8月の、初めごろだっけ、愛しのガラケーが、唐突に、壊れた。
愛しのガラケー、と、常日頃の感謝を込めて、このブログにも綴ったのに、なぜに、なぜ…、まるで反発するかのように、壊れたんだろ、と、無性に落ち込んだ。
何だか近頃、嫌な方、避けたい方に、運命が転ぶ。
何だか妙に、運命の神様に意地悪されてるようで、気分、悪い。
壊れたその日、落ち込んでばかりもいられないので、アワ食って販売店に持ち込んだけど、何やら、すでに部品の生産が終了しているとかで、修理は無理、とアッサリ断れ、結局、落ち込みを倍増させて帰るしかなかった。
そうなんだな、部品の保有にも期限があるんだった。そんなことも頭になく、修理を断られるとは思ってもいなくて、店内に、販売員の他、修理に目利きな技術者がいそうにもなく、無情な対応で私をあしらった販売員を恨んだわ。
部品の生産が終了してたって、故障の程度によれば、修理可能な場合もあるだろうに、そこまでのアフターフォローはしないのね。
もうとっくに廃れたガラケーだし、販売店は、新商品をドンドン売り出すのが仕事だもんね。でも、ヤッパリ、簡単には諦めきれなくて、その場でスマホに機種変更はしなかった。
知り合いに、携帯の修理に携わっている人がいれば、頼み込めるのにな、と思い、目利きの人が見れば、まだ絶対直せるのにな、と思い、画面がまともに映らなくなったガラケーを、もう一度、自分なりに検分してみた。
電源は入る、起動開始の音も鳴り、キーにわずかな光が灯るのに、画面には何も映らず、無地のまま。薄ぼんやりとあるかないかの光が灯っているけれど、全く画面が出ない。
内部が作動しているようだから、記憶にある通話の操作手順を思い起こしつつ、試しに「117」にかけてみると、ちゃんと時報に通じた。
以前からセットしている目覚まし用のアラームも、時間になると、ちゃんと鳴る。でも、スヌーズが不要でも、もうオフにする術がなく、電池を外すしかなくて。
通常、フタを閉じると、フタの両端に光が灯り、2秒ほどで消えるけど、それも利いてる。
画面さえ映ってくれれば、まともに使えると思うのに…。
ガラケーが変になった最初は、まだ画面が映ってた。といっても、何でだか、待ち受け画面の画像がネガのように、左右、逆に映ってて、その内、逆映りのネガ画像が二段に分かれたり、画像そのものが消えて、灰色の画面に、色のついた何本もの縦線が、ピリピリと入ったり、消えたりして。
フタを閉じたり、開いたり、を繰り返していると、次に開いた時には元の正常な画面に戻ってたりして、オワッ、直った、と喜んで、またフタを閉めて開けたら、縦線ガビガビの画面に舞い戻ってたり、も~、かなり内部の何かしらの接触が不安定になってるな~、てことは分かるんだけど、どうすれば直せるのかが分からんで。
そうこうする内、とうとう、今の何も移らん無地の画面に落ち着いてしまい、電池を新品に替え、いくら電源を入切しても、フタを開け閉め、叩いて、押して、伸ばして、曲げても、画面に色が灯ることすらなくなった。
スマホに機種変更する時には、全データを整理して、必要なデータはSDカードに保存して、保存出来ないデータは、ノートに書き写して…、と考えていたのに、必要な控えは取れないまま、諦めるしかなくなった。
幸い、電話帳や画像はその都度SDカードに保存していたので、スマホに移行は出来たけど、その他、
メモ帳や、お気に入り、画面メモリストに保存してた内容は、まだ確認や書き出しをやってなくて、もう、いくら惜しんでも二度と引き出せない。
よもや、まさか、こんな形でガラケーとお別れする羽目になろうとは…。
寿命、だったのかな。
こき使ってきた私が悪いの?
今のガラケーを使い初めて、九年もの間、何十回も家の床やコンクリの道に落としてきたけど、一度も壊れたことがなかったんだ。
丈夫で、頼もしくって、安心してたんだけど、不注意に落としてきたツケが、今、回ってきたのかな。
でも不思議、何で今なの?
スマホへの移行が迫るこの時期に、何で推し量ったように壊れるかな。
もういいから、スマホに替えなよ、て、ガラケーから言われたみたいで、何だか複雑な気分。
現実的に、携帯がないと不便に違いなく、ガラケーに未練を残しつつも、しぶしぶスマホに機種変更し、今はスマホでこのブログを綴ってる。
うん、不本意だけど、便利なのは確か。もうパソコン要らずで操作可能だし、見たいサイトが楽に閲覧出来ない、煩わしさもなくなった。
Twitterが楽々覗けて、以前より視野が拓けた感じ。
あ~あ、時代の流れには逆らえないね。
愛しのガラケーは、引き出しの奥に眠ってる。
長い間、世話になった。
惜しいけど、ありがとう。
ありがとうね。
愛しのガラケー、と、常日頃の感謝を込めて、このブログにも綴ったのに、なぜに、なぜ…、まるで反発するかのように、壊れたんだろ、と、無性に落ち込んだ。
何だか近頃、嫌な方、避けたい方に、運命が転ぶ。
何だか妙に、運命の神様に意地悪されてるようで、気分、悪い。
壊れたその日、落ち込んでばかりもいられないので、アワ食って販売店に持ち込んだけど、何やら、すでに部品の生産が終了しているとかで、修理は無理、とアッサリ断れ、結局、落ち込みを倍増させて帰るしかなかった。
そうなんだな、部品の保有にも期限があるんだった。そんなことも頭になく、修理を断られるとは思ってもいなくて、店内に、販売員の他、修理に目利きな技術者がいそうにもなく、無情な対応で私をあしらった販売員を恨んだわ。
部品の生産が終了してたって、故障の程度によれば、修理可能な場合もあるだろうに、そこまでのアフターフォローはしないのね。
もうとっくに廃れたガラケーだし、販売店は、新商品をドンドン売り出すのが仕事だもんね。でも、ヤッパリ、簡単には諦めきれなくて、その場でスマホに機種変更はしなかった。
知り合いに、携帯の修理に携わっている人がいれば、頼み込めるのにな、と思い、目利きの人が見れば、まだ絶対直せるのにな、と思い、画面がまともに映らなくなったガラケーを、もう一度、自分なりに検分してみた。
電源は入る、起動開始の音も鳴り、キーにわずかな光が灯るのに、画面には何も映らず、無地のまま。薄ぼんやりとあるかないかの光が灯っているけれど、全く画面が出ない。
内部が作動しているようだから、記憶にある通話の操作手順を思い起こしつつ、試しに「117」にかけてみると、ちゃんと時報に通じた。
以前からセットしている目覚まし用のアラームも、時間になると、ちゃんと鳴る。でも、スヌーズが不要でも、もうオフにする術がなく、電池を外すしかなくて。
通常、フタを閉じると、フタの両端に光が灯り、2秒ほどで消えるけど、それも利いてる。
画面さえ映ってくれれば、まともに使えると思うのに…。
ガラケーが変になった最初は、まだ画面が映ってた。といっても、何でだか、待ち受け画面の画像がネガのように、左右、逆に映ってて、その内、逆映りのネガ画像が二段に分かれたり、画像そのものが消えて、灰色の画面に、色のついた何本もの縦線が、ピリピリと入ったり、消えたりして。
フタを閉じたり、開いたり、を繰り返していると、次に開いた時には元の正常な画面に戻ってたりして、オワッ、直った、と喜んで、またフタを閉めて開けたら、縦線ガビガビの画面に舞い戻ってたり、も~、かなり内部の何かしらの接触が不安定になってるな~、てことは分かるんだけど、どうすれば直せるのかが分からんで。
そうこうする内、とうとう、今の何も移らん無地の画面に落ち着いてしまい、電池を新品に替え、いくら電源を入切しても、フタを開け閉め、叩いて、押して、伸ばして、曲げても、画面に色が灯ることすらなくなった。
スマホに機種変更する時には、全データを整理して、必要なデータはSDカードに保存して、保存出来ないデータは、ノートに書き写して…、と考えていたのに、必要な控えは取れないまま、諦めるしかなくなった。
幸い、電話帳や画像はその都度SDカードに保存していたので、スマホに移行は出来たけど、その他、
メモ帳や、お気に入り、画面メモリストに保存してた内容は、まだ確認や書き出しをやってなくて、もう、いくら惜しんでも二度と引き出せない。
よもや、まさか、こんな形でガラケーとお別れする羽目になろうとは…。
寿命、だったのかな。
こき使ってきた私が悪いの?
今のガラケーを使い初めて、九年もの間、何十回も家の床やコンクリの道に落としてきたけど、一度も壊れたことがなかったんだ。
丈夫で、頼もしくって、安心してたんだけど、不注意に落としてきたツケが、今、回ってきたのかな。
でも不思議、何で今なの?
スマホへの移行が迫るこの時期に、何で推し量ったように壊れるかな。
もういいから、スマホに替えなよ、て、ガラケーから言われたみたいで、何だか複雑な気分。
現実的に、携帯がないと不便に違いなく、ガラケーに未練を残しつつも、しぶしぶスマホに機種変更し、今はスマホでこのブログを綴ってる。
うん、不本意だけど、便利なのは確か。もうパソコン要らずで操作可能だし、見たいサイトが楽に閲覧出来ない、煩わしさもなくなった。
Twitterが楽々覗けて、以前より視野が拓けた感じ。
あ~あ、時代の流れには逆らえないね。
愛しのガラケーは、引き出しの奥に眠ってる。
長い間、世話になった。
惜しいけど、ありがとう。
ありがとうね。