を
孫ではなく
子供のように思って
育ててくれたのだと思います。