「感動をありがとう」この言葉大嫌いだ。特にマスコミがこの言葉を使い出すともうむしずが走る。4年前のドーハでのサッカーW杯予選で日本代表がロスタイムの失点で惜しくも出場権を逸した時にマスコミがあおったせいもありよくこの言葉が日本中で使われた。
でも今回のオリンピックについては何故か自分の中から自然とこの言葉が出てきてしまい、なんだかとってもはずかしい(^^;。でも本当なのだ。
何も期待してない時に突然ラッキーなことがあるととてもうれしくなったりする。当たるはずもないと思っていた懸賞に当たるとか、暇つぶしに入ったパチンコで大当たりとか。どうも今回の長野オリンピックは自分にとってそのたぐいのものに近い。しかし結果としてはかなりの大当たりとなったのだ。
そもそも開会するまでろくすっぽ選手の名前も知らなかった。唯一知っていたといえば前回のリレハンメルで世紀の失速ジャンプの原田選手と複合の荻原選手くらい。清水宏保選手も船木和喜選手さえも知らなかった。開会式のTV中継をたまたま見ててつまらなくて途中で見るのやめてしまったぐらいだった。
しかし清水選手のスピードスケート500mの金メダル。これで何かが変わった。何かハートを揺さぶるものが伝わってきた。そして原田選手のラージヒル銅メダルで一気に爆発した。感動してしまったのだ。おかしい、こんな予定じゃなかったのに、おかしいぞチクショーと思いながらも次から次へと競技を見たくなり結果が気になりだした。岡崎選手のスピードスケート500m銅は出かけ先の近くの公立施設建物内のテレビで無理矢理1時間以上粘って見届けた。もうメダルは出ないだろうと思っていた閉会式前日にショートトラックで西谷選手が見事に金。なんかすごい瞬間をたくさん見れた。やらせではない真の競い合いの結果であるからこそ全然興味を持ってなかったこんな自分にも感動を与えたのだろう。
オリンピックの商業化、アマチュアリズムの衰退が叫ばれて久しい。しかしこれだけ大規模化した上にメディアが多種多様に入り込む大会になってしまった以上もはや後戻りは出来ないだろう。オリンピックは今後も更なる商業化、更なるアマチュアリズムの衰退が進んでいくだろう。まぁ、それでもいいじゃないか。商業化しようがプロ化していこうが、選手が勝利のためにつくりものではない真の最高のドラマを見せ続けてくれるであろうことは間違いないだろうから。
でも今回のオリンピックについては何故か自分の中から自然とこの言葉が出てきてしまい、なんだかとってもはずかしい(^^;。でも本当なのだ。
何も期待してない時に突然ラッキーなことがあるととてもうれしくなったりする。当たるはずもないと思っていた懸賞に当たるとか、暇つぶしに入ったパチンコで大当たりとか。どうも今回の長野オリンピックは自分にとってそのたぐいのものに近い。しかし結果としてはかなりの大当たりとなったのだ。
そもそも開会するまでろくすっぽ選手の名前も知らなかった。唯一知っていたといえば前回のリレハンメルで世紀の失速ジャンプの原田選手と複合の荻原選手くらい。清水宏保選手も船木和喜選手さえも知らなかった。開会式のTV中継をたまたま見ててつまらなくて途中で見るのやめてしまったぐらいだった。
しかし清水選手のスピードスケート500mの金メダル。これで何かが変わった。何かハートを揺さぶるものが伝わってきた。そして原田選手のラージヒル銅メダルで一気に爆発した。感動してしまったのだ。おかしい、こんな予定じゃなかったのに、おかしいぞチクショーと思いながらも次から次へと競技を見たくなり結果が気になりだした。岡崎選手のスピードスケート500m銅は出かけ先の近くの公立施設建物内のテレビで無理矢理1時間以上粘って見届けた。もうメダルは出ないだろうと思っていた閉会式前日にショートトラックで西谷選手が見事に金。なんかすごい瞬間をたくさん見れた。やらせではない真の競い合いの結果であるからこそ全然興味を持ってなかったこんな自分にも感動を与えたのだろう。
オリンピックの商業化、アマチュアリズムの衰退が叫ばれて久しい。しかしこれだけ大規模化した上にメディアが多種多様に入り込む大会になってしまった以上もはや後戻りは出来ないだろう。オリンピックは今後も更なる商業化、更なるアマチュアリズムの衰退が進んでいくだろう。まぁ、それでもいいじゃないか。商業化しようがプロ化していこうが、選手が勝利のためにつくりものではない真の最高のドラマを見せ続けてくれるであろうことは間違いないだろうから。