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京ことばと生活の知恵

暮らしの中の京ことばは、生活形態や街そのものが大きく変ったことで、多くが消えていったことは否めない。

ほんまどすなぁ

2007年08月08日 | Weblog

「今日はいいお天気で、なによりですなぁ」「ほんまどすなぁ」

「頼まれた要件は、あす済ましておきますし!」「ほんまどすなぁ?」

「ほんまに、暑いことどす」

「ほんまのこと、言うとぅくれやす」

「ほんまのこというたら、気ぃ悪うしやはるのと、ちがいますやろか?」

「ほんまに、ほんま?」

等々、京都人は「ほんま」ということばをよくつかいます。

意味は「本当」「真実」ということですが、挨拶や返事に使われることが多い

ようです。

相手のことばにたいして「ほんまどすなぁ」と相槌をうちますが、前後の内容や

イントネーション、語尾の上がり、下がり具合により同調であったり、疑問符で

あったりと変化します。

極めつけは、若い女の子の携帯電話で「ほんまにぃ、ほんま?、ほんまや。ほん

まほんま」は、さほどめずらしいことではないようどす。




おまじない

2007年08月03日 | Weblog

まじない(呪い)=神仏や霊力等、神秘的なものの威力を借りて、災いを取り
除いたり、起こしたりする術。

大昔から呪術師というものの存在があったことは知っていますが、子供の頃に
よく言われた「おまじない」は、そんなに重いものでありません。

今思えば、何の根拠からなのか、ニヤッとしたり、はてな?と思うことが
多(おぅ)おした。

足がしびれると、唾をおでこに3回つけたり、しゃっくりが止まらない時は、
その人の後からそっと行き、“わっ”と言ってびっくりをさせる!

お魚の骨が咽喉に刺さると、ご飯を噛まずに一気に飲み込む。

お客さんが来られて長居をされると、早く帰られるようにと箒にほうかむり
(頬被り)をさせて、逆さまに立てておく。

これは、むかしといえるか?服飾評論家で元女優さんの市田ひろみさんが出演
されたコマーシャルが、テレビ放映されたのを覚えています。

「いま、おいしいお茶でも入れまっさかい」と笑顔でお客にお茶を勧めながら、
廊下の隅に逆さにした箒が立てかけてあるというものでした。

京都では不評だったそうですが、京都人気質を言い当てているということで、
京都以外では人気が有ったように聞いていました。

今では科学も発達し、「おまじない」といわれるものも「迷信やわ!」と言わ
れるようになりましたが「まだ信じてやっている人、いやはるんやろか?」



かんにんえ

2007年07月30日 | Weblog

京都では、女性に限らず「かんにんえ」をよく使います。

これは、堪忍=忍耐・辛抱(怒りをこらえて、他人のあやまちを許すこと)

よく「堪忍袋の緒が切れた」(もう、これ以上は許せない)といいますが、こ

の時の堪忍にあたります。

「かんにんえ」で「え」をつけることで自分が相手を堪忍するのではなく、堪

忍してくださいねと相手に求める言葉になるようです。

待ち合わせの約束の時間に遅れ「バスが遅れてて、かんにんぇ」

場所を譲ってくれた方に「おおきに、かんにんぇ」

一寸したいただきものをしても「おおきに、かんにんぇ」といいます。

何か過ちを犯すと「いやっ、えらいことしてしもた、かんにんえ」

相手の依頼事・お誘いに応えられない時も「せっかく、言うてくれはったのに、

かんにんえ」「町内の役を引き受けるのは、かんにんして!」と体裁よく断る

言葉にもなります。

京ことばは、その時の立場やニュアンスにより、意味が違ったり、反対の言葉

になったりしますので、やはり難しいのどっしゃろか?




京町家の建具替え

2007年07月24日 | Weblog

三方を山に囲まれた京都盆地の夏の暑さは、とりわけ厳しく、蒸し暑さに悩ま
されます。

風はそよとも動かず、アスファルトの照り返しの熱気は、そのまま町の底に
よどんで、うなぎの寝床といわれている京町家(間口が狭く、奥行きが長い)
には、風は通らず、いやおうなしに熱気がよどんできます。

そんな夏の工夫として、京では「建具替え」をして、過ごしにくさを和らげ、
美しく暮らす工夫をします。

エアコンが普及した今日でも、京の町家では今でも夏の初めに、住いの衣替え
としての「建具替え」をし、襖の替わりに御簾(みす)を吊り、座敷と縁の境
の障子は葭戸(よしど)に替ります。

縁側の庇には、真新しい葭ずがかかると、家は一変して夏の景色となり、気持
ちまで清々しくなります。

足元にもひんやりとした網代(あじろ)の籐むしろが敷きつめられて、目に涼
しいだけでなく、本当に部屋の温度が下がった感じを受けます。

調度品等も全て涼しげなものにして、思いつく限りの涼感を演出します。

また、夏には夏の生活方という暮らしぶりがあり、いつもは固くしぼる雑巾を
夏は「ゆるうに絞って」拭いておくと、わずかな水分が温度を下げ、微風でも
吹くと、水分を含んだ風が葭戸を通りぬけて、かすかな涼感を肌に覚えます。
町家には、たいてい二箇所の庭があり、家の角先と坪庭のみにたっぷりと打ち
水をして、奥座敷に面した奥の座敷庭にはわざと水を撒かしません。

こうすることで、かすかな空気の流れをつくり、お客様をもてなします。

来客がある前に、葭ずをはずして水を打ち、そのまま吊るすと水滴の滴りが止
まるころ、一本一本の葭の隙間に綺麗な水玉が出来て、光が当たるとキラキラ
とかがやくのどす。

こうした、相手のことをおもんばかることからうまれた美しい習慣も、
長い年月のうちに、習慣が様式化され、受ける側も含め、本当の意味を考える
ことがなくなってきているように感じる、昨今でございます。


京のだいどこ(台所)錦

2007年07月18日 | Weblog

子供の頃だいどこというと、流しのことだと思っていました。

ところが、流しそのものを指すのではなく、家族が集う食堂と居間を兼ねた
空間で、夜は寝室に早変りするような和室のことのようです。

ここでいう「京のだいどこ・錦」といいますのは錦小路通の錦市場のことどす。

食材ならなんでも揃う市場どすさかい、京のだいどこというようになったのど
っしゃろか?

近年、大阪の黒門市場とならび、えろう有名にならはりまして、京都特集には
大概載っています。

祇園祭でにぎわう四条通の一筋北の通で、東は寺町通から西は千本通手前まで
の東西に走る細長い通りで、平安京が出来た当時からある古い通りらしおす。

寺町通から高倉通までの間、を「錦」というています。

アーケードの下の両側に店を連ねた食品街で、殆どの京の食材が揃います。

有名になってきたのは、この錦の中に、新鮮な京野菜やその日の内に入った食
材を使っての、京のおばんざい(家庭料理)等を食べさせてくれるお店ができ
たからか?と思います。

なんともいえん雰囲気を持っていますし、どうぞ、一度おこしやしておくれや
す!



鰻の寝床

2007年07月17日 | Weblog

京町家の構造のひとつです。

一口に町家と言ってもタイプはさまざまですが、どのタイプも、表から裏まで

通りニワが貫通しています。

この細長いニワが「鰻の寝床」と呼ばれる空間です。

間口が狭く、奥行きが長い京の町屋は、家屋の形そのものが鰻の寝床のようで

すけど、鰻が寝そべるのに格好なところは通りニワの方どす。

それがいつの間にか「鰻の寝床」というのは京町屋自体の呼び名になっていっ

たようです。

ようは知りませんけど、これは江戸時代に、奥行きには関係なく間口の広さで

税金が掛けられたそうで、人間の知恵で、税金が掛からんように工夫された結

果だそうです。

今も昔も、税金対策には苦労おしやしたんどすなぁ。



もう、出世は、おしやしたか?

2007年07月15日 | Weblog
学生の町京都には、一昔前まで「出世払い」という美風がありました。

「出世払い」は、学生はんの町・京都のもてなしかたのひとつでもあります。

現代は、京都でも、学生さん用にワンルームマンションが、当たり前のように
用意されていますが、以前は民家の二階や離れに下宿される方が大方どした。

そして、そのうち(家)のおじさんやおばさんと家族のように暮らしていまし
たし、下宿先のうちでは、「学生はんをお預かりしています」「お世話させて
もろうてます」といったもの言いで、学生さんへの親しみと尊敬にも似た感情
を抱いておりました。

学生はん達も、寮母さんや下宿のおじさん、おばさんへの敬意を忘れなかった
時代で、京都には若者と大人のこころ温まるお話が、ぎょうさん(沢山)あり
ます。

ある大学の先生が学生さんを連れて居酒屋に行かれ、その後、その学生さんは
お金が無いときに限ってよく行かれた様子で、「おばちゃん、今日はこれだけ
で飲まして」言うて・・・。

卒業されるときも、ここで送別会をされて「出世したら、今までの分、倍にし
て返すから」言うて、卒業され行かれました。

それから20年ほど経ったころ、身なりも立派な紳士になって、おこしやした
その方と、学生時代の懐かしいお話をしみじみとされた後、「出世おしやした
か?」と聞くと、ぎょうさん(沢山)のお金を、置いていかれたそうです。

ツケの払いよりも、生活や夢の応援をした若者が、名実ともに出世して京都に
帰って来ることが、何よりの果報と思っている京都人は、まだまだ沢山おりま
すぇ。

京大近くの散髪やさんのご主人は、お金の無い学生さんの頭をただで刈って、
そんな学生さんが大学総長や教授、実業家や政府の高官などに出世して、顔を
見せに来てくれることが、何よりの自慢であったという話も、お聞きしていま
す。

学生はんを応援する京都の気風は、まだまだ健在どすぇ。


ほな、おおきに!


よう、お気張りやすなぁ!

2007年07月12日 | Weblog

「よう、お気張りやす」は、ねぎらいの言葉です。

町家の立て込んだ中で、遅くまで、明かりをつけて、音の出る仕事をされてい
た工芸家の方が「よう、気張らはりますなぁ」と言われたと、新聞で話しされ
ていました。

このときの「よう、気張らはりますなぁ」はねぎらいの言葉ではなく、皮肉ま
じりのことばになり、この工芸家の方も、夜遅くまで音をたてて「近所迷惑な、
夜分くらい、ええ加減にしたらどうや」と言われているのではないかと思いま
した。と言っておられたように記憶しています。

「気張ったはる」は京都では、数少ないほめ言葉になりますが、それも、本当
に気張っていない相手には、悪口に取れる向きもあります。

京ことばの便利さというか、奥深さとでもいうのどっしゃろか?前後の言葉と
ニュアンスで、ほめたりくさしたり、ほんまに、おもしろおすやろ。

お買物をする時に「もうちょっと、気張ってぇな」と言って、値切ることもあ
ります。

年配の方達には、「もうちょっと、まけてぇな」とうストレートな言い方を避
けて「もうちょっと、気張っとうくれやす」と言われる方が多いようです。



上がる、さがる

2007年07月06日 | Weblog

京の街は大路小路が東西南北に、碁盤の目のように通っているので、これほど
分りやすい街はないと思っている一人です。

通りの名前を覚えてしまうと、東入ル、西入ル、南は下ル、北は上ル(あがる)
と表現します。

それも京都御所を中心として上がったり、下がったりしますねん。

初めて京都に来られたかたには、ややこしことかもしれませんが、永く住んでい
る者にとっては「どこが、ややこしおす」といいたいところです。

便利に、通りの名前を覚える歌まであります。

「まつたけえびすに、おしおいけ、あねさんろっかく、たこにしき、しあやぶっ
たか、まつまんごじょう」
(丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦、四綾仏高松万五条)

これは東西の通りを表わしています。

南から北へ丸太町通、竹屋町通、夷川通、二条通、押小路通、御池通、姉小路、
三条通、六角通、蛸薬師通、錦小路通、四条通、綾小路通、仏光寺通、高辻通、
松原通、万寿寺通、五条通となります。

これにちゃんと南北の歌もありますが、覚えてませんので、この辺で止めときま
す。



そこまで言わんかて、ええやんか!

2007年07月02日 | Weblog

若かりしころ、仕事仲間と感情のもつれから、言い合いになってしまった。

私はどちらかというと、A型の引っ込み思案で、彼女はO型で、はっきりものを

言う人だった。

私も個人的なことではなく、仕事のことなのでそうですかと言って引けなかった。

何時もの私と違うもんだから、彼女はえらい感情的になり、目一杯なことを言っ

た。

思わず「なにも、そこまで言わんかてええやんか」と言ってしまう。

この言葉の後に付く「やんか」は、なんとなく愛嬌があり、憎めない言葉にとれ

ますが、意味するところは、いろいろ複雑です。

「いやぁ、可愛い赤ちゃんやんか」

「そんなこと言われたかて、でけへん(出来ない)やんか」

「どこ、探してんの、そこにあるやんか」等々。

意味合いとしては、「やんか」は「でしょう」「だろう」にあたります。

これは、親しい友達や家族に対するものいいで、目上の方や気のおけない人には

使う言葉ではないようです。

「でけへんや」とか「そこにあるや」という風に「や」で止める言い方もよく

しますが、「やんか」と表現することで、「だめではないでしょうか」「いいで

はないでしょうか」という、軽い意味での敬語にあたります。

しかしこうしたものいいは、意思や感情を直接に口にしないで、「ごてごてうる

しなぁ」「どんくさいひとや」という意味を言外に含んでいて、直接相手を非難

したり攻撃しない、京独特な、和らげて表現する方法のようです。