和道会ではじめて少年部黒帯を取った男である。
空手を初めて1年くらいたった昭和46年暮れだったと思う。
空手の話をしていたら
「軽くフリー(自由組手)をやろう」
と延原に言われたのである。
では
とやってみたら
左中段突き一発で倒されてしまった。
当り前だ。通信教育で自由組手などやったことがない。
しかしパンチ一発で倒されるのは後にも先にもこの時だけである。
小学校4年生の時に和道会白楽支部に入門
(当時は小学生など皆無の時代)
地道に稽古して中学二年の時
和道会最年少黒帯になる。
特に間合いのセンスは抜群だ。
大綱中学校剣道部に中途入部して
剣道歴1年で神奈川県ベスト8に入ってしまった。
そのまま剣道に取りつかれてしまい
高校一年の時に相模原市一般の部で優勝。
やはり持って生まれたセンスというものがあるのだろう。
その後
親の事情で故郷の宮崎県延岡に転居するが
あのままこちらにいて空手を辞めずに和道会白楽支部に残っていたら
大学で横山館長に会ったときに延原を紹介できたら
とか想像するとかなり面白い。
爺は
昭和47年秋に
延原に連れられて
和道会白楽支部に入ることになる。
空手道場を紹介してくれた恩人なのである。

昭和53年5月 大分県臼杵にて