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京都霊山護国神社-その3

 

写真は「陸軍特別操縦見習士官之碑」。
 
陸軍特別操縦見習士官(略して特操)とは大学、高等学校、専門学校の在学生や卒業生を対象とした航空機搭
 
乗員のことで別命「学鷲」といわれた。石碑には「特操之碑建立 昭和四十六年三月二十一日 戦没者銘碑奉
 
献 平成四年九月十六日 特操会」、「内閣総理大臣佐藤栄作書」とある
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
写真は「特操の碑」。碑の横にあるのはラバウルの石。
 
「特操の碑 第二次世界大戦が転機をむかえた昭和十八年、日本の戦況は急に悪化し、存亡をかけた総力戦と
 
なる。この年十月、二千五百余の若人は学業をなげうち陸軍特別操縦見習士官として祖国の危機に立ち上っ
 
た。二期、三期、四期と続く、ペンを操縦桿にかえた学鷲は懐疑思索を超え、肉親、友への愛情を断ち、ひたす
 
ら民族の栄光と世界の平和をめざして、死中に生を求めようとした。 悪条件のもと夜を日についた猛訓練を行
 
ない学鷲は遠く大陸、赤道をこえて雄飛し、あまたの戦友は空中戦に斃れ、また特攻の主力となって自爆、沖
 
縄、本土の護りに殉じたのであった。無名の栄誉は歴史に刻まれたが、愛惜と悲しみは尽きない。 平和は血と
 
涙により築かれた。われらは心から祖国を愛し、平和を願う。ここに兄等の栄誉を讃え、その霊を慰むるととも
 
に、特操の果たした役割を永く後世に伝えんとするものである。 昭和四十六年三月二十一日建立 特操会」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
写真は「 第百十六師団衛生隊顕彰碑」。横にあるのは中国・安慶の石。
 
「我が部隊は 昭和十三年五月 京都において編成され直ちに大陸の戦線に派遣されるや華中華南の幾多の
 
戦闘に参加し 昭和二十一年七月帰還 その編成を解かれるまで八年有余の間或は一線戦傷病兵の救出収
 
容に 或は地域の警備 医療に尽くして克くその責務を完うした。 この間二百有余の戦友 百余の軍馬 護国
 
の礎石として彼の地に散る いまや時移り 四半世紀にして新生日本の隆昌を見る。 ここに生ある者相集いて
 
往時を偲び 部隊の戦績と亡き戦友の慰霊のため この碑を建て顕彰の記念とし 併せて祖国の栄光と平和を
 
祈る。 昭和四十六年四月吉日 第百十六師団衛生隊戦友一同」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
写真は「嵐第六二二七部隊輜重兵第百十六連隊顕彰之碑」。
 
「碑文 連隊は 昭和十三年五月京都深草で編成された輸送部隊である。民族や肉親へのひたぶるな愛情に燃
 
えた兵士たちはもの言わぬ軍馬の献身に支えられて七年間の悲惨な戦いに耐えた 長江の流れ アラカンの山
 
はるか遠い異境の地で 地と泥の戦場に散ったわが友よ 再び帰らぬ愛馬よ きよう 生ける者の真心をもって
 
 深く諸霊の鎮魂を祈り戦友愛の象徴としてこの碑を建て ここに永遠の平和を誓う 昭和四十六年七月 嵐輜
 
会建之」
 
 
 
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