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京ことばと生活の知恵

暮らしの中の京ことばは、生活形態や街そのものが大きく変ったことで、多くが消えていったことは否めない。

へぇ。

2007年05月19日 | Weblog
久しぶりに「あんなぁ、へぇ」と言うことばを耳にした。

子供の頃、よく使った言葉だった。

な~んか、なつかしかった。

今で言う、「あのね、私の話を聞いて」
と、話しかける時の言葉になるのかな・・・。

同じへぇ~でも、ぇ~の語尾が上がると
いまどき若者のあいだで、よく耳にする“うそっ!”

と言うことにもなり、語尾が下がると
相槌を打つ様子にもなります。

感嘆詞としてのへぇ~も!

「へぇ、おおきに!」

「へぇ~、そうどすか」

いまどき・・・どす という言葉は、
あまり使わなくなってしまいました。

あんなぁと呼びかけて、     
へぇと自分で返事をしているのではないですよ!

駄目押しというか、注意を引こうとする
感じがこもっていて、
「ねぇ、ちょっと、聞いて、聞いて!」という感じかな?

「へぇ」にもいろいろ、京ことばはおもしろおすやろ!


 

お地蔵さんが、居てくれてはる。

2007年05月17日 | Weblog
京都の市街地だけではなく、周辺の家並みを歩くと
必ずと言っていいくらい、お地蔵さんに行き当たる。

何気なく目にした光景に、思わず微笑んだことがあった。
30過ぎのお母さんと女の子が、お地蔵さんに

お花を供えながら、子供に話しているのを
聞くとはなしに聞いていた。

「町内にはお地蔵さんが居てくれはって、子供を
守ってくれてはるのぇ」。

その後、その子は、毎日お地蔵さんにお参りに
行っていることを知った。

お地蔵さんに、何をお願いしているのだろう!

何を、話しているのだろう!


「お地蔵さんが、居てくれてはる」というのは
敬意の表現であり、「居てくださっている」ということです。

お地蔵様の人間化は、京都だけのものではないそうですが
仏様のなかでも、地蔵菩薩が一番、町衆や民衆に

身近に親しまれてきた存在なのでしょう。

京都では、各町内ごとにお地蔵様をお祠りし、
いつもお花が、絶えないのです。

現代も、八月に地蔵盆として、
子供を中心とした祭行事として、受け継がれています。

今でも、子供の頃の楽しかった思い出として
残っていますし、生涯、消えることはないでしょう。



お茶漬けなと、どうどす。

2007年05月16日 | Weblog

先日、久しぶりに母の夢を見ました。

母と言っても、私よりずっと年若い母だった。

母が四国は愛媛の田舎から京都に出て来て、
高知の片田舎出身の父と結婚し、もう子供も

出来ていた頃の話だったように思う。

知り合いのお宅を訪問し、夕刻になった時 
「お茶漬けなと、どうどす」 と勧められ、
夕食をご馳走になって帰ったそうです。

ご本人が言われたのではないと思うが、
京都で、「お茶漬けでも、どうですか?」

と勧められても、必ず二・三回は断るように!
と教えられたそうです。

素朴で正直者の母は、私に言いました。

今まで、心にもないことは、言ったことがなかったので
自分は知らなかったが、
京都には、お愛想言葉があるので、
気をつけるように!と・・・。

それを聞いたいた私も、今では、
どっぷりと京都の習慣に、浸かってしまっている?

言葉の奥は、ふかおすなぁ。


現在では、お茶漬け専門店もオ-プンしていますし、
お酒の後の一杯のお茶漬けは、また格別なようです。

当時お茶漬けというと、粗末なものの代名詞の
ようにいわれていましたので、

「なんにもおへんけど、お茶漬けなとどうどす?」が出ると

「もう、お帰りになった方がいいですよ」

という意味を含んでいますので
「結構です」といって、お暇するのが、
京都のルールであったようです。