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京都霊山護国神社-その2

 

写真は「「野砲兵第五十三連隊」碑。
 
「野砲兵第五十三連隊は昭和十八年十二月、伏見駐屯地を出発インパール作戦酣なるビルマ戦線に急派され
 
爾後各作戦に参加し赫々たる戦歴を記したるもその間一千余名の戦友と砲門馬匹の殆どを喪う。今茲に生存者
 
相集い碑を建立し等しく勇戦敢闘したる往時を回顧し若くして護国の神となれる戦友の冥福を祈ると共に諸霊の
 
偉勲を称え連隊の武勲を永久に顕彰するものなり 昭和四十五年十一月二十二日 ビルマ派遣軍第五十三師
 
団 野砲兵第五十三連隊戦友一同」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
写真は「騎兵第二十連隊、騎兵第百二十大隊、捜索第十六連隊、捜索第五十三連隊」碑。
 
「是れ騎兵隊第二十聨隊出身各部隊並に師團衛兵騎兵戦没者慰霊の碑なり。抑も騎兵第二十聨隊は明治三
 
十八年姫路において編成され直に日露戦争に参加し、以後京都深草に移設、深草桃山長池饗庭野青野ヶ原各
 
演習場にて訓練を重ね、シベリヤ出兵満州事變を經て昭和十二年に支那事變起こるや北支に出撃し、更に徐
 
州南京武漢の作戦攻略に赫々たる戦果を収めたり。同十三年騎兵第百二十大隊(嵐)は中支に、同十六年太平
 
洋戦争に當り捜索第十六聨隊(垣)はフィリピン方面へ進攻し、同十八年捜索第五十三聨隊(安)はビルマ方面へ
 
と、各々幾多辛酸を嘗め、縦横兵馬の任を完うし、武勲枚挙擧に遑なし。但その間尊き犠牲も亦少なからず、實
 
に九百有餘柱に及ぶ。今生存する我等、相寄り相偲び、永く偉烈を讃へ、静かに冥福を祈り、茲に此碑を建つる
 
ものなり。 昭和四十九年十一月 慰霊碑建設有志一同」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
写真は「愛馬の碑」。
 
上記碑の傍らにある。1984(昭和59)年4月8日建立
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
写真は「野砲兵第百二十二連隊顕彰」碑。
 
「連隊は昭和十三年五月京都伏見で編成され直ちに大陸に渡り 池州、安慶、常徳、湘桂、宝慶、湘西等の作
 
戦に参加し昭和二十一年七月機関編成を説かれる迄よく困難を克服し師団砲兵の責務を遂行した。この間武運
 
拙なくして大陸に参加した幾多の友の鎮魂の為戦後三十年茲に生存者相計り護国の礎となられた英霊の勲功
 
と連隊の偉業を後世に留める為一基を建立し、併せて悠久の平和を祈念するものである 願わくば在天の英霊
 
安らかに鎮り給え 昭和五十年三月九日 元野砲兵第百二十二連隊戦友一同」
 
 
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