湘南空手道連盟OB会

① 空手との出会い

大山倍達の存在を知ったのは
「柔道一直線」だと思うが
さらに追い打ちをかけたのが
少年キングに昭和44年に短期間連載された
真樹先生の「空手旋風児」だ。


今の小学校6年生なら現実かフィクションか 
わかりそうなものだが
自分は完全に信じ切っていた。

これを読んで中学校の部活は空手部と決めていたのだが
残念ながら大綱中学校には
というより中学校に空手部が存在しない状態だった。

ましてや極真会と伝統派の確執など知る由もない。

翌昭和45年に
「柔道一直線」人気絶頂時に大綱中学柔道部に入ったが
本音は空手をやりたかったのである。

あれから45年
今では全日本剛柔会一友会の飯塚先生が大綱中学校で夜
空手の指導をされているが
感無量である。

しかしながら今の子供たちを羨ましいとは思わない。

むしろあの時代に川崎で空手を学ぶことができた横山館長や田邊師範が羨ましい。

当時の川崎の空手のレベルの高さをけっこう最近思い知らされた。

なんであれ極真会の門をたたくことができるのはその3年後の昭和48年のことである。
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