京ことばと生活の知恵

暮らしの中の京ことばは、生活形態や街そのものが大きく変ったことで、多くが消えていったことは否めない。

<福は内、鬼(大荷)は内>

2007年11月01日 | Weblog


二月の立春、その前の夜、豆に鬼が追われる節分のことを、京都では少し前ま
で「お年越し」と呼び慣わしてきました。

近頃のお若い方には、殆ど通じません。なんぎなことどすけど、節分と言い直
してやっと通じるのどす。

昔、中国の暦の上では、一年を二十四等分してその節目(ふしめ)の日を
時節の分かれ目=節分と考え、色々な行事を執り行い、お祝い事を催して
きました。

特にその中で、冬至から数えて四十五日目にあたる立春を一年の始まりの日、
「立春正月」(りっしゅんしょうがつ)と定め、その前夜を「年越し」と呼ん
で逝く年の厄を祓い、来る年のさいわいを祈りました。

このお年越しの夜、祓われる「厄」は、実際には疫病であったり災厄であった
り、冬の寒気そのものであったりするのですが、次第に「人に災いをもたらす、
日ごろは隠れている異能のものたち」と考えられ、実体を伴い始めました。
 
これが節分につきもの「鬼」の由来で、「隠」(おに)とも書きあらわされて、
災厄の象徴として、節分の厄払いの格好の「悪役」に据えつけられていきまし
た。

また鬼は、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)によると、北東の方向=鬼門
(きもん)に住んでいると考えられていたことから、魔物や災いから都を守る
べく、京都の北東にあたる比叡山には地主神を祀る日吉大社(ひよしたいしゃ)
と、鎮護国家を祈願して壮大な延暦寺(えんりゃくじ)が創建されました。

また東北を十二支であらわすと、丑寅(うしとら)の方向にあたることから、
鬼にはその両方の特徴である、牛のような角と虎のような牙、そして腰には
虎の皮のふんどしという、私たちにも馴染みの深いあの鬼独特のイメージが、
次第に形作られていったようどす。

そしてその強面(こわもて)の鬼たちが投げつけられ、追われていくのが
「煎り豆」。

豆は「魔目」や「魔滅」に通じるとされ、豆をまく慣習は室町時代にはじまっ
たといわれています。

この煎り豆、きれいに洗い上げて水気をきった大豆を、焙烙(ほうらく)と呼
ばれる素焼きの浅い炒り器で、少しずつほろほろと薄皮が割れ、香ばしく焦げ
目がつくまで煎り上げます。

少し冷ましてから、小半(こなから=二合五尺)の枡(ます)に山のように盛
り上げて、神棚にお供えします。

夕方、下げさせてもらったお豆さんを、翌日の立春からはじまる新しい年の分
も含めて、自分の歳の数よりひとつ多くを、一握りでつかめると験(げん=縁
起)が良いといわれていましたっけ。

その後は、一番のお楽しみの豆まき。「福は内、鬼は外」と唱えながら、豆を
まき終わった戸口や窓をすぐにピシャリと閉めていくのどす。

これは一度追い出した鬼が、家の中へ戻ってくるのを防ぐためなのだそうで、
いつもならお行儀が悪いと叱られるほどの大きな音を立てながら、ガラス戸や
障子を思いっきり締め切っていくことの爽快さを、母は後年、さも楽しそうに
話してくれました。

お友達のお家の大店(おおだな)では、「福は内、オニは内」というそうどす。

オニとは大荷のことらしく、お商売人は大荷が入らんことには繁盛しないと
いうことから、「福は内、大荷は内」というんやそうどす。

私も真似をして「オニは内」といって、お友達に笑われたことがありました。




<ホーさんが来やはった>

2007年10月26日 | Weblog

京都には臨済宗の大本山が方々にあります。
嵯峨の天竜寺、花園の妙心寺、紫野の大徳寺、市内の相国寺(しょうこくじ)、
建仁寺、伏見街道にある東福寺と、それぞれ有名なお寺どす。

これからの季節は、紅葉が見事なことでも知られていますし、京都そのものが
観光シーズンに入り、今では、ゆっくりと紅葉狩りを楽しむという雰囲気では
おへんけど。

その秋のシーズンも終わり、厳しい寒さが到来します冬に、これらの僧堂の
雲水さんの修行の托鉢(たくはつ)が行われます。

雲水さんは、修行中のお坊さんで、午前中に托鉢をされます。

「ホーォー、ホーォー」という掛け声というか、お腹から声を出しながら、
市中を歩き、喜捨を受けはるのどす。

未だに、なんでホーォーなのか分りませんけど、読経の訓練なんやろか?

「いやぁ~、ホーさんが来やはったぇ」

そう言われ、母からお金を受け取って、門口で待っています。
たいていのお家で、この役目は子供がしていたようどす。

ホーさんは、あじろ笠をかぶり、墨染めかグレーの僧衣に、それぞれの僧堂の
名を染め抜いた頭陀袋(ずだぶくろ)を首から掛けて、深々とお辞儀をされな
がら、袋のふたを差し出されるのどす。

そこへお金を置くと、雲水さんが蓋をご自分の方に引き寄せられると、お金が
するっと、袋の中に入っていきます。

真冬でも素足にわらじばきで、若い雲水さんの足が、冷たさで真っ赤になって
いたのが、今でも記憶に残っています。

これも修行のためどすのやろか。

母からは、「ありがとうございました!と言うて、わたしたか?」とよく言わ
れました。

「なんで、お金を渡してるのに、おおきにて言うの?」と聞き返すと、お坊さ
んがあぁして、一軒一軒まわらはって、うちら(私ら)を守ってくれてはる
さかいや」と教えられました。

なつかしいわぁ~。 遠い昔の、なんかほっとする思い出どす。


<ええんとちがう>

2007年10月23日 | Weblog

相手に同意して、責任を転嫁する技として、京都独特の言いまわしがあります。

京で生まれ育った私は、京ことばが持つ甘いもからいも、毒すらも身につけて
いますが、微妙なニュアンスの使い分けと聞き分けは、京都に住むためには
不可欠と思いますぇ。

京ことばでは、相手に判断の余地を与えて、責任を転嫁する言い方がよくあり
ます。

母「明日の同窓会、この服着て行ったら派手やろか?」
娘「ええんとちがう!」

答える娘は、母の同窓会には同行しないので、気にならない!

母「明日の信州旅行に、この服やったら寒くないやろか?」
娘「ええんとちがうか」

寒いか暑いかは、今私が判断することはできず、責任が持てないので、最後の
判断は本人に任せる。

母「明日の授業参観日に、この服着て行ったら派手やろか?」
娘「そやな、ちょっと派手かもしれへんな!」

明日は自分の授業参観日で、自分がその場にいるのだから、人目が気になる。
娘ははっきりいやだと思っているが、「かも知れへん」とぼかして、角が立た
ない言い回しをしています。

このように、相手の言うこと全てに同意しているように見えますが、その奥に
は、言葉にはしていない、いろいろな思いが秘められています。

「京都の人は、言っていることと、思っていることが違う」とよく言われます
が、言葉と思いが違うというより、もっと複雑な使い分けをしているのどす。

どう思わはっても、かましまへんと思いながらも、押しつけがましくなく、通
すべき意志は通す。

特に京都人同士では、感情的になる一歩手前でまで、言葉巧みなせめぎ合いが
続くことがありますが、泥沼にはまり込んでしまう前に、茶化したり、曖昧な
ことを言って、逃げるが勝ちと引いてしまいます。

一方、よそさんに対しては、そこまで行く前に、なんぼ言うてもわからはらへ
んと、諦めてしまうか、もうしょうがないなぁと寛大になってしまいます。

また、呆れてものが言えへんと思うときは、口を出さずに聞き役に廻ります。

自分ははっきりと意見を出さずに、相手に判断させる余地を与え、柔らかい
表現で争いを避けながら、自分の意志は曲げない。

ソフトな言い方に隠された意固地さは、よそさんに何と言われようと、持ち続
けるべき京都の意地だと思っています。


<よろしおすえ~>

2007年10月12日 | Weblog

JRのピタッ!パッでおなじみのICOCAカードの宣伝でも、舞妓はんが

よろしおすえ~!というたはり(言うてい)ます。

宣伝ではおへんけど、「よろしおすえ~」といえることはぎょうさん(沢山)

あります。

うち(私)の記憶に残っていますお話を、ひとつさせておくれやす。

少し前の浅い春の気配がしてきた京都に、名残雪が珍しく降りました。

たぶん、この季節最後の雪どした。

町家の黒い屋根を、うすく白に変えた中を散歩にでました。

3月の京都といえば、東山の祇園界隈を、幻想的な光でほんのりとそめる

「花灯路」。

そうそう、花灯路といえば、暮れの12月にも嵐山の竹林を、行灯の淡い光が

染めるそうどす。

東山は3月の中ごろの10日くらいの間、夕方の6時から9時半に、行灯が

ともされ、足元を淡く照らしてくれます。

祇園の八坂神社から清水さんあたりの道筋に、二千個あまりの露地行灯が置か

れ、それはもう幻想的な雰囲気どす。

普段着なれない着物を着た、若いお嬢さんや、ペアカップルが目立ちますぇ。

清水の参道を外れて石塀小路に入ると、情緒ある石塀に囲まれた細い道。行灯

を追うように、冷たい空気をすいながら歩きます。

ギャラリーなどもあり、覗いて見たりしながら、だらだら坂の二年坂、さんね

い(産寧)坂。

通り沿いの京焼・清水焼の食器にあしをとめながら、カフェの甘い香りや甘味

処のお茶の香りにひかれて「そろそろ、お茶にしようかな」と一息つきます。

かじかんだ身体がほっと温まる、ひと時どす。

外はもう、真っ暗な道に行灯の灯りが浮かび上がっています。

行灯には石製、京焼・清水焼製、木製、竹製の四種類があるそうどすが、知りま

せんでした。

行灯の灯りに導かれて、夜間の特別拝観をしていた清水さん(清水寺)へお参り

しました。春のライトアップがされていましたぇ。

「きれいやなぁ」思わず心の中でつぶやいていました。

ほんとうに「よろしおすえ!」

十三参り

2007年09月28日 | Weblog
             

子供の頃の、なつかしい思い出どす。

数え年13歳になった子供達が、嵐山の法輪寺にお参りに行く行事を「十三参

り」といいます。

女児はこの日から子供用の着物で「四つ身」から大人用の「本裁ち」の着物に

着替えます。

まだからだは小さく、肩や腰に縫い上げをいっぱいしてもらっていました。

京都や滋賀、大阪など関西に残る行事で、桜が散り始める4月13日に正装し

て、嵐山の虚空蔵(こくうぞう)法輪寺に、大人の知恵を授かりにお参りしま

す。

成人式前の儀礼の一つですが、京都では子供達にちょっと「いけず」をして、

その自覚のほどを試します。

「お知恵をもろたら(貰ったら)渡月橋を渡りきるまで、絶対に振り向いたら

あかんえ」「せっかくもろたお知恵を返してしまうことになるのえ」「えぇか、

何があっても、うしろ向いたらあかんえ」

何度もいい聞かされました。

帰り道、渡月橋を先にわたらせておいて、名前を呼びながら「ちょっと、来と

ぉみ~」「いやっ、なんやろこれ、おもしろ!」とか言われます。

私は一緒に行ったお友達に呼ばれ、思わず振り返ってしまいました。

それで、未だにかしこうなれへんのやろか?

お寺で、一字、筆文字を書いて納めるのですが、「力」という字を書いたのを

今でも覚えています。




<<ごきんとはん>> 京都人がこだわる「位取り」の心理

2007年09月22日 | Weblog
             
          
「ごきんと」は御金当の文字をあてた言葉らしおす。

義理堅いお方や礼儀正しい人に向けられる言葉どす。

この言葉も京独特の曖昧模糊なもの言いに使われることがあり、ほめ言葉であ

ったり、場面や声の調子、表情によって、皮肉めいた批判の言葉になったりし

ます。

千年の都であった京都には、多様な人々が小さな盆地にひしめき合い暮らして

きました。

京の象徴といわれる間口の狭い町家という家屋を、さらに格子戸で遮った閉鎖

的な家を、美しい檻(おり)に住んでいると言った方がおいやしたとか?

この閉鎖性も、幾多の戦乱や度重なる権力者の交代を経験した先人たちの知恵

から編み出された様式で、戦禍や火災から身を守り、自らが檻に閉じこもって

身を守り、奥行きの長さで、公道へは声が漏れないように工夫されたようどす。

今日は自分より下位の人でも、明日は上位の人になることも考えられる都で、

どう転んでも無礼のないよう、申し開きができるような習慣や言葉が育ったと

しても不思議やおへん!

勝たないまでも、決して負けないこの町独特のもの言いは、いつ上位に立って

も自らの誇りに傷がつかず、威厳を保っていられる言葉の知恵で、京都人が何

よりこだわる「位取り」の心理です。

「ごきんとはん」は借りを作ったことで自らの立場が弱くならないようにとい

うとことから生まれた言葉のようどす。

「先日お借りしました傘、お返しにあがりました」

「それはそれは、ごきんとはんなことで。おついでで、よろしおしたのに」

また用事も無いのにしょっちゅうやってくる客には「あんたはんも、ごきんと

はんなことで」といわれると、それは皮肉どす。

さりげない日常会話の中にも、互いに対等であろうとする「ごきんとはん」

精神が息づく町。京都へ、一度おこしやしておくれやす。



地蔵盆

2007年09月15日 | Weblog

京都をはじめ滋賀や大阪など主に関西に伝わる、子供のための宗教行事で「地
蔵盆」というのが有ります。

現在ではここ京都でも全般に都市化が進んで、昔のようにご近所のお付き合い
が深くなくなりましたが、年に一度の地蔵盆には、町内総出で子供のために、
朝から準備にかかります。

地蔵菩薩の縁日といわれる8月24日ごろに、子供たちがお地蔵さんの前に集
まり、一日中楽しく遊びます。

「地蔵盆」は地蔵菩薩の縁日に、本尊のお地蔵さんに感謝する、仏教行事どす。

いつ頃から始まったのかは知りませんが、京都市内には五千以上のお町内があ
り、そのお町内ごとに行います地蔵盆は、京都最大の行事とも言えますぇ。

お地蔵さん=地蔵菩薩
お釈迦様が入滅されたあと、弥勒菩薩が出生されるまで、天空を守る虚空蔵に
対し、特に地獄で苦しむ人を救う、地を守る仏様と聞きました。

親より先に死んだ子は、三途の川のほとりの賽の河原で、石を積んでは鬼に壊
されるという悲しいお話がありますが、その子供達を救うのが地蔵菩薩です。

子供を救う仏様として、連綿としてこの町に受け継がれてきた民間信仰が、
「お地蔵さん」として千年もの永い間、京都の町につながれてきました。

当日は、お地蔵さんを祠からだして、真新しい前だれに架け替え、お顔にお化
粧して晴れがましく飾り立てて法要を行います。

朝からお坊さんのお勤めがあり、その後子供達にお菓子が配られます。

うちら(私等)の子供の頃は、お地蔵さんの前にござを敷き、輪になって数珠
まわし(特注の特大の数珠)をして、房の部分が自分のところに来ると頭をさ
すりお呪いをしていました。

今思うと無病息災を祈ったのかと思います。

福引も楽しみのひとつどした。

この時期になりますと、大行灯に子供達で思い思いの絵を書いたものを、お町
内のあちこちに吊るし、夜になると灯がともされました。


本当に和やかで、なつかしい想いでどす。




五山の送り火「大文字」

2007年09月03日 | Weblog

八月十六日はお盆の最後の日で、京都ではおしょらい(精霊)さんを送るため

に、京を囲む五山に送り火がたかれます。

この夜は、町中のネオンを消して、8時になるのを待ちます。

まず最初に、京都大学の近くの如意が嶽(にょいがだけ)に「大文字」、洛北

松ヶ崎の大黒天山に「妙法」、西賀茂妙見山に「舟形」、金閣寺裏山の大文字

山には「左大文字」、最後に嵯峨鳥居本の曼荼羅山に「鳥居形」と京都を囲む

五つの山に火が焚かれ、漆黒の夏の夜空を焦がします。

八時きっかりに大の字に火が入り、炎の点はするすると延びて線になり、やが

てくっきりと文字になります。

とーぼった とーぼった

大文字が とーぼった

と子供心に、はしゃいでいたのを、今でも想いおこします。

一瞬のことではありますが、幻想的でエキゾチックな気分になります。

送り火は、もとは宗教的な儀式である盂蘭盆会の行事として、先祖の霊を見送

るためのものでした。

今では全国にテレビ放映されますし、市内のホテルでは「大文字観賞」と称し

たディナーショーも盛んになっています。

子供の頃は夕涼みを兼ねて、鴨川の辺に出ますと送り火が観賞できましたが、

現在は悲しいことに、町中の建物の背が伸びて、観賞することが難しくなり、

ホテルの屋上のように高いところからの観賞が、余儀なくなりました。

ちょっと、寂しいことどす。




えらい、やつさはって

2007年08月24日 | Weblog

やつす=本来の姿、形を(くづして)変える。みすぼらしく、または目立たな
いように変装する。

また容姿をつくる、化粧する、めかす等の意味がありますが、京都では今、こ
の意味でつかわれています。

昔から京の着倒れ、大阪の食い倒れと言われていましたが、京都の方が、常日
頃、華美なおしゃれをしているのでは、決してありません。


常は出来るだけ質素に暮らし、ここぞという時、思いっきりおしゃれをしまし
た。

それも華美にならず目に見えないところに贅沢を施します。

子供の頃はそれほど豊かな生活ではなかったけれど、何か今で言うイベントが
あると、「いっちょうら」といわれる取って置きの洋服に着替えて、お出かけ
したのを覚えています。

現代は、価値観も変わり、めりはりをつけるということが少のうなってしもう
たのか、常もよそ行きもなくなってしまったようどす。


「えらいやつさはって、どこへおでかけどす?」

「へぇ、ちょっとそこまで」

「そうどすか、まぁ、お気をつけて」


一昔まえまでは、こんな挨拶がとびかっていました。




いけずやおへん

2007年08月16日 | Weblog

いけず=「行けず」の意から意地悪・意地の悪い様・心がねじ曲がっている。

「あんた、いけずやなぁ」と面と向かって言われたら、やはりショックです。

かなり厳しいけなしことばであり、言われて嬉しいことばではありません。

お嫁さんが掃除をした後、姑が桟のほこりを撫でてみたり、人の着物を「えら
い若づくりしやはって」というような嫌味や皮肉は、やはり「いけず」には違
いありません。

しかし「京都のおんなはいけずや」とか「京都人はいけず」といわれるのは、
直接的な物言いを避け、ことばをぼやかしたり、匂わしたりして、こちらの本
意を「察してもらう」ことを前提とした物言いが、京都言葉の特徴であるとこ
ろからきているのかもしれません。

京都風の「お断り」で有名?だそうどすが、「考えときますわ」や「おおきに、
結構どす」等がこれにあたりますやろか。

話している状況を察しなければ、同意の言葉であっても、相手の表情やニュア
ンスから、京都では「お断り」のことばになります。

人付き合いにしても、京おんなはなかなか打ち解けない、疑い深いといわれる
そうどすが、これも長い歴史のなかで身に付けてきた礼儀であり、文化と言え
るのではないでしょうか?

こんなこと言ったら、現代のギャルには、一笑に付されてしまいますやろなぁ。